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どっしゃんがらんがらんがらん。

暗く奥まった通路で、何かがひっくり変える盛大な音がした。
同時に、むわっと生ゴミの不快な匂いが辺りに広がる。
饐(す)えた匂いさえ混じって、匂いの元が入るゴミ袋の中を下敷きにした男を包んでいく。

横たわった青年に意識は無いようだった。
時折、苦しそうな声を漏らすくらいで、青く痣が浮かぶ目は力なく閉じられている。
青年はただ、悪臭を放つゴミに全身を預けていた。
元は綺麗にコーディネートされていた衣服も、雑誌を真似て整えられていただろう髪型も盛大に乱して。


はあ、と少年が吐いた熱い息は、蒸し暑い空気とすぐに同化した。
額には、頼りない街頭に照らされた汗が、何も知らずに光っている、ただきらきらと。
激しく運動した後に見るような、流れるほどの大量の汗。
しかし運動にしては、彼の目はぎらぎらとした獰猛すぎる光を宿しているけれど。

少年は一度、ゴミに倒れたままの男を見た。
数秒そのまま、動く様子がないことを確認する。
ただじっと、瞬きをすることさえ忘れたかのようにじっと。

そして、男が意識がないことを確信してから、ゆっくりと再び息を、今度は深く吐き出した。
さっきまでのぎらついた目が、一瞬で穏やかに変わる。

「あー」

ひどく気怠そうな足取りで、少年は放り投げた鞄を探す。
たしかこの辺、と思う位置を少し歩き回ってみるが、通りが暗く、少年が愛用する鞄も黒だったためにすぐには見つからない。

もしかするとと思いながら、少年は数分前を思い出した。
男が少年を殴ろうと手を後ろに引いた後、後ろへと避けた際に何かにぶつかった記憶が少年に蘇る。
間違いなくあれだろう。


そうして記憶をたどって隅の方まで歩けば、三分の一程度開いた鞄が足下に転がっていた。
中身が多少散乱しているけれど、これは自分が悪いか、と少年はため息をつきながら、外に転がったものを拾い集める。
あまり物を持ち歩いていないおかげで、そこまで中身は飛び出していない。

彼の鞄には始めから物が少なかった。
教科書は入っておらず、筆箱と下敷きと、ワックスなどが入っている程度。
少年に自宅で勉強する気など毛頭ない。
家で勉強机をその名前通りに使用した記憶は、少年の頭に残っていなかった。


拾い終わった後、よ、と少年はかがんだ状態から立ち上がり、鞄の汚れをはたく。
白くほこっていた表面は、数回で若干元の色に戻ったかどうかという色合いになった。
元が黒のために、汚れを全く目立たなくという具合にはならない。

「あ」

鞄を叩き終わった後に、彼は自分の服を見た。
優位に立っていたとはいえ、していたことがことだ。
何度か不意をつかれて、地面に座り込んだことを思い出す。
そのときにきっと白っぽく汚れてしまったんだろう。
叩いて、鞄同様に多少のほこりや汚れを払った。

けれどその途中、少年は自分の着ているTシャツに目がいく。
赤い点がぽつりぽつり、服にデザインとは関係なく無造作に散っていた。
ゆっくり彼は一度、未だ意識の戻らない青年の顔を見て、また視線を服へと戻す。
相手が出した鼻血だと理解した瞬間、彼の顔が歪んた。


長く長く息が吐き出される、静かに長く。
完全に熱の冷めた体を、少年は前へと進めた。
そう大して重くもない鞄をだるそうに前後に振って、男の横を通り過ぎる、悪気は見て取れない。

だいぶ長い寄り道をしたと少年は、少しだけ歩を早める。
門限に多少寛容ではあるものの、服に関しては怒られてしまう。
先に帰り着いて洗ってしまえばわからないと、赤から深い青色へ変わりだした道を急ぐ。
早く家に帰り着かないとと表には出ない焦りを持ちながら、鍵を入れた右ポケットを軽く叩いた。

「!」

数回繰り返す、ぱん。
左の太もも、尻ポケット、ぱんぱん。

どこを叩いても、中に入っている様子は無い。
彼が聞き慣れている、ちゃりんとした金属音は聞こえない。

ポケットを奥まで探ってみるがない。
鞄の中身を手に持ちながら、一カ所一カ所確かめていくが、それでもない、音は鳴らない。


鍵は確かに右のポケットに突っ込んだはず、彼は記憶を振り返った。
確かに学校で取り出してズボンの右ポケットに突っ込んだ。
鮮明な記憶、なのに鍵は記憶通りの場所には無い。


これは。
鞄が転がっていた後ろを振り返った、ぱっと見る限り、鍵らしき物は見つけられない。

残りは、と、見る面積は広い。
男が倒れている場所周辺もそうであるし、もしかすれば帰路の途中かもしれない。


諦めるしかないだろうとおもむろに空を見上げる。
暖かな太陽はもう地平線より下へと沈んでしまった。
このまま帰っても他の家族がいなければ、少年は家に入れない。
携帯も運悪く家に忘れて来ていたため、親に連絡を取ることも出来ない。

とりあえず近くにコンビニがあったはずだと、彼はこの場所から歩き出す。
男がいつ起きるかもわからないし、警官に見つかってしまえば説教だと知っていた。
別におれが悪い訳じゃないけれど、肩がぶつかったくらいでぎゃんぎゃん言って来たのは向こうだ。
じゃ、とアスファルトの上にあった砂利が力強く踏みつけられた。


少し歩いた地点で、コンビニの青が彼の目に入る。
中には蛍光灯の白い光で満ちて、雑誌を立ち読みする数人が、少年が始めに通った時と同じように誌面を目で追っていた。
食い入るように見ている人、興味薄そうにぱらぱらと流し読みしている人、それぞれがそれぞれの面持ちで。

外から見た限りでは、それ以外の客の姿はわからない。
ただ手前のレジでやる気のなさそうな店員が、ふわふわとした髪の客の対応をしているのがやっと見える程度。


入り口に向かって少年は歩く。
頭の中は雑誌を見て時間をつぶすか、菓子類を買って外で食べながら時間をつぶすかの二択だ。
彼の財布の中には数百円しか入っていないのだけれど、少年は完全にそのことを忘れたまま、ただ悩みながら歩く。

そして入り口の自動ドアの数m手前、少年に反応するには早いタイミングでドアは開いた。
彼の前にいた顔、その見たことのある顔に、少年は口を開く。
ちょうどいいと思った。

「ウエクサ」
「え?」

レジ袋を提げた少年が顔を上げる、少年と同じくらいの年頃の顔立ち。
その際に、ふわふわと緩くパーマが当てられた髪が、前後左右にふわふわと揺れた。

ピンで上げられた前髪のおかげで、ウエクサの驚いた表情は少年によく見てとれた。
少年は彼にそこまで驚かれるとは思っておらず、名前を呼んだ少年の方も態度を一瞬、迷った。
確かクラスメイトのはずだと思ったのだけれど、もしかして勘違いだっただろうかと戸惑った。
それからの入り口前の沈黙は、当然と言えば当然の結果。


まあとりあえず、そう言ってウエクサは少年を後ろに下がらせる。
いつまでも自動ドアに反応して、早い夏の暑さを癒す冷気を逃させるのは悪いと思っての行動。

少年は素直にウエクサの指示通り、後ろへと歩を戻した。
ふよふよとお互いの猫っ毛のような柔らかい毛が揺れる。
自動ドアはゆっくり閉まっていく、残った冷気はすぐに暑さに抱き込まれた。


「何か用だった、ミカド」


平生の顔に戻って、ウエクサが少年に問う、レジ袋ががさりと揺れた。
その音でやっとミカドは、ああ、と言おうとしていたことを思い出す。

「喧嘩して家の鍵無くした。電話貸して」
「自分の携帯、」
「忘れた」

一言で切ったミカドに対して、ウエクサは苦笑を返した。
らしいとも言わないし、珍しいとも言わない。

その程度の仲、クラスメイトとしてだけ知った仲だというのが互いの認識だ。
特別一緒に行動する訳でもなく、名前だけはかろうじて知っているくらいの。
雑多の中で他人がその人を呼ぶ言葉が頭に残る程度。


いいけども、そう笑ってウエクサはミカドに背を向けた。
ミカドはそのことが指す意味をよく取れずに立ち止まる、貸してくれると言ったはずなのに。
どういう行動をとれば良いのかを迷って、立ち止まったまま考える、どうしようと頭をひねった。

まあいいやと結局、ミカドは考えを放り投げた。
ウエクサがもしそのまま帰るのなら、予定していた通りにコンビニで時間を潰せばいいかと歩いていく後ろ姿をじっと見つめるだけ。

「ミカド?」

けれどウエクサは数歩歩いたところで、ミカドへ振り返った。
どうしてそこに止まっているんだと不思議そうな顔で、彼の名前を呼ぶ。
がさり、と何が入っているかわからない小さめのレジ袋がまた音を立てて揺れる。

家に来なよ、携帯今持ってきてないから。
どことなく申し訳なさそうにそう言った彼に、ミカドは全然かまわないという顔で頷いた。

「ついでに手当てもしとく?」

そこ、と、ミカドの頬と肘をウエクサが指せば、ミカドが、良いのか、と表情を一気に明るく変えた。
あまりにも早いその表情変化にウエクサは驚いて、けれどすぐに何でもない顔に戻った。

教室ではよく、寝ていたり居なかったりしていたり、噂もあって妙に近寄りがたいと友人も言っていたのに。
ウエクサは彼に持っていた印象が変わっていくのを感じていた、こうして見ると自分たちと変わらない、ミカドに見えないように笑う。

「ウエクサって良い奴だな」

そんなことを思われていることも何も知らない顔で、ミカドはウエクサの隣を歩きながら呟いた。


****


「ふいー。風呂気持ちよかった」

タオルでばさばさと髪をかき乱しながら、ミカドが扉を開ける。
少し丈が体に合っていないズボンを気にした様子はなく、ただ満足そうな顔で冷風を吐き出すクーラーの下へと移動する。
その様子にウエクサは、コンビニで買ったサラダの空容器を水道水ですすぎながら、それは良かった、と簡単にミカドの言葉に返した。

「服までありがと」

ぱたぱたとウエクサの服を前後に動かして、ミカドが笑う。
なんだかそれがウエクサには酷く幼く見えて、弟がいたらこんな風だっただろうかと、くしゃりと笑う。
同年代どころか子供のようだと、喧嘩が絶えないと噂のはずの男に対して微笑ましささえ感じてしまった。


「泊まる?」


母親は夜勤だし。
そう付け加えられて、ミカドが顔を上げる。

どうりで、とミカドは心の中だけで納得を返した。
一人暮らしにしてはこの部屋は広かったし、家具も彼だけにしては多いように思っていた。
しかし家族、最低でも三人と考えてみると、自分の家に比べて少し少ないようにも感じる。
自分が納得のいく答えが出ないままで、ミカドも来てからずっと気になっていたことだった。

「父親は?」

母親は、と区切ったことに対しての質問。
ウエクサの表情は崩れたりゆがんだりしたら、すぐに撤回するつもりで聞いた。

家庭環境なんて人それぞれだ。
そう知っているにも関わらず、聞かないと言う選択肢はミカドにはない。
好奇心がどうしても先行した。

ウエクサはどうということもなく、ああ、と変わらない顔で呟く。
上を向いて考えて、どこだったっけと思いだそうとする、出てこない。
別に興味がないわけではなく、ど忘れしてしまっていた。

「単身赴任。西のほうに」

都道府県名は結局出てこなかったらしい。
段々と顔を申し訳なさそうに歪めだしたミカドをこれ以上待たせるわけにもいかないと思って、思い出せなかったウエクサは方角だけで答えた。


かれこれ二、三年も移動しっぱなしの父親、とウエクサは振り返る。
正月に帰ってきたり、少し長めの連続した休みには帰ってはくるが、最近は母親が直に会いに行くことが多くなっている。

別にメールのやりとりはあるから、寂しくはないけれど。
メール、ということにウエクサは吐息に見せかけながら、ため息を吐き出した。
年々と絵文字が増えていく父親、文面と実際とのギャップに未だウエクサは戸惑いを隠せないままだった。

「で、泊まる?」

返事をまだ貰っていなかったとウエクサが、再度ミカドに尋ねる。
がさごそと放り投げていた自分の鞄を漁りながら、んーとやる気のない声。
ミカド、と呼べば、やっと顔が上がった。

「もう泊まるって言った」

電話を借りた時点で、親には告げている。
晩ご飯はないと電話口に告げられたし、帰るために動くこともミカドには億劫だった。

勝手だなあとウエクサは笑うけれど、ミカドは気にした様子もなく鞄を持ったまま、ソファにどっかりと座る。
ミカドはそのまま座り心地が良いと、置いてあったクッションを背中に敷いてごろんと寝転がった。

「じゃあミカドはそのままソファな」
「ども」

ミカドは手を上げてそう返事をする、家と同じ体勢。
鞄をもう一度確認してみたけれど、やはり鍵は見つからない。
そのときに切れていた口の端が痛んだが、特には気にならなかった。


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