1日目 - 2日目 - 3日目 - 4日目 - 5日目 - ……


シャッ、とカーテンについた金具がレールを走る。
グレーが薄くかかったような遮光カーテン、その向こうはまだ仄暗い。

青が橙に染まろうと、紫を経由している途中だった。
街はまだ眠っていて、車は数台しか動かない。

窓からそれを見下ろすミカドは、まるで起きているのが自分だけのような錯覚を起こした。
この朝の一歩手前、黒に青が混ざって、そこからゆっくりと周りの色を変えながら、太陽が昇る。
その変化を見るのが好きで、その中を歩いて、街の起床を感じることがミカドは好きだった。
太陽自体が、彼の好きなもの。

ゆっくりと空は白に移っていく。
薄青は光を受けて輝き、いつもの空色に戻っていく。


それを見届けてミカドは、部屋の中へ振り返った。
昨日借りた風呂場の近くにあった洗濯機に向かって、まだしっかりと覚醒していない体を動かし始める。
ゆっくりと昇っていく朝日を背中に浴びながら、腕をばきばきと時折鳴らしてあくびを交えながら、歩く。


そうして行き着いた白い洗濯機は、止まっていた。
蓋を無遠慮にミカドは開いて、ごちゃごちゃとウエクサのものと絡まり合っている衣服の固まりを見る。
んー、と困り気味に息を吐き出して、とりあえず見える範囲の自分の衣服や下着を塊から引っぱがす。

上の服を無事引っぱがしたところで、ミカドの手は止まる。
服は滴るほどではないにしろ、多少は水気を含んでいる。
このままじゃ持って帰れないのは、明らか。

「あー」

どこだったかとミカドはキッチンに戻る。
どこかの棚から、ウエクサがゴミ袋用にレジ袋を取り出していたのを見ていた。
確か、とシンクにつけられている引き出しを、一つ一つ出して中を確認する作業。
どの段なのかは思い出せないが、この場所だということまでは思い出せていた。

たんたんと一つ一つ開けていくと、下から二番目の引き出しの中に、彼が探していた物が綺麗に束にされているのをやっと見つける。
がしゃがしゃと擦れ合う音も関係なしに、乱雑に取って来た自分の服の一部をその中へ入れた。

あとは。
ミカドはもう一度洗濯機まで歩いて、残りの分も、と、がさがさ歩いた。
朝の静けさの中では、レジ袋の立てる耳障りな音は部屋に十分に響く。


「何してんの」


ミカドは、不意にかかった低い声に驚いて振り返った。
そこにいるのはもちろんウエクサだったが、不機嫌で不愉快そうに口はへの字に曲がっている。
昨日や教室のウエクサから少し想像がつかないような、少しも温和な雰囲気がにじまない別人の顔。
寝起きの為にいつも上げられた前髪が下がっていることも、そのことを助けている。

「あ、はよ」
「はよ。四時に何やってんの」

ウエクサはあくびをかみ殺しながら、驚きから戻ったミカドからの挨拶を簡単に返す。
率直に不満に思う内容をミカドへ問うて、また出ようとこみ上げた大きなあくびを今度は素直に宙に吐き出した。

彼はこんな時間帯に起きることは滅多に無いし、今日は別にその必要も無かった。
しかもウエクサを起こしたのはビニール袋の不快な音、ということで気分の降下は避けられなかった。
大人しく寝ていたはずなのに、どうしてこんな早くに。そんな疑問が寝ぼけ頭を回る。

「家帰る」
「はや」

ビニール袋を持って自分の鞄を指差すミカドに、ウエクサは頭を右手で掻いた。
何も今でなくとも、とようやく頭は回転を始めだした。
それでも平生に比べれば、幾分も遅い回転率ではあるのだけれど。


「じゃ」


片手を上げて眠そうな彼の隣を通り、ミカドは玄関に向かう。
鞄は持った、洗濯物も持った、忘れ物は無い。
簡単に頭の中で忘れ物を確認する、ない、と確信。
親はもう完全に家にいるから、鍵のことはもう心配ないとウエクサの隣の床を踏む。

「朝飯は? 作るよ」
「家にあんよ」

振り返ってわざわざ尋ねたウエクサを気にした風でもなく、すたすたとミカドは歩く。

家に多分、パンぐらいはあるはずだ。
なかったとしてもご飯くらいは。
そんなミカドの思考、楽観的な思考。
いつも通りなんとかはなるからという思い込みからの思考。

「は、今?」

一拍開いた質問。
その声は、寝起きの声と似ていた。

あまりにもいきなりすぎて、再びウエクサの思考はこんがらがる。
こんな早くから朝食は作られているんだろうかと考える、四時に。
そう考えて頭を左右に振った。買うならまだしも、普通なら起きているかも微妙だろと自分の日常を考えて否定。
頭が痛くなって来た、彼は心の中で呟く。

その葛藤は知らずとも、戸惑っていることはきちんとミカドは理解した。
言葉が少ないと、常日頃多くの人間に言われて来たことから、今回もそのパターンかと頭の中で言いたいことをまとめる。
上手く伝わらないことを、まとめている頭の隅で面倒だと感じながら。

「いま綺麗だし、いま帰る」
「ごめん日本語喋ってミカド」

本人なりにまとめた言葉も、いまいちウエクサにはピンとこない、理解できない。
これに脳の回転は関係ないだろうと自己完結して、ミカドの悩むような顔を見る。
本人は真剣に言ったつもりだとは、その表情から感じ取れた。


ミカドにはどうしてウエクサがわからないのかが、よくわかっていない。
自分の行動理由をそのまま表したつもりだった。
朝が綺麗だから、その中を歩きたいから、たったそれだけの理由でしかなく、他に今帰るという理由は特にない。

それ以上の何を補えば理解するのかも、彼の思考では上手く出てこなかった。
結局、ウエクサが寝起きだからきっとわからないだけだと決めつけて、思考は終わる。


「世話になった」


だからまた、片手を上げて玄関に向けて歩き出す。
彼の好きな朝の時間は一日の中で有限だった。
こうしている間にも、太陽はゆっくりと昇っていって、色は緩やかに変化していっている。

一秒でも惜しい、毎日ミカドは思っている。
誰かが録画すればいいと彼に言ったこともあったが、それでもミカドは自らの目で見たかった。

動画では空気がない、太陽の温度を感じることが出来ない。
いつもの晴れた日の空気を思い出して、ミカドが静かに笑う。
自分が朝を好きだと実感するこの瞬間も、ミカドは好きだった。

「気にすんな。また後で」

ウエクサが一歩遅れて、ミカドに返す。
ミカドの笑い顔に驚いて、思わず反応が遅れた。
再び襲いかかる睡魔も、原因としてあるのだろうと彼が頭を振る。


そのまま、がちゃんと音を立てて、扉は閉まった。
ミカドの待ち望んだ空気が外には満ちていて、ウエクサのための暗闇が内に残る。

扉の向こう側に歩いていった彼は、何を綺麗と言ったんだろうか。
戻ってきた暗闇の中、緩やかに回転の落ちる頭に、笑顔が蘇る。
控えめにはにかむ彼は、何を思って、あんな顔をしたのだろう。

何を、ああまで愛しいと、彼は思ったのだろう。

「しりたいな」

朝がやんわりと、闇へ満ちていく。


prev novels next

PAGE TOP