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入り口の重いガラス張りのドアを通る。
閉まった後に、カチャリと自動で鍵の落ちる音。

入ってすぐにあるエレベーターに乗り込む。
箱の中は、冷房がもう入っていてひんやりとした。
上から数えた方が早い五階ボタンを選んで、押す。

緩やかな浮遊感、音もなく動き出した。
隅にもたれかかって、数字を増やす光を目で追う。
箱の中はとても静かだった。人間が出す音だけが混ざるの空間。


小さく吐き出したため息は、大きく反射した。
これからを思うと、気が重くなる。憂鬱だった。
教室同様、気まずくなりそうなのは目に見えている。

別段、行く義務があるわけではない。
でも行かなければ、後々が面倒になる。

ガクン、と少し大きな振動がして、五階です、と機械が告げた。
開かれた扉を抜けてまっすぐ、突き当たりを曲ればすぐに、玄関。


ここに中学生が一人暮らししている、それが信じられない。
セキュリティは文句無し、部屋の広さは二、三部屋はあった。
音符マークのボタンを押せば、ピンポーン。一般的なインターホンの音。

テレビで見るようなただっ広い部屋ではない。
それでも、一人は十分すぎるほどの広さはあるだろう。


情報屋は殺し屋よりも儲かるんだろうか。
そう考えるくらいに、今の自分には高そうな場所。
自分の部屋よりもずっと上等な場所に、涼は住んでる。

ぼったくられているんじゃないか、そんな仮定はいつも浮かぶ。
普通に考えたら、俺の方が仕事量は少なくとも報酬額は大きいはずだ。
いくら貴重な情報や信頼性が高ければ、価値が上がるというにしたって、


「何してんだー」


その声で我に変える。
いつの間にか、家主が扉を開けていた。
少しにやついたような顔で、俺を見る。

変なところを見られたと思う。
別に見渡すぐらい誰でもする、そう納得して終わる。

「情報、」
「あーな。入れよ、中で聞く」

そういって、涼に中へ入るよう促された。
中に入らないといけないのか。憂鬱な気分が蘇る。
思わず足が止まって、気分的にも前に進めなかった。

情報を貰うには仕方ないと、割り切りはしている。
けれど玄関先で終わらせられれば、そんな期待もしていた。
少し渋っていると、涼は玄関を開け放して中に戻ってしまう。


はあ。
頭の中の迷いを、全て息と共に捨てた。
話す覚悟は来るまでに決めたはず。足はやっと前に進む。

玄関を上がった先にあった扉を開けて、涼が入る。
それを追うようにして入れば、やっぱり広い部屋。


ソファと、それの前の小さな机とテレビ。
それを指差して座れと言った後、そのまま涼は行き過ぎる。

指差したところにあるソファに座る気にはなれない。
二、三人用のソファに一人で座るのは、遠慮したい。
家主を床に座らせることも、申し訳ないし。

ソファはやめた、じゃあどうすると代わりを探す。
何か無いかと目を動かせば、無地の座布団。
それを取って、机の横に座る。


そして、机にあったリモコンでテレビをつけた。
静まり返ってしまうことが嫌で、無いよりはという狙い。
独特の音を出して音声が出る。夕方のニュース番組の声。

「ソファ座ってろよー」

斜め後ろからの声に振り返る。
麦茶入りのグラスを持って、涼が顎でソファをさす。
座る気がないことを、頭を左右に降ることで伝える。

きちんと察してくれたのか、涼は俺の前にグラスを置く。
涼は自分のグラスと一緒に、ソファに座り込んだ。


「……」


ソファと座布団、中途半端に空いた空間。
アナウンサーの声だけが部屋の中で響く。

涼の様子をうかがえば、目の前のニュースに目は向いていた。
情報を貰いに来た、それを言えばいいとはわかってる。


再び吐き出しそうになったため息を飲み込む。
今まで通りメールでのやり取りが良い。
楽にはいかない物事に、目を閉じた。

メールなら用件だけで全て済む。
お互いにそれが楽じゃないのかと思うのに。

けれど、涼に一方的に禁止されてそれは出来ない。
いくら言ったって曲げないし、話がそらされることも多い。
未だに禁止する理由もわからないままで、納得は出来てない。


「情報、いるのか?」


突然すぐ上から話しかけられて驚いた。
見上げれば、当然、見下ろす視線とかち合う。

口を開く、そうだと言えばいい。
でも思うように、声が出てこない。

少し涼の目がそらされる。
その合間につまっていた空気が抜けた。


立ち上がっていた涼が、俺のすぐ隣に腰を下ろす。
ソファではなく座布団も敷いていない床に、そのまま。

「いつも通りにしてろって」

そう言って、頭を叩かれた。
痛いと叩き返したのは避けられる。

「そんなに緊張すんな」

涼が、昔のような顔で笑う。
ああでもそうか、とようやく思い出す。
確かに緊張するような相手じゃなかった。

小学校の頃は兄弟同然だった、と思う。
涼と一緒だった五年頃までの記憶は曖昧だった。
三年ほどしか経っていない記憶なのに、そう振り返る。


昔は他人事のように思い出すだけだった。
表面的な思い出が、早送りで流れていく。

ズキリと痛んで、頭を振った。
不自然に抜け落ちた穴を見る前に、頭が止める。


「で、何の情報ー?」
「あ、影の、」


言った瞬間、驚いたように涼が俺を捉える。
その勢いに驚いて言葉は中途半端に終わってしまった。

予想してなかったんだろうと頭は理由を考えた。
俺だって、つい最近までは別に興味もなかった人物だ。
たまに見かける程度の名前は、一生関係の無いものと思っていた。

「マジかよ」

苦い顔で呟いたのを聞き取る。
この様子だと、情報は無いんだろうか。

やはりどこも同じかと、ぼんやり思う。
影、と噂される人物の情報は、無いに等しい。
情報がなく、存在だけが知られてる、裏の有名人。

「や、ねーことはねーんだけどよ」

ここにも無いかと思い込んだのが伝わったらしい。
後ろ頭をかきながら、涼が否定を返す。
その顔は、やけに難しそうに歪んでる。

信憑性か量的な問題か、そのどちらかなんだろうか。
大体涼が渋るのは、どちらかに問題があるときだ。

それなら、その分値引きしてくれれば良いのにと願う。
珍しければ珍しいほど、信頼性が高ければ高いほど、上がる値段。
今欲しいと思うものは正直、かなりの高値がつけられても納得だ。


影関係は、まだ何処にも出回っていない。
実際、涼の所になくても不思議じゃない。
影のように掴めない、で通り名が出来たくらいだ。

名前も性別も容姿も国籍も、わからない。
個人なのか組織なのかも、憶測が書き込まれるだけ。


まるで誰も会ったことがないかのように感じた。
もし会ったなら、背丈は最低でもわかるだろう。
けれど、それに関しても一切知られていない。

影なんて初めからいないんじゃないか、なんていっそ思う。
誰かが作った、そもそも存在しないただの名前だけの、


「かーい」


目の前で手を振られた。
その後ろのつまらない顔が、意識に伝わる。
機嫌を悪くしたような表情が、ため息をついた。

相変わらず、とでも言いたげだった。
このことはもう、俺は何も言えない。
自覚はとうにしている。


また涼が立ち上って、再び見上げた。
首が小さく音を立てて、天井の灯りが眩しい。

「情報、レンちゃんのために出してやるかなー」

からかい混じり言って、得意げに涼が上から笑う。
名前をちゃん付けされるのが嫌いだって知ってるくせに。

いらついて睨んだものの、涼は悪びれもしない。
それどころか手が伸びきて、頭をかき混ぜられた。
すぐに払いのけて、やるな、と言えば、いやだ、と笑う。

「漣夜(れんや)だから!」

散々、かき回された髪を整えながら、訂正した。
ちゃん付けに対してということは、わかるはず。

「わかってるっつーの」

また頭に伸びてきた手は、届く前に叩いた。
それでようやく、笑いながらも涼は部屋を出て行った。


さっきから、涼がよくわからなかった。
不機嫌なのかと思ったら、すぐ笑ったりからかったり。
さっきも妙に嬉しそうに触ってくるし、上機嫌な様子で。

他人がここまで起伏が激しいのを見るのは、久々だった。
その理由は、わからなくていいかと考えを放棄する。
関係無いこと、で済ませる頭。


何かあったんだろうとだけ思った。
恐らく、俺がここへ来る前にでも。
だから今日は、こんなにネジが外れたように笑うんだと切り捨てる。

正直、俺も涼を大概馬鹿にしてる。
けれどお互い様だと思いながら、視線を降ろす。


「オレんとこにあんのは、これぐれーかね」
「ぎゃっ!」


耳にカサと当たって、思わず大声。
何かが当たった。すぐに耳を手で覆って振り返る。

眼前に、一枚の紙。
先端が俺の方へ向いている。

「何、耳よえーの?」

朝と同じような態度。
恐らく、弱いことを知っててやっている。
昔と一緒で、とてつもなくいい性格をしてる。

何も言わずに睨んでいれば、涼は移動して斜め前の床に座る。
テーブルに落とされた紙、それを取って読むために手を伸ばした。


「キトウさん、だってよ」


その紙の上には、仕事名と簡易な特徴だけ。
しかも文章になってもいない、ただの単語。

うそだろと思って、一度目を閉じて見直す。
けれど結局、一行も十分にないその情報量は変わらない。


大きな紙に、小さく並ぶ黒文字。
"KITO"と"俊敏"、その六文字だけ。

正直、意味がわからなかった。
こんな単語が、情報と言えるんだろうか。
意図をつかみかねて、いっそ定義を考え始める。

「りょ、」
「あれ、お前もどっちかというと足だよな?」

力でごり押しはできねーだろ。
一方的な考察に、俺の言葉は遮られた。

一応、涼の問いに頷けばさっきとは違う顔。
今度は真面目に、俺が持っている紙へ視線を寄せる。


「これだけ?」


俺の言葉に、彼が紙から目を外す。
その表情は非常に苦そうに、歪んでる。
何か不味いことを言ってしまっただろうか。

「こんだけでもすげー方なんですけどー」

ああそうだった、と思い出した。
相手は情報が無くて当たり前だった。

そう思えば、名前だけでも凄いんだろう。
実際に役に立つ、立たないは別としても。

「あ、うん、どうも」
「感謝が感じられねーんですけどー」
「気の所為だって」

感謝感激雨霰、凄く感謝してます、ありがとうございます。
思いつくだけの感謝になりそうな言葉を、早口で紡ぐ。

けれど、非難した涼の顔はしかめっ面。とても不服そうな顔。
ありがとうをハートでもつきそうな声色で言えば良かったんだろうか。

…想像してとても気持ちが悪かった。


「ま、やってみりゃいいんじゃねーの?」


涼がこっちを見る。
やっぱりそこにさっきの表情はない。

また笑ってる。挑発的なそれ。
そういえば、元からこんな奴だったような。
懐かしさがやっと心に戻って、肩の力が抜ける。

「他になんか欲しいなら、またここ来ればいいし」

気楽そうに言われた。
事実、相手は気楽に来ればいいと言ってるのはわかる。
ただ十中八九、その度に報酬を取る気なんだろうけれど。

そこを何とかしてくれればいいな、なんて期待が浮かぶ。
どうせ言っても、そうはならないから言わない。


それよりも今、考えないといけないのは影のことだ。
ほんの少しだったこの情報で、対応を練るのは無理だ。
相手を仮定して考えるにしても、まるで想像がつかない。

むしろ、気楽そうに笑うだけの幼馴染が非常に恨めしくなってくる。

「他人事だと思って、」
「他人事だしなー」

恨み言を難なく返された。
悔しさが更にこみ上げて、言わなければ良かったと後悔。

どうせ嫌味も恨み言もからかいも、軽くかわされるだけ。
涼を相手なら、言う分のエネルギーが無駄だ。


涼は、俺が影と対峙することも予想してるんだろう。
本人はただ、打ち出した情報の紙をまた見ているけれど。

影と会う可能性があることは、事実だった。
未定ではあるけれど、恐らくはと予感がある。

隠しておきたかった。そう何となく、思う。
情報を貰う上でそれは、不可能だとは感じるけれど。
人にこれからの予定を知られるのは、居心地が悪い。

情報屋相手なら、そう危惧しながら相手を見れば、目が合った。


「ヤバいぞ、それー」


目を閉じて、何でも無い風に口調と口端を上げて笑う表情。
その割に、いやに真面目な声が思考を止めた。

驚きで思考が止まった。
本当に涼は何処まで知ってるんだろうか。


たまに、何もかも知っているように涼は言う。
だから時々、わからなくなる。

どこまで知られてるのか。
どこまで見透かされてるのか。
キリが無い疑問が浮かんで。

そしてとても、怖くなる。
昔も、今も。



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横峰 久、国会議員。
死因、状況等に指定は無し。

影との接触の可能性、有り。


寝転がって眺めたコピー用紙。
まとめてしまえば、依頼文はそのくらいの内容だった。
照明に透かして他が浮き出ることも無いそれを、ただ睨む。

報酬は申し分無いほど、良い。
今までの生活費雑費等々は十分に払える、かなり余る。
良すぎるとは言わないにしても、高額だとは思う条件。


ただそれは、最後の一文を抜きにすればの話。
それさえなければ、いつもと変わらないのに。
政治家なら厳重についた護衛をどうするかを、考えるだけ。

何も知らない、会った人が誰も生き残っていない。
そんな相手と殺し合う可能性。その不安が金額を妥当に見せる。


ヤバいぞ、それ。
夕方に言われた涼の言葉が蘇る。
言われなくても、自分の中にも違和感はあった。

影の存在を依頼の段階から書いている。そこが疑問だった。
誰にも掴めない存在との接触予定を、どうして可能性でも出せるのか。


何故、自分はここまで悩んでいるんだろう。
考えても何も見えなくて、くだらなく感じてきた。
大きく息を吐き出せば、体が深くベッドへと沈む。


「学校、」


漠然と浮かんだのは昼間のこと。
あの、いきなりの不快感。

はっきりと言い切ることは出来ない。
殺気ともただの悪寒とも、形容出来るもの。
けれど、それに恐怖したことは覚えている。


あの時、後ろには誰もいなかった。
隠れていたのかもしれないし、見落としたかもしれないが。
考えても確かめようがない以上、全部は推測の域を出ない。

思考を頭の隅に追いやった。
答えのないものを考えても仕方が無い。


もしも、前からなのだとすれば転校生だ。
真っ先に思いついたのは、あの二人の存在。

技術室からも考えられるけど、そう思えない。
心から、そうは思いたくなかった。


逆にその分、転校生への疑いが膨らむ。
転校生なら怪しまれずに近づいて、殺せる。

でもそれなら、この先も此処に居なきゃいけない。
授業とかで、自由に動くことは出来なくなるはず。
それが不便だということは、身を持って知っている。


じゃあ、またすぐに転校の形を取る?
転勤族だと言ってしまえば、どうなんだろう。
この数週間だけ居て転校は、絶対に怪しまれる。

特に、あのクラスには涼が居る。
俺が死んでその後に一人が再び転校、なんて、きっと気づく。
もし涼のことを知らないにしてもそんなこと、するだろうか。

結局、影がそんな高いリスクを取るかとも行き詰まった。
ここまで情報が流れてないなら、これからも流さないはず。
こんなに徹底した人が、今だけ気を抜くとは考えられない。


そもそも、年齢の問題だってあるのに。
影が同い年、しかも男と決まったわけでもない。
簡単ながらも、試験に通らなければ此処にも入れない。

男である可能性、女である可能性。
大人、子供、もしかしたら老人の可能性。

再びキリのない可能性を広げる前に、思考を閉じる。
考え過ぎて、頭の中がまとまらないのを避けた。


でも、とやっぱり頭からは離れない。
俺には相手の目的が、見えなかった。
わざわざ影が俺を狙う理由に、覚えはない。

考える中で、依頼主と影が繋がってることも疑った。
それでも俺を殺すだけの目的で、ここまでするだろうか。

俺を殺したいだけで、なんで影を。
殺し屋なんて、連絡がつきやすい人物はたくさん居る。
それに殺したいなら、影のことを伝える必要はないのに。

警戒する。
影と接触させて、どうしたいのか。


そもそも俺に接触するのは、本当に影だろうか。
情報が無いなら、偽るのだって簡単だと思う。
なら、その名前を使って他の人間がそれに。

よくわからないとため息をついた。
結局考えて、ごっちゃごちゃになった。


「……」


とにかく相手の目的はわからない。
考えた所で本当のこともわからない。

俺の顔がバレていることは、決まりだ。
昼間のことがある以上、間違いない。


もう、なるようになるだろう。
眠りに落ちる頭で、諦め気味に思った。
今まで、なるようになってきていたから。


それでも、まだ。左肩に触れる。
焼け付く皮膚の嫌な匂いを覚えている。
まだ、息を止めるわけにはいかない。
心に居座った憎悪は、瞼の裏の黒に滲んだ。


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