oneweek > 世界を救おうキャンペーン



「愛ってなんだろうねミカドくん」

はあ、とため息でも吐きながら顔で呟かれた言葉に、呼ばれた男の目が開いた。
まだ瞼を重そうな目は緩慢に動いて、隣に座った男を見る。

「なんて?」

大口を開けたあくびの後に出された、かすれ声。
涙腺から目尻に押し出された涙が、ミカドの目を潤す。
少しだけ視界が歪んで、二、三度瞬きをすれば通常通りに戻る。

そうして、ミカサの顔へミカドがピントを合わすと、彼の右頬が変に赤い。
ああなんだ。それを見たミカドが心内で呟いた。

「男の人って愛がいっぱいあっていいよね! ってビンタされた」
「どんまい」

恐らく彼女の声色を真似たミカサを尻目に、ミカドは再び腕枕を作った。
彼のこの手の話はよくされているもので、彼の関心は初めからずっと無いままだ。
また別れたんだろう程度に思って、さっきまでいた夢の中に戻ろうと頭を落とす。

そうしたミカドに対して、ミカサは慣れたように彼の髪を掴んで強引に持ち上げる。
あまり痛くないようにとした配慮で、髪の根元へ指は差し込んでいる。
前に毛先を引っ張った所為で殴られたことを、まだミカサは覚えていた。

「ねむい」
「傷心中の友達の話を聞いてあげようとは思いませんか!」
「ねむい」

仰々しい口調の彼に、ミカドは一段階落とした声と睨みで抗議する。
強引にうつ伏せての無視でも良かったが、掴まれている髪でそれは叶わない。


「そんなこと言わずに」


剣呑な空気さえ漂い出したミカドを見ない振りをして、ミカサは口を開く。
軽い調子の声をかけて、これ以上刺激しないように努めることも勿論忘れない。

ただ、髪から手は離しておいた。
此処でまた突っ伏して寝てしまうようなら、これ以上粘っても駄目だ。
他を探した方が良いだろうと、次の候補までミカサは頭に並べておく。

彼相手にあまりしつこくすると、最悪、喧嘩沙汰まで発展してしまう。
ミカドとの接触においてのボーダーを、何となくであるが彼は掴んでいる。


そして、髪を離されてもミカドは頭を降ろさなかった。
ふわふわと、表現しづらい色の髪が風で揺れる感覚を、目を閉じて楽しむ。

「本題もどすけど」
「うん」

目を閉じたまま、ミカドが頷いた。どうにも彼の瞼は重かった。
けれど眠気があるわけではなく、逆に少しずつ遠のいていく。眠ることは諦めた。


「愛って何だろうって思いまして」


真剣な顔を作って、ミカサはミカドへ語りかけた。
語りかけられた本人は、相変わらず目を閉じている。

少し間を置いてミカサが顔を崩した時、ミカドが目を開いた。
ぱっちりとはまだ開かず、未だぼんやりとした目のままでどこを見るでも無く開いている。

その様子は不眠を疑うほどだけれど、ミカサは先ほどの授業で彼がずっと寝ていたことを知っている。
さっきだけでなく、他の時間も。日常的に、彼が居眠りをしていることを知っている。


少しの間、ミカサの問い答えは帰ってこない。
ミカドが真剣に彼の言うことを考えているのかというと、違う。単に大きなあくびをしているだけ。

のんきな、なんて息をミカサが吐く。こうしていれば、無害そうな顔であるのに。

「あれだろ」

あくびを腹の底から出し切ってから、ミカドは目を開いた。

「世界救う奴」

同意を求めるように、ミカドがミカサへ視線だけ送る。
冗談と真剣の間の声で、彼は言ってみせた。

「世界救うか」

ミカサがミカドの言葉を繰り返す。
満足そうにミカドは頷いたから、ミカサもそれに対して頷き返した。

そうかー、とその言葉を飲み込むように、ミカサはさらに数回、頭を上下に振る。

「すげえな愛」
「すげえよ愛」

さすがだなあ。
二人同時に呟いて、笑った。
単なる馬鹿話に過ぎない。

傷心中だと言っていたにしては軽いなんてことを、ミカドは言わない。
ミカサにとって、そんなこと暇つぶしの口実でしかないことなんか彼にはわかっている。


「あの…、ウエクサ、くん!」


見知った顔の名前が呼ばれるのを、二人が聞き取った。
こうやって彼に声をかける子は、大体、教室の扉の辺りで恥ずかしがる。
その常通り、今日こうしてやって来た子も頬を赤くして立っていた。
またかなんて嫉妬を含む目と、お熱いねと茶化す目が、一斉に彼女と名前の主へ寄った。

けれど呼ばれた本人は、それらの視線を受けても焦る様子は見えない。
何でもない様子で一度ロッカーへ向かい、そこから一冊取り出して、ようやく、耳まで赤らんだ女の子の元へ。

「美術だったよね」
「うん! ご、ごめんね!」
「いいよ。役に立てて嬉しいし」

対応するウエクサ自身の表情は、いつもと全く変わりもしない。
窓側に座るミカドから表情は見えづらいものの、そんなことは簡単に想像がつく。

彼は、手慣れているの一言に尽きる。
初めて見る彼女の慣れてない様子との対比で、余計にそう見えていた。

彼女また増えたのかなと片隅でミカドは思ったけれど、まあいいかなんてすぐに流す。


「ウエクサって愛の塊だよな」


彼と自分は何が違うのだろう。
不平感をあからさまに顔に出しながら、ミカサは声に出した。
彼女が推定四人目彼女でなくても、将来的な四人目になることは見え見えだ。
自分なんてたかが二股しかしていないのに、なんて不服が言葉に隠れている。

「めちゃくちゃ世界救えるな」

対してのミカドは、黒板の上にかかった時計と時間割を眺めていた。次の時間も厳しく注意してこない教科だと確認する。
これなら教室から出なくとも大丈夫だろう。そう思いながら頭の中で、一学期内での休める出席数を計算してから終わった。
彼の今日は平和だった、彼が意識できる記憶の中では。

「ウエクサすげえな」
「すげえなウエクサ」

感嘆の言葉に同意。二人ともが同じように彼の背中を見る。
ミカドが、ヒーローになれるよ、なんて言葉さえ飛ばして、愛の伝導師だな、なんてミカサは笑い返した。


「で、喧嘩売られたって?」
「そうだった」
「忘れてやんなよ」

記憶外にあった意識が、彼の頭へ蘇る。
自分よりも数センチ高い影が自分にかかったこともあったなあ。
まるで昔のことのようにミカドは振り返る。数時間前の出来事を。

「もうぼこった」

済んだ話だと、どこも痛まない体を伸ばす。
ばきぼき。空気の音が間接から鳴り響いた。
体育か喧嘩かでしか動かす機会のない体でも、まだ鈍りは見えない。

「何で絡まれたよ?」

呆れた顔つきのミカサが問う。

また喧嘩を売られていた、と友人に話を聞いたものだから、てっきり今回は後回しになったのだろうかと思ったのに。
少し楽しみにしていた所為で惜しむ気持ちが出るが、彼はこうあるものだから仕方ないとも納得はしている。
こんなに手の早いからこそ、この男はこうも噂が立つのだし。

「どかってなった」
「どかっ? 蹴ったの?」

ミカサの内心を知らないミカドは、音で端的に表すだけ。
彼の言う数時間前のことは、ミカドにしてみれば、喧嘩とも言えないただの出来事でしかなかった。
あんなに張り合いのないものは、彼にとってせいぜい小競り合いくらいの認識しかされていない。


「どかって来て、いらってなったから、どかったら、あ? ってきて、あ? ってして、がんってやったら、ばたって」


その結果の、説明。
一連の流れを思い浮かべながら、ミカドは直接言葉を口に流す。
特に頭も回さず、擬音ばかりの羅列で実際にあったことを言語化した。
一つ一つの耳に残った音とぱっと当てはめた音で、彼は全部の思い出を表現してしまう。つまらなかったという感想は含めなかった。

けれど、その場面を見たわけではないミカサには、何も想像出来ない。
取り留めなく並べられたようにも聞こえる声や音では、頭の中でなかなか動いてこない。

「ミカドさん正しい日本語喋って」
「? 英語喋ってねえよ」

そうじゃなくて。
思わず唸りだしたミカサをミカドが怪訝な目で眺めた。
明らかに自分の出した言葉は今まで使用してきた言語であり、流暢な発音方法を気にするものでは無い。

「た、だ、し、い、日本語」

わざわざ言葉を区切って、正しいを強調したミカサに、きょとんとした目が向く。
喋ってるだろ、と言わんとした顔にミカサはわざとらしく目に手を当てた。

「え、通じてんじゃん」
「通じてないから言ってんだけど」

なおも主張するミカドの額を、人差し指で軽く後ろに押した。ふよふよ揺れる髪ごとミカドの頭が動く。
この中に脳みそは本当に詰まってるのかなんて口には出さない。顔だけに出す。

「ん?」

それも一切わかってない顔でミカドが疑問符を投げたら終わり。

「ん?」

同じようにミカサが繰り返せば、ちょうど良く授業開始のチャイムが鳴った。
それを合図に、ミカドの賢い体は眠気を取り出す。
横から前へと移動するミカサを見送って、目を閉じた。

次第に音が消えて行く。
己の心音だけに落ちる。


「ミカドへの好きは一分の一でしかないよ」


あれも愛なのか。彼の形の。

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