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小さな書店を出た後も、大和の案内は終わらなかった。
あの一日と次の日、二日間かけて一通り、彼と練り歩いた。
数日経った今じゃ社務所は勿論、他もほぼ一人で行ける程だ。


一通りを歩いて、彼の言葉に耳を傾けた数日。
妙な懐かしさばかりに、ようやく違和を感じだした。

此処で見るものはどれも、一昔前のものばかりだ。
自分が幼い頃に馴染んだもの、たまにそれよりも古いもの。
ブラウン管の分厚いテレビ、置き去られた折り畳まない携帯電話。
パソコンも見かけたが、分厚いし、何より画面の小ささに驚いた。

まるで時の流れが止まっている。
一人だけの時に、ゲームのある家とスーパーも訪ねた。
そこにあるパッケージの全てが、知っている今とはかけ離れていた。


ゲームだけなら古いゲームが好きな人の、などと思うことも出来る。
でも、スーパーは。中身が食べられる状態のものばかりのあの店は。
現に古いパッケージのものを、何の戸惑いも無く大和は口に含んでいた。

一体いつで止まってしまっているのかはわからない。
物に賞味期限も書かれていないし、新聞も見かけない。
テレビもなく、パソコンも。何も、情報源が無かった。

それでも、何となく僕は此処に馴染んでいた。
ただただ動物の声と自然の音だけで、安心する。
追われること無く、焦ること無く、ただ生きてる。


それに此処は一人じゃない。

頭に浮かべたのは、儚い姿。
家族以外の、僕の話し相手。

大和は最初から、少しずつ元気をなくしていっている。
日を追うごとに、彼が苦しそうな顔をすることが増えていた。
自分が見ていると知れば、すぐに誤摩化されてしまうけれど。

わけのわからない状況にまいっているのかと、少し思う。
少し、弱音を吐くだけでもと、話を振ったこともあった。
それでも、僕に気を使ってなのか、いつも話はやんわり逸らされて終わる。


同じ状況の自分たち。
その中でこうも、精神的な差が出てきている。
大和に、僕は無理をさせているのかもしれない。

縁側に座ったまま、ため息をついた。
上手く立ち回れない自分は、迷惑ばかりかける。

何か、せめて気を紛らわすことだけでも。
落ち着いた緑の庭を眺めながら、また考える。
あの沈黙から、毎日、思考の端で考えている。

好きなことは人間観察、趣味は読書。
食べ物の好き嫌いは無くて、どちらかというと辛党。
少しずつ知っていった彼のことを、頭の中で繰り返す。

でも。


「くそ…」


一週間経っても、何も浮かばない。
同じ時を過ごす彼に、どう力になればいいのか出てこない。

庭に落ちる水の音と姿のない小鳥の鳴き声。
立てた膝に頭を乗せて、目を閉じる。
こみ上げる無力感が、胸を刺した。


本当は、もう人と関わりたくないと逃げたのに。
此処に来る前のことを、一人になれば思い出す。

学校は座っているだけで飛んでくる、からかいと嫌悪。
何も出来ない。どんくさい。野暮ったい。鬱陶しい。
それが嫌で変えようと頑張っても、空回るだけ。

家に帰れば、二年後の進路の話。
この成績だと、もう少し、あそこの塾が。
僕の将来のために声をかけてくれる両親。でも僕はそれに応えられない。

何一つとして期待に添えない。
迷惑ばかりで、何も出来ない。
だから、それならと、もう人との縁は繋がないつもりだったのに。


大和との縁だけは、それでも切りたくなかった。
混乱の中、優しくしてもらって、丁寧に僕と接してくれて。

まるで僕を受け入れてくれているかのような、大和。
その彼とは、迷惑をかけるとわかっていても、距離を置きたくなかった。

今、彼と過ごす日々が本当に心地いい。
彼に無理をさせる原因が僕でも、このままと我が侭が浮かぶ。

それでも、此処を教えてくれた彼には深い感謝がある。
世話を焼いてくれて、穏やかに受け止めてくれて。
その恩を返したいと思うことも、事実だった。


なのに。
解決策の出ない頭に、項垂れる。
とことん、僕は駄目な人だった。

沈んでいく思考に嫌気がさす。
こうして鬱々したいわけじゃない。
僕は彼のために、何が出来るだろうか。


「祐樹(ゆうき)」


丁度そのときに、大和に呼ばれた。
廊下の手前から、彼が手招きをする。


「まつりがあるよ」


彼の澄んだ声の後に、和太鼓の音が続いた。


***

社務所で聞いた和太鼓の音は、外に向かうにつれて大きくなる。
居ないはずの人の喧騒と、どこか音の外れた笛の音が近づく。

「わ!」

いつの間にか暮れていた日に、赤い提灯。
神社から集落へ向けて、夜店が煌煌と立ち並ぶ。

最初から見ていこう。そう大和が手に触れた。
少しひんやりしたその手を掴めば、喧騒がより近づいたような気がした。
視界には、祭りを楽しむ人も、夜店番の人も誰一人として見つからないのに。

神社へ続く石畳を、逆に辿っていく。
りんご飴、金魚すくい、お面、射的。
神社の鳥居まで、早歩きで僕たちは戻る。


そうして長い階段まで歩いて、改めて敷地を見た。
綺麗に並んだ赤提灯は、まっすぐに神社まで続く。
その線の下を、屋台が軒を連ねている。

「昼には何も無かったのに…」

昼間に通ったときには、石畳に木陰が落ちるだけだった。
厳かな雰囲気のままで、神社が静かに佇むだけだったのに。
今はすっかり雰囲気を変えて、賑やかな空気が此処にある。

提灯からは、ゆらゆらと揺れる赤が落ちる。
夜店はきらきらと赤青緑、様々な色がきらめく。
人の居ない違和感はあれど、それ以上に此処は、綺麗だった。

「ね、ほら、見に行こう?」
「え、」
「早く」

大和にしては珍しく、強引に動き出す。
いきなりのことに石畳につまずきかけながら、ようよう足を踏み出した。
ざあ、と前から吹き込んだ風が、香ばしいような甘いような匂いを運ぶ。

わたがしがいいな、なんて隣から弾んだ声。
りんご飴もいいんだけど、少し時間がかかるから。
そう言う楽しそうな横顔が見えて、なんとなく頬が緩んだ。


結局、焼きとうもろこしに綿菓子、カステラ焼きとを二人で分けた。
途中に大和の提案でヨーヨー釣りで勝負をしたけれど、負けてしまった。
彼は辿々しいながらもすいすいつり上げて、僕はこよりが水について。ただただ悔しい。

遊ぶ中で、どの店にも相変わらず、人の影は見えない。
それでも夜店にはできたてが並んでいたり、大和がどこからか見つけていたり。
どこか不思議な感覚が離れないまま、楕円型に焼かれたカステラ焼きを頬張る。

少し焦げたものは、今まで馴染んできた味と違う素朴な味。
それでも、これはこれで十分に美味しかった。


「あ、」


古いパッケージの商品が並んだ棚に、目が止まる。
自分たちの前には、輪ゴムがセットされたプラスチックの銃。

「大和、今度は射的で勝負しよう!」

少し前を歩いていた彼を引き止めた。
射的ならばほんの少し、自信がある。
負けっぱなしは、なんて少しの維持だ。

振り返って微笑んだ彼は、一度だけ頷く。
やった、なんて漏らした僕を見て、彼は少しだけ、目を細めた。
その目に初めて会った日の沈黙の色が見えて、はしゃいだ心が止まる。

「やまと?」
「うん、射的やろうか」

けれどその色は、すぐに消えた。
弾んだ声が戻って、彼は僕より先に的を絞り出す。

「何回勝負にする?」

むしろ、そういって得意げに笑ってさえいた。
見間違いだったのだろうかと、頼りない頭を思う。

ただそれも構えがヨーヨーよりぎこちないことに、吹き飛んだ。
得意げな顔と、不慣れさの滲む構えに思わず吹き出してしまう。
不思議そうな目がこちらに向いたけれど、何でも無いと誤摩化した。

「一発勝負で!」

そう叫んで、自分も狙いを定める。
どれが取りやすいだろうかと、一つ一つ見極める。

箱物、筒、小さな猫の人形、ライター。
まっすぐ伸ばしやすい棚、その中の多分、猫なら。

慎重に照準を合わせて、そして故意に少し下にずらす。
そしてズレないように引き金を引けば、軽い輪ゴムの跳ねる音。
見事当たったようで、目の前で猫の人形が後ろへと倒れたのが見えた。

「すごいな」

大和は駄目だったらしい。
僕が当てた猫を取りに、彼が夜店の中へ入る。


「ねこ、…」


大和がそう呟きながら、下に屈んだ。
探し物を言うような声でないのが気になって、つい尋ねる。

「ねこ好き?」
「ぼくじゃないよ」

下に落ちていた猫は、どうやらすぐの位置にあったらしい。
ひょいと持ち上げられて、僕の目の前に差し出される。

「家族がすきだったのを、思い出しただけ」

手渡された猫は、ころりと手の平で転がった。
その顔は手書きなのか、随分とふてぶてしい。

「昔は飼えなかったけど、今はどうだろうね」

他人事のように呟いて、彼は夜店から出てきた。
あまり踏み入るべきでないように見えて、口をつぐむ。
誤摩化すように持っていたカステラ焼きを一つ、手渡した。


***

「ここで終わりだ」

神社の目の前に来て、最後の夜店にさしかかった。
そう長くない道のりのはずなのに、随分と楽しんだ気がする。

久しぶりの夏祭りだった。
近くに神社はあるが、祭りはしばらく行ってなかった。
誰かと祭りになんて行くのも久々で、とても、楽しい。

神社の縁石に隣り合って座る。
先ほど買ったかき氷を、シャクリと口に含んだ。


「気は休めた?」


驚いて彼を見れば、優しい顔が微笑む。

「ずっと、縁側で難しい顔してたね」

見られていた。
その事実に、思わず苦いものがこみ上げる。
大和について悩んでいたのを、彼自身に見られていたなんて。

わかりやすい自分の性格が、嫌になる。
もっと考える場所ならあったはずだ。
心配をかける行動を今更に後悔した。


君を責めたいわけじゃない。
彼が柔らかな声で、告げる。
かき氷を持つ手に、彼の手が触れた。


「帰りたい?」


そして問われた言葉は、飲み込めない。

「かえり、たい?」

思わず繰り返した僕へ、大和が寂しそうに頷く。
ひどくゆっくりした動作で、それでもまっすぐ。


帰る。その一言が心に落ちた。
ああそういえばと、今になってようやく思い出す。
僕たちは此処に元々居たわけでも、自発的に来たわけでもない。
今の今まで忘れていて、だから帰るだなんて考えもしていなかった。

此処の穏やかな時間と、大和とゆっくりした会話は心地いい。
他に誰もいないことは不思議でも、恐怖があるわけじゃない。
だから此処を拒絶する気が、そもそもなかった。

そうして自然体でいるうちに、一日が終わっていた。
この一週間、そんな毎日になっていっていた。

「あっちに帰りたいって。元居た場所に」

振り返っていた僕をどう解釈したのか、彼は言葉を加える。
さっきまで弾んでいた声は鳴りを潜めて、ひどく静かな声。

元居た場所、なんて考えて、瞬間的に体が強ばった。
あんな空間に、再び戻らないかと彼は尋ねているのだろうか。
どうしてそう言わないのか。そんな意図すら裏側に滲ませて。


まるで突き放すような言葉に、胸が痛んだ。
僕は、大和とかなり親しくなれたと感じていた。
これまでの友人よりずっと仲が良くて、離れがたくすら思うのに。

「大和は、思うのか?」

しかし彼は、そうではないのだろうか。
そんな怯えを聞いて、大和はただただ静かに僕を見た。

けれどそれは大和だけじゃなかった。
さっきまで響いていた喧騒は止んでいる。
あの腹に響くような和太鼓の音、雑踏の声、夜店の音、何もかもの音が止まった。

彼と、周囲が同調する。


「ぼくはもう帰れないよ」


まるで泣きはらした後のような、かすれた声だった。



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