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「…い、ねえ、」

瞼が重かった、体がゆれる。
耳元で声がしてる。声。しらないこえ。

鼓膜を震わす声が段々と大きくなった。
同時に、ゆっくりと浮ついた感覚が戻っていく。


「起きて」


体が強く揺れて、ようやく目を開けた。
すぐ傍には腕。
そう認識すると、振動が止んだ。

まだしっかり開かない目を擦る。
誰に起こされたのか見上げれば、長い髪。

なんで女子が?
まだ眠気を引きずる頭が疑問を飛ばす。

でもすぐにその考えは打ち消した。
ここは男子校だ。居るわけがない。
もう一度確認してみると、今朝見た転校生の顔。


「起きた?」


転校生の声は、ぼやけた状態で耳に入る。
ぼーっとしたままで頷けば、転校生は俺の頭を撫でた。

何故起こされたんだろう。
固まった体を伸ばしながら、考える。
俺と転校生二人の席は、特に近くはない。

そして周りを見渡せば、誰もいなかった。
頭を振り、残っていた眠気を飛ばす。
そこでようやく頭が完全に起きた。

「次、移動だよ」
「あ、」

転校生の声で、状況を理解した。
覚えている時間割を思い出しながら、移動する教科を探す。
確か、技術室だったはずだ。
ようやく楽な授業が来たことに気が抜けて、あくびが出た。


それにしても。
誰もいない隣や前の席を見る。
小田も長谷も起こしてくれなかったんだろうか。
大概は二人のどちらかが声をかけてくれるのに。

長谷が朝のことを根に持ったのだろうか。
憶測ではあるが、おそらく正解だろう。
変な自信がある。

「そろそろ行かないと、」

気づかなかったが、教室の入り口に背の高い人影があった。
こっちを向いた顔で、転校生の片割れだとようやくわかった。
話しかけるその言葉は途中で切られ、俺を見られた。

「あ、起きたのか」

安心したように、低い声が言う。
短髪の方にも心配をかけていたようだった。

それに対して、謝罪と感謝を矢継ぎ早に返す。
二人をこれ以上待たせないためにも、すぐに席を立った。
教科書は、教室後ろの荷物置きのどこかにあったはずだ。

そう思いながら、固まった体をほぐすために腕を掴んで伸ばす。
ばき、と軽い音が静かな教室に響いた。
それに続いたのは、転校生二人共の笑い声。

「なに?」

何か変なことをしただろうかと思い返す。
寝起きの自分には何も見当がつかない。

「いや、面白いなって」

笑いを押し込めた様子で長髪が言った。
面白いと言われても、ピンと来なかった。
したことと言えば、あくびと伸びくらいだ。

「伸びが?」
「そう」

一応の確認をしてみたら、まさかの正解だった。
いまいち自分には、どう面白いのかわからない。

確かに小田にもそれを言われたことがあった。
猫みたいと表現されたことは覚えている。
でもどうにも腑に落ちず、結局馬鹿にしてるのかと蹴った思い出だ。

転校生に対して、小田と同じように接するのは気が引けた。
なにせこれが初めての会話になっている。
正直、どんな距離感で話せば良いのかわからない。

「そっか、……ありがとう?」
「いえいえ」

一応、感謝を告げておく。
疑問符付きにはなってしまったけれど、長髪の人は気にした様子はない。
俺に向かってにっこり笑った。

「はいこれ」

そして、何かが俺の方へ差し出された。
見てみれば、技術の教科書だった。
資料集まできちんとある。

「え」
「技術室、いこう?」

この人は優しい人だと、少し感動した。
わざわざ取って来てくれて、親切な人。


「おーい」


教室に突然、聞き慣れた声が加わった。
視線で辿れば、教室の入り口に涼がいた。
短髪の前に立って、こちらを覗き込んでいる。

「涼?」

涼はそこで俺に気づいたらしい。
目があって、あ、と口が開いたのが見えてとれた。

「お前、まーだいたのかよ」

涼が足を踏み出す。
近づいて来る間も、彼の目が俺を見続ける。

一歩、近づかれるごとに体が強張った。
なんとなく背筋が伸びて、肩に力が入る。
どんな顔で、何を話せばいいのか。
今更外せない視線に、気まずさが頭の中で巡りだす。

早く、視線をそらせておけば良かった。
そんな後悔が、心の奥底からこみ上げる。


突然、涼の歩みは止まった。
あと数歩歩けば、彼は転校生と俺の元にたどり着く距離だった。

「寝ぼけてねーで早く来いよ?」

涼は目を閉じて、それだけを言った。
短く返事をして、涼の目が閉じられているうちに目をそらす。

気まずさは心に残っていた。
そしてそれは、おそらく向こうも同じだった。


幼なじみ。
涼と俺を表す関係は、そんな名前なのだろう。
確かに、幼い頃には近い存在だったのは事実だ。

今は、一時よりは近づいたと言っても、特別親しくはない。
小田や長谷の方が、気負わずに話すことができる。
仲が良かった頃、どうやって何を話していたのかもわからない。
正直なところ、彼とのやりとりにおいて戸惑いは消えていない。

「拓、ひいらぎ。オレ、先に行っとくから」
「あ、うん」

涼は、足早に教室を出て行った。
転校生二人が、怪訝そうにしたのを肌で感じる。
感じたところで、説明する言葉は持っていない。

涼と俺が離れたきっかけは、誰にも言えない。
あまりにも一般的ではなく、異質な出来事だ。
好んで思い出したいことでもない。
意識を机の中から筆箱を探すことに切り替える。


それにしても、転校生も涼と一緒に行けばいいのに。
そらしていた視線で伺い見れば、どちらも相変わらずそこにいる。
目の前にいる人を見上げた。
教室に用でもあるのだろうか。

入り口を見ていた彼の目が俺に気づき、笑みを作る。
俺がいるから、彼がここを動かないのだとようやく気づいた。

「ごめん、もう大丈夫だから、」
「いいよ、好きでいるんだし」

待たなくて良い、とは続けられなかった。
半ば食い気味の発言から、断るのも難しい。
椅子を引いて、彼が差し出してくれた教科書を持ち直した。

長髪の転校生はそれを見て、やっと出口に向かい出す。
待たせないように、早足で机の間を縫っていく。
途中、急ぎ過ぎて机の角に体が当たったけれど我慢する。

「大丈夫?」

すぐに大丈夫、と返事を戻した。
音はさほど大きくなかったと思ったが、聞き取られたらしい。
慌てた結果だっただけに、少し恥ずかしい。

「急がないとだね」
「ん」

頷けば長髪がまた、次はくすぐったそうに笑った。

接してみると、第一印象だった女性的との印象は薄まった。
笑顔が多く、愛想がいいのは十分見て取れる。
その口から紡がれる言葉も柔らかく、低すぎない声が伴う。

けれどこうして並び立つと、意外と体つきがしっかりしている。
前を歩く背中が特別広いわけではないが、小さくもない。
がさつではないだろうが、繊細さともどこか無縁のように感じた。
何となく、一緒にいて安らぐ感覚はあった。
よく笑うようだが、騒がしいわけじゃない。
ただ穏やかで、このクラスにあまりない雰囲気だった。

こういう性格をどう表すかを考えるけれど、思い当たらない。
長谷とは逆のタイプだということは、しっかり理解する。


廊下では、変わらず短髪の人も待ってくれていた。
待たせたことに謝罪すると、軽く左右に頭を振られる。
表情は硬いものの、そこにマイナスの感情はなく、少しだけ安心した。

時計を見ると、割と危ない時間になっている。
それでも早足で歩けば、間に合わない時間ではない。
転校初日の二人を俺の所為で遅刻させるわけにもいかない。


技術室まで急ぎつつ、三人で廊下を歩く。
教室がある区間は、同級生が物珍しそうに転校生二人を見る。
転校生の噂は自分のクラスだけが盛り上がっていたわけではないらしい。

一緒に歩く自分にすら視線は向いて、やや鬱陶しい。
転校生本人であれば、一層視線の数は増えるだろう。
そうやや後ろを伺い見れば、短髪がどこか肩身が狭そうでやや呼吸が浅い。

もう少しの距離で、特別棟には入れる。
教室のない特別棟に入れば、基本的に授業で使う教室以外の人気は消えるが……。

あえて、急いでいた歩調を緩めた。
隣を歩いていた長髪が不思議そうに俺を見る。
やや後ろを歩いていた短髪に並び、教室側についた。
安堵するような息を、片耳が拾った。

「こっち?」
「そう」

特別棟へ曲がる角を、長髪が確認するので、頷いた。
転校生に前を歩かせるのは忍びないが、特に複雑でもない。
けれどどうやあら彼らにとっては知らない道には違いなかった。
曲がり角に入る辺りで、長髪が何も言わずに後ろへ下がった。


「そういえば、」


二人に向かって、涼が言った名前を今更に思い出す。
たく、ひいらぎ。聞き取った限りではそう呼んでいたが……。
自信はないが、ひいらぎという名前ではなかったように思う。
横耳で聞く程度だったけれど、そんなに変わった名前ではなかったように思う。

「どうしたの?」

後ろから、長髪が聞き直す。
短髪も聞き返しはしないものの、俺を不思議そうに見る。

問題は、どちらをどう呼んだかを俺が覚えていないことだった。
名前を覚えていないことが失礼だと重々承知している。
言い訳するなら、まさか初日に関わるとは思っていなかった。

どうすれば覚えていないことを誤摩化せるか、思考を巡らせる。
両方に言うようにすれば。
思いついた方法で、バレないことを祈りながら口を開いた。

「ひいらぎって?」
「ああ、それ?」

教科書を持って来てくれた人が、声を出す。
長髪が"ひいらぎ"らしい。転校生の名前を改めて確認する。

それでは今、隣を歩く短髪の彼が"拓"なのだろう。
そう見上げた際に、思わず目が合った。
何を考えているのか、あまりわからない表情で見られる。

「柊(ひいらぎ)の漢字で、"しゅう"だからだよ」

拓を見上げていた視界にひいらぎ、もとい柊が割り込んだ。
あまりにいきなりのことで、思わず目を見張る。

「なる、ほど?」

ついつい戸惑った声になったが、柊は満足したらしい。
もともと歩いていたとおり、俺と拓の後ろに戻る。

なるほどと答えたものの、正直、漢字はわからなかった。
ひいらぎに漢字があり、それはしゅうとも読める。
それを知識として初めて知った。


足を階段にかけた。
技術室は特別棟の二階の突き当たりにある。
見積もったとおり、開始にはギリギリ間に合うだろう。

けれど今の状況は、少しキツい。
時間というよりも、沈黙が痛かった。
さっきの会話のあと、話題がない。
正直なところ、特別棟まではにぎやかに騒がれて気にならなかった。
しかし今、ここには三人だけであり、音といえば淡々と歩く足音。それだけ。

何か話を振れば良いのかもしれないが、どうにも思いつかない。
いっそ転校生同士で喋っていてくれればいいとさえ思う。
俺がいても、気にして欲しくはなかった。


「ずっと名前、呼んでくれないね」


後ろでぽつりと柊が小さく零した。
聞き取ってそっちを見れば、また彼はにこりと笑う。

これは、と思わず少し視線を逃がす。
実は名前を聞いていませんでした、と、素直には言えない。
いや、いっそこじれる前に正直に言った方がいいのだろうか。

名前だけならば、先程のやりとりでわかっている。
だけど最初からそちらで呼ぶのは、あまりにも馴れ馴れしい。

あー、と音を出している間にも時間が過ぎる。
こうなれば。朧げにある自分の記憶を信じて、口を開いた。

「あの、ふじが、み!」
「藤川だよ」

自分の記憶力の悪さに落ち込んだ。
素直に最初から聞いておけば良かったと後悔した。
柊に怒った様子が見られないのが、救いか。

それでも間髪置かずの返答は、少し怖かった。
誰だって名前を間違えられるのは、そう後悔する。
もう一度、ごめん、と二人ともに聞こえるよう、謝った。


「じゃあ名前で呼んで」


楽しそうな相手の様子に、ぽかんとする。
一拍遅れて、言われた内容が頭に入った。
入ったけれど理解して、戸惑う。

「横山じゃなくて、海って呼びたいんだ」

名前を覚えられていることに驚いた。
名乗った覚えも無くて、けど嬉しかった。


「ありがとう、柊」


頬に熱が集まってくるのを感じた。
赤い顔を見られるのが嫌で、俯いて足元を見た。

その中で自然と、教室でのことを思い出す。
柊に起されなければ、多分授業に遅刻していた。
教科書も、後ろから持ってきてもらってもいた。

そのことに対して礼を言ってない。
今更だけれど言おうと口を開いた。


「ああ、でも拓巳は藤川でいいよ」


少し面白がるように、柊が言った。
ね、と振り返ってる声も明るい。
どうにも、短髪の名前は拓巳だったらしい。


そもそも、思うのは柊の言葉への疑問。
同じ名字で片方だけ名字はややこしくないんだろうか。

結局自分が呼ばれているかどうか、わからないような。
そう思いながら一度、柊の向こうにいる拓巳を伺う。
彼が名字呼びの方が良さそうなら、そうしよう。

そうして見た拓巳とは、また目が合った。
けど今度はすぐに視線がそれてしまう。
その拓巳の視線は、柊へと向かう。

「お前に、何かしたか?」
「え、特に気になったことは無いけど?」

柊が拓巳の方へ向いて、明るい髪が目の前でひらついた。
俺から柊の表情はあまり見えなくて、けれど少しだけ見れたそれ。

笑い方が長谷と被った気がしたけれど、きっと気の所為だ。
光の当たり方とか見え方とかがそう見せた、と振り切る。
同じわけないと脳内で言い切って、無理矢理に思考停止。


廊下の窓へと意識を逃がそうとしたとき、名前を呼ばれた。
柊でない声で確かに名前を、低い声の主。


「名前でいい」


僅かにため息をついていたように見えた。
何に、誰に向けられたものかはわからない。
けれど確かに、彼のその言葉は嬉しかった。

「よろしく、拓巳」

よろしくと返してくれた後、拓巳が微かに笑う。
すぐに顔がそらされて、その時に見えた耳が赤い。

そのことに、少し隠れて笑った。
柊が小さく、照れ屋だね、と笑いながら呟いた。


「あ、」


技術室まであと数歩の位置、ふと目に入った曇り空。
足を止めて空を観察する。二人は気づかずに先に進んでいく。

黒い雲が所々に混じるけれど、まだ明るい。
雨が降らなければいいのに、この分ならと憶測を飛ばす。
折りたたみ傘を持っていないし、洗濯物もベランダに干したまま。

降るなよ、そう願いながら曇り空を見る。
雲の流れは早くない今の調子なら、まだ。


その中で感じた、 寒気 。


すぐに振り返って、後ろを確認する。
後ろは誰もいない、近くの音楽室も空。
ただただ、静かな空間が広がっている。

けれど確かに感じた悪寒。
前に向き直れば、生徒が騒いでいる技術室。
賑やかな空間は、後ろと正反対な熱気がある。

その手前も、驚いた表情の二人が俺を見ているだけ。

「どうしたの?」

技術室へ入ろうとした姿勢のままの二人。
技術室の中は、変わらず人と声とで溢れている。


「なんでも、ない」


喧噪が少しだけ、離れた気がした。



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