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油を注したばかりなのか、スムーズに開く教室の扉にウエクサは手をかける。
そろそろ朝のホームルームが近い廊下は、鞄を持つ人が大勢溢れ出していた。

雑音があふれて、自然の音は何一つない。
朝を感じさせるすずめの声もかき消されている。

ふ、と軽くウエクサが息を吐いて、扉を軽く右へと引いた。
瞬間、むわっとした人の熱気がウエクサにかかる。
それが登校でかいた汗と上昇した体温と同化して、不快感をあおる。
扉で遮断されていた騒々しさが直に、全身へと叩き付けられた。


毎朝のこと。
そうウエクサは熱気への不快を忘れさせて、教室を見回す。
つい先日家に泊めた人物を目で探す、席までは覚えていない。
ぎりぎりの時間帯の所為で人が多く、思うよりも見つけるのは容易でなかった。

彼の髪色は珍しかったから、すぐに見つかると思ったのに、とウエクサはため息をつく。
ウエクサを含め多少が染めているとは言え、茶系とも言い切れないような微妙な色合いは滅多に居ない。
現にあまり面識を持っていなかった一昨日のウエクサは髪色でミカドを判断したのだから、それほどには目立っている。


「あ」


やっとウエクサの目が、窓側に座るミカドの頭を見つけた。
窓から入った風で、ワックスで整えられたのであろう髪が揺れている。
机に突っ伏したままの彼の元へとウエクサは歩を進めた、特別な理由はなかった。

「はよ」

机の前に立って、声をかけてみる。
寝ているかなとも彼は疑ったが、返事が無かったらその時はその時だと考える。
どうせ起こしたところで、もうすぐ担任が入って来て起こされるから、その分の心配はしていない。

「はよ」

その考えはいらず、ミカドはある程度早い速度で反応を返す。
顔がゆっくりと上がる、多少、寝ぼけたような声で返事を返しながら。

現にミカドは、うとうととした曖昧な意識だった。
目をこする動作は微睡(まどろ)んでいたことをウエクサに知らせる。


ミカドは顔を上げて、目の前に立った人物を見る。
一拍、ウエクサを見て、あからさまに驚いた。

けれど、すぐに元のように瞼はおりる。
どこか眠そうな目に戻ってしまう。

「ウエクサだった」
「誰だと思ったんだよ」

苦笑いしながらウエクサはミカドに問う。
きっと、という予測はすぐに出て来ていたが、何となく聞いてみたくなった。
ウエクサの中で浮かんでいる予想は、たまに彼が廊下だとかでつるんでいる人の顔。

けれどミカドは何も気にした様子もなく、ぼけっと彼を見る。

「ん?」
「ん?」

ミカドは純粋に聞き返す。
聞こえなかったわけではなく、ただ聞き返した。

まだミカドの頭の中に睡魔が紛れていて、上手く回転していない。
意識はだいぶハッキリとはしてきたのだけれど、ミカドはそういう意味では寝起きが悪い方だった。

「泊まらせてくれてありがと」
「いえいえ」

思い出したようにミカドが告げる、ウエクサは笑った。
朝の五時はあんまりだったけれどとウエクサは思ったが、口には出さない。
帰っている時の朝が家からとはまた違って綺麗だったとミカドも思い出したけれど、口には出さない。

「誰だと思った?」

はぐらかされたように感じたウエクサが再び彼に問う。
ん、とよくわかっていない声でまたミカドは問い返す。
さっきよりも語尾は上がっていないものの、さっきと同じ発音。

駄目かと思って、ウエクサは曖昧にまた笑う。
これ以上聞いたところで答えが出ないことは、簡単に想像できた。

ミカドが故意にはぐらかしたかどうかを彼は考えない。
彼の思考は、ウエクサが読み取るには少し複雑だと思われていた。
ミカドも、彼やその他大勢を同じように判断していたので、お互い様ではあったけれど。


「結局昨日来なかったな」


話題を変えたウエクサの言葉で、おもむろにミカドは上へ目を向けた。
そうだったっけと、寝ぼけた頭で何となくゆっくりと、彼は昨日を思い出す。
朝のことしかミカドの頭には残っておらず、その後のことは妙に記憶の薄い部分にある。
彼にとっての一日は、朝が大半を占めていおり、学校は二の次にされていた。

「ああ、うん、朝日が綺麗で」

昨日、学生服を来た覚えが無くて、彼は簡単に理由だけを述べる。
朝に見入っていて、彼が気づいた時には既に八時を回っていたのも事実だった。
昨日は非常に彼好みの朝であって、上り続ける太陽を見ながら、暑い日差しを体全体に受けながら、充実した気分で家に帰っていた。

それから親に説教をされていたことは、あまりミカドの記憶に残っていない。
彼の心に罪悪感は少しも浮かんでいなかったのは今回が初めてのことではなく、慣れているという面が大きいのだろう。


ウエクサがまた後でと言ったことも同様に、彼の記憶には残っていない。
別れの挨拶だとそこまで彼は重要視しておらず、ひどく薄れていた。

けれどウエクサは、ミカドの言葉で態度を変えていた。
また上手く言葉がつながらなかっただろうかとミカドが後悔しても、彼は何も言わないまま無表情に黙る。

「そか」

どことなく冷めたような声色を聞くことくらいしか、彼には出来なかった。
ミカドはそれだけでウエクサが何に態度を変えたのかを考えようとは思わなかった。

憶測だけの原因探しを彼はしない、すぐにやめてしまう。
わからなくて当たり前だという思考が彼の中にはあって、余計にそのことへ拍車をかける。

そしてウエクサも彼に特別何かを言う気はなく、今はただ何を思うでもなくミカドを見下ろす。
多少のズレは仕方が無いこと、そんな風に頭を振った。

「髪はねてる」
「まじか」

ウエクサが空気をかえるようにトーンを戻した声で、ミカドのふよりと浮いた髪を指差した。
あー、と気の抜ける声がミカドの口から抜け出て、その手が指された辺りを押しつぶすように探る。
何度か周辺をさすって、ウエクサが指摘した箇所を通っても、まだわかっていない様子で頭を触り続けている。

「鏡、見てない?」
「割れてんの」

ここだって、ウエクサの手が直にミカドの髪を触って、彼に伝えた。
あー、とまた同じ声でミカドはその部分を触ってから、ぎゅっと下向きにその房を引っ張って離した。
寝癖のついた髪は負けずにまたはねてしまったけれど、ふあ、とあくびする彼にはもう直す気がない。

「何で?」

わからないという言葉が全面に出された、ウエクサの表情。
酔った親父が壊しておかんがそれに怒って直してない。
彼は答えてまた、さっきよりも大きなあくびを宙に吐き出した。

閉じた目尻に追いやられた涙が玉を結ぶ。
それは流れるほどはたまらずに、目が開くとその中にすっと広がった。


何となくウエクサは鞄に目を落とす、ミカドの黒い鞄。
それはところどころ白くなっていて、取っ手部分も少しほつれているようだった。
乱暴に使ってるなあと、泊まった日の扱いや汚れを見て、心中で少しだけあきれたように息を吐いた。

知らないはずの彼の両親の顔を、何となくウエクサは想像する。

「おまえんちらしいな」
「おれんちらしいだろ」

あきれた言葉のはずだったのに、彼には好意的な解釈がなされたらしい。
特に機嫌を損ねた様子も無く、していたのはまたあくび。

どうしてそこまで眠たがっているのかを、ウエクサの好奇心が知りたがる。
けれど今でなくともいい、また休み時間にでも内容は聞けば良いかと開きかけた口を閉じた。
もうすぐでチャイムが鳴る。

じゃあね。
簡単に別れを告げて、ウエクサは離れた自分の席に戻った。


****


キーンコーン、大きな電子音が学校中に響く。
黒板の前に立っていた教師が、ああ、とため息をつきながら、時計を見上げた。
若干の疲れを隠す様子もなさげに、ずり落ちかけた眼鏡をなおして宿題の提出期限を黒板に書き殴る。

「出せば赤点は免れるから、必ず出すこと!」

その言葉で締めて、はあ、とため息を引きずりながら、教師は教室を後にする。
彼の脳内では、長期休みが空けてもろくに集まらない図がはっきりと浮かんでいた。
毎度のこととはいえ、此処まで集まらないクラスもなかなかのものだと、受け持っている生徒の面々を思い浮かべる。

相変わらず睡眠学習率も高いし。
そんな悩みを脳内でつぶやきながら声量を一気に上げた教室を後ろに、少しずつ後退してきた生え際をさすった。


睡眠学習をしている一人の机。
その手前の空いた椅子にウエクサが座る、がたん。

近くでなったその音に、やっと眠っていたミカドがごぞりと動いた。
んー、と唸るような声が小さくウエクサの耳に届く。

「み、」

かど、と続ける声をすぐに止める。

うえくさくん。
そう呼んで、教室のドアを開いて小さく縮こまるようにして立つ女の子。

ウエクサにとっては見知った子だった。
恥ずかしそうに顔を赤らめて、綺麗に結ばれた髪をつついている。
何人かのクラスメイトが、にやついた目でウエクサを見てきていた。

「呼んでる」
「カコちゃんだ」

目をこすりながら言うミカドを見ることもなく、ウエクサは席を立つ。
忙しいなと思いながら、今までの休み時間にも見ていた光景を見送った。
よく来ることを思い出すと同時に、忙しい奴、そんな嫌みめいた言葉が浮かんで、眠気の中に消えた。


「ミカドー」


のんびり、前のまたその前の授業の教科書を枕にしようとしていた彼を、ウエクサと違う声が引き留める。

ウエクサが座っていた席の主だった、くるくるとした髪の。
ミカサ、とミカドは声にもなっていないような息で呼んだ。
けれど、ミカサは気づかず、椅子を後ろへ向けなおして座る。

「やほ」
「やほ」

相手の挨拶を、同じテンポでミカドは復唱。
毎度のことを気にした様子も無いミカサは、どん、とミカドの机に肘をついた。

両肘をついて、まるで自分の机とでも言わんばかりの我が物顔。
それをミカドはどうとも思わない、眠いだけの思考。

「久しぶり」
「久しぶり?

ミカドはただ眠そうに、いつもよりも開いていない目でミカサを眺める。
最近喋ってねえだろ、その言葉にそうだっけと頭をひねる、そんな気はしない。

近くでこの声は聞いたはずだ、眠い頭を回す。
いつだったっけとミカドが頭をかしげてみせると、首がぐちりと鳴った。

「ああ、一昨日飯のとき屋上で喋ったよ」
「そうだっけ」

今度はミカサが頭をひねった。
ミカドは頷くだけで、こみ上げたあくびをかみ殺している。


そのときに垣間見えた空が、青い。
夏らしい濃い青と、雲のまぶしいくらいの白。
太陽の光はあいにく雲に阻まれて、此処までは届かない。

明日も晴れるだろうかなんてことを考えながら、彼は目をミカサに戻す。
もうミカサが考えているような様子はなかった、彼もミカド同様あまり深く考えない。

「ウエクサもてるよな」
「よな」

二人して出入り口へ視線を泳がせると、わずかに開いた扉の隙間から見える姿。
残念ながらミカドの方向からではウエクサしか見えなかった。

他の男子がにやにや見ているのも気づかずに、ウエクサはいつも通りに話しているだけ。
違ったり同じだったりする女子を、ミカドもミカサも他のクラスメイトも見ている。
誰一人、特別変わること無い同様の態度には、この最近気づいた。

「彼女?」
「うん」

ミカドが何でも無いように頷いた。
反対にミカサは少し顔をゆがめる。

「三人?」
「愛は平等らしい」

確か、と泊まった日に話した内容を思い出しながら言うミカドに、ミカサは形容しようの無い顔を浮かべた。
世界が違う、そう呟いて彼はミカドの机に突っ伏した。
彼らが知っている限りでは、ウエクサを呼び出したり声をかける女子は三人。


前に一度、ミカドとミカサ、二人で話していたことがあったのだ。
教室まで女子が、しかも中に入らずわざわざ扉の前へ話しにくることは、ひどく目立つ。
それだけならミカドもミカサも気にはしなかったかもしれないが、そういう子の相手決まっていたこともあって周りがどうしても大げさに囃し立てた。
自然にしていれば勝手に耳へと入ってくる程度には、毎度毎度大きく、主にウエクサやミカドたちとも別のグループの男子が騒ぎ立てる。

だから彼らは、退屈しのぎに、騒ぎ声を頼りにして彼を訪ねてくる人数を数えていた。
そのとき彼らが確認した彼女の数は、今日のカコちゃんと呼ばれていた女子を含めた、三人。
数ヶ月経った今もたまに二人で数えてみるが、その数は変動することは無く、いつも女の子は可愛くウエクサを訪ねてくる。

分け隔てない態度で接されていることを相手は知っているんだろうか。
そんな風にミカドたち数人で話したこともあったけれど、それは誰が知るわけでもないことで、会話は終わってしまっていた。


そのため、泊まった日にミカドはちょうど良いと、相手が知っているのかどうか、ウエクサに聞いた。
別に隠すようなことでもないと答えたウエクサの顔は、本当に悪気のなさそうな顔だったなあと思い出す。

恐らく、悪いとは思っていないのだろうとミカドは結論づけていた。
愛は平等にしているつもりだから。
そういって笑った顔のどこにも嘘はない風に、彼には見えていた。

「器用だな」
「だな」

そこまですれば彼女出来んのかなと、ミカサはため息を吐き出す。
ぼけっとしたミカドに声は届かない。彼の思考は、一昨日の夜にある。


「あいつの愛情って何分割だろ」


ミカドが唐突に呟いた言葉に、ミカサはハテナを飛ばす。
また唐突、なんていう言葉は出てこない。

最初の頃こそ彼の文脈のなさに驚いて困惑したものの、ミカサはミカドと入学時に知り合ってもう2年目に入っている。
たまに喋る成果もあってか、多少ミカドの話は理解出来るようにはなっていた。

それでもこうして、不意に飛んでくる言葉はミカドの補いを待たなければわからないけれどとミカサは口をつぐむ。
するとすぐにミカドは気づいた風に、目を動かして頭の中を整理し始める。
言葉が足りていないことに対する自覚は彼にあったから、ミカサはそうする。
ただどうにも、緩慢気味な動作は見ていて少し急いでほしいと笑った。

「愛情全部を一って考えたらの話」

上手く頭の中が片付いて、ミカドはミカサに補う言葉を発する。
手前の発言は、そもそもの前提を話していなかったから通じていなかった。

「ああ」
「おうよ」

ミカサの納得した声に、ミカドは言葉を重ねる。
そして少しだけ意味も無く笑ってみせた、瞼は重いままでも。

「いっぱいそうだな」
「だな」

今の時点で三人。
最低でも三分割は確定したと互いの頭で処理をする。
学校の中、もしかしたら同級生の中だけで三人だとすると。

「すげえな」
「な」

他にも居る可能性をミカサは考えて言ったのだが、ミカドは既に考えることをやめていた。
関心が別に移っていて、視線はもうミカサにも、扉近くのウエクサにもない。

空だけの方向、正しくは日があるだろう位置の方向。
雲がちょうど良くほぐした明るい外の光を見つめながら、ミカドの瞼はだんだんと下がっていく。

「お前眠い?」
「ねむい」

もう彼の目は開いていない。
トーンが沈み始める、ぼやぼやした声に変わり始めた。
机につけた肘に頬をのせて、うつらうつらとしている。


ずっと今日、朝からこの調子だったなあとミカサは思い返す。
もう昼だというのに、まだ眠気が覚める様子はないらしい。

空腹ではないのだろうか、そんな疑問がミカサの中で巡る。
この時間は、よく一緒に寝ているミカサでさえも眠気はさめているというのに。

「朝日は?」
「見た。綺麗だった」

またこれだ。
即答する彼に、ミカサは笑う。

ミカドの朝日に対しての思いは、ミカサにも何故だかわからなかった。
ミカサが知っている彼がはっきりと意識を持つ瞬間と言えば、朝日が一番にでる。
あとは、喧嘩ぐらいのものだろうか。

「空と結婚したい?」
「朝日と結婚したい」

ミカドはまた間髪いれずに答えた。
普通の空は空だけれど、朝は格別。
彼が何度か、ミカサに言った言葉。
昼でもなく、夕方でもなく、ただ朝でなければ。
ミカサにしてみれば、おかしなこだわりにしか過ぎない。

「ばかだ」

ミカサの大げさにあきれたようなポーズを、軽くミカドは睨むだけにした。
睡魔が無ければ、こんなからかいにはもう少しくらい手が出ただろう。

そんなことは百も承知しているミカサは、あえてこういう時にしかからかわない。
ただの冗談ですまないことがあることも知っていれば、喧嘩して楽に勝てる相手でもないことも知っていた。


「おまたせ」


一通り話し終えたウエクサが、ミカドの席の元まで戻る。
ふよふよした変わった色の頭は、今はクラスメイトに埋もれること無く、ウエクサの目を引く。

どう染めればこんな髪色になるのか、皆目見当もつかない。
軽く触れようと無意識に伸ばした手がその髪に触れる前に、頭は動いた。

「ウエクサ」
「ウエクサ」

見上げる顔は二つ、手は出来るだけ自然に元の位置へ戻した。
それにしても、と笑う、年よりもだいぶウエクサにはその二人が下に見えた。
今の自分たちにはもうない幼さを持っているような呼び声とあどけない表情。

「なんか増えてるし」

彼の知っている二人の噂をにおわせるものは、そこにはない。
今、ウエクサの頭の中で噂から推測した姿は、せいぜい小学生の喧嘩の想像がやっと。
違うことを彼は知っているけれど、近づかないでおこうと頭の隅で思っていた噂の二人には到底見えない。


特に、そう思って眠そうに大口を開いてあくびする彼の顔を見て、ウエクサは笑った。
これのどこがどうなれば。噂に聞いた暴君っぷりに当てはめることの出来ないミカドの姿。

彼ら二人、授業態度という面では悪いのは十分見て取れる。
けれど、喧嘩に明け暮れている、肩があたっただけでボコボコに殴る、病院送りが何人か、尽きない噂とは別人過ぎるようにウエクサには思えた。

それがまだ見ていないだけなのか、単に人づてに伝わるうちに大きくなっただけの噂だったのか。
いつかはその判断がつくだろうと、彼は考えることをやめた。


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