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変な沈黙が続く帰り道、さっきとは違う空気が周りを包んでいた。
話すには話したけれど、どことなく仰々しくて次第に会話は消失。
烏の無く声がどこかで聞こえる、やっと自分の住んでいるアパートへと通じる道についた。

「じゃあ、」

沈黙を破って、そのまま別れようとした。
これ以上はいたたまれない、会話のない状態は何をすればいいのかわからない。

どうしようかと別れた後のことを考える、とりあえず乾燥させた洗濯物でも畳もう。
畳み終わるのにどのくらい時間がかかるだろうと考えながら、家の方向へ足を一歩踏み出す。

「海」

けれど踏み出した一歩は地面に降りる前に引き止められた。
掴まれた腕は大して痛くもなく、やんわりと掴まれている。
恐らく振り払おうと思えば振り払えるだろうけれど、そんな頭の中は吹き飛んだ。


「少し、いいか?」


所々つまりながらもしっかりと合わされた視線。
僅かに戸惑うような表情が、さっきの恐怖を思い出させる。
嫌な予感、予感よりももっと確実なものを確かに頭が認識し始める。

「……、ん」

溜めるつもりの無かった空白。
上手く声が出ずに変に空いてしまった、絡まる短い言葉。

あちこちへいつの間にか動いていた目を拓巳へ向ける、相手の難しい顔が見える。
拓巳の口が開いて、すぐ戸惑うようにすぐに閉じる、それを何度か繰り返している。
言い辛いことなのかどうかは表情から判断出来るが、内容は特に予想出来ない。

ただ出る言葉を待った。
拓巳の顔を見続ける勇気はなくて、空へ視線を動かす。

「海は、」

やっと出て来た一言、まだ言いたい言葉の先はわからない。
首が疲れて視線を降ろしたまま続きを待つ、戸惑うような唸り。
自分の手を強く握る、何となく嫌な予感しかしない意識を無視した。

拓巳が一度深呼吸をしたことを耳が聞き取った。
そろそろ言われるんだろうと目線を上げれば、再び拓巳と目が合う。


「海は、人を殺したことがあるのか」


はっきりとした質問。
思い出したくないことと繋がった、記憶の相違は相手と言葉、状況は。
比べても仕方がないことだというのに逃げるように比べる、比べるものが尽きる。

そこでやっと逸らしていた質問へ思考を向ける、知られたと思った。
知られないままで居られたかった、そんな後悔が頭に浮かぶ。

「なん、で?」

どこかで何か失敗してしまったんだろうかと必死に考えを廻らす。
不用心だったんだろうかと考える、俺自身の過失で拓巳に悟られたのかと今までの行動を思い返す。
何処でと疑うことは次々と頭に浮かぶ、電話の時、涼に情報内容を聞いた時、影と会った時。
決定的なことを言わずに予想されるような言葉は数えきれないほどの量、その中のどれかで拓巳は気付いた。

それとも拓巳には影の言ったことが聞こえていたんだろうか。
涼が聞こえていなかったとしても或いは。

「殺し過ぎって言った時に頷いた、から」

言われたことは予想と全く違っていた、影も関係無い。
声がでかいと涼を心の中で恨む、確かに思い出せば声を潜めるでもなく、ただ普通に言っていたと思い出す。
とりあえず場合によって態度や行動を改める必要性を考えられた、それももう、きっともう遅いのだけれど。


けれど、と少しだけ安心が心に広がる。
拓巳には聞こえていたけれど、あの様子だと柊には聞こえてないんだろう。
それだけでも良かったと息を吐き出す、最悪の場合でも一人で済むという安心、思考はとうに汚染されていた。

もしかしたら聞こえていたのかもしれないという仮定も浮かばなかったわけじゃない。
でも俺に聞いて来なかったということは、ただの冗談だと判断されたのかもしれない。
実際に殺す殺さないの話なんて、普通は冗談でしかやり取りされないんだから。


しかし、もし信じられていたとしたら、甦る恐怖。
塾の誰かにでも相談されていたら、友達にでも相談されていたら。
そんなもう一つの未来の先もまた、思考汚染の餌食になるだろう。


「海?」


拓巳の声で我に返った。
今は違うと否定する、今はまだ話せる機会があると良い方向へ無理矢理にでも繋げる。

柊のことはまだわからないのだから後回しだ、今は拓巳と話し合って。
それからどうすると問いかける何処かの自分、もし理解されなければ、もし否定されてしまえば、もしあの時と同じことになれば。
嫌な未来だけが浮かび続ける、違うとただ頭の中で精一杯否定するしかなかった、まだわからないと必死に自分で自分を納得させる。


「もし、殺したことがあったら、どうする?」


試すような質問だと自分でも感じた。
それでも聞いておきたかった、ただの気休めであるのはわかっている。


関(せき)と同じことになるんだろうか、漠然と昔を思い出す。
嫌な記憶と重なっている今の状況、その先にあるかもしれない喪失に奥底でただ怯えるしか出来ない。
二度と失いたくないと思うのにもう一度失ってしまうかもしれない状況にしたのは、自分でしかなかった。

自分が間違っていることは理解している、法に背いている。
それをいつだって仕方がない、その一言で全て終わらせてしまう思考、本能。
その先を考えてもきっと同じ喪失しかなかった、虚しさの残留を無意識が知っていた。


「どうもしない」


俺から目をそらして拓巳が言う。
左手で目を覆いながら、言い辛そうに吐き出された言葉。
今までされたことのない反応だった、変わらない関係を言っているかのような答え。

「その、悪い、他に言い様がなくて」

すまなさそうな言葉、何に対して謝られているのかわからなかった。
何が、と聞き返すことも何となく悪く思えて、そのまま拓巳の言葉を待つ。
少し拓巳の目が泳いで、やっと落ち着いたように俺を見た、困ったような笑い。

「苦手なんだ」

本当にごめん、そう付け加えられた言葉で、言葉の足りなさに対しての謝罪なのだと知る。
それだけで十分だった、伝えていない俺も謝るべきかと感じる。

「俺も、ごめん」

拓巳に伝えても、わからないといった表情。
ありのままを伝えることも恥ずかしい気がして、視線を拓巳から外して言葉を探す。
ああ、と拓巳が思いついたように呟く、拓巳を見れば伝わっているような苦笑い。

大丈夫だと何となく確信出来た。
周りに人がいないことを横目で確認する、誰かに聞かれて今回みたいなことにならないように。
いないことを十分に確認出来て、それからゆっくりと深呼吸を繰り返す。


「俺は、人を殺して生活してる」


声に出す、拓巳は何も言わない、ただまっすぐと俺を見る。
自分が怯えていた行為をされるには、十分過ぎる情報を与えていることはわかっていた。
でもどこか大丈夫だと安心感がある、きっとただの勘だろうとは思う。
受け入れてくれるかどうかを別とは思わずに、ただバラしてどうするのかなんて考えない。


拓巳に誤解されたくなかった、それが本心。
どんな誤解だとしてもそれだけは免れたかった、愉快犯だなんて思われたくもなかった。

それに、どちらが悪いかなんて関係無しに隠すことがただ自分の中で限界だった。
仲良くしてもらっている小田や長谷に何も言わないで、遊びだって断って。
拓巳は一切関係無いけれど、それでもどこかで俺は言ってしまいたかった。
弱音、そう言い切れてしまう本心、巻き込んでいることを理解する。

「依頼されて?」

いきなりの質問、内容が妙で顔を上げる。
あまり拓巳が驚いている様子はなく、平然とした表情。
肯定を返しても様子は同じで、少しだけそれが不思議に感じた。

ふと不安が浮き上がる。
どうもしないということは他人に言わないことだけを指すわけではないと気付いた。

「他の人に、」
「わかってる」

焦って釘を刺そうとした言葉を遮って、ぎこちなく拓巳が笑う。
確かにそれはぎこちなかったけれど、何となしに落ち着けた。

「言った所で誰も信じない。それくらい海は好かれてる」

そう言って頭を撫でられる、ゆっくりと。
不思議とその言葉と行動には安心出来て、何故か変だけれど、無性に泣きたくなった。
言葉の真偽は知らない、けれど他人からそう言ってもらえることで自惚れてもいいような錯覚。


「ありがとう」


少しだけ笑えば拓巳もまた笑ってくれた。
ぎこちなさも困った様子もない笑顔、初めて見る笑顔だった。

拓巳は否定しなかった、俺が人殺しのことを知るだけで何も言わない。
そのことが純粋に嬉しかった、繰り返すことだけは避けたかったから、後味の悪いあの感覚。

「じゃあ、また遊ぼうな」

再び軽く頭を撫でられる、見上げれば目線の少しずれた顔。
次の遊びを誘う言葉、次があることがとても嬉しい。
向こうへと歩いて行きながら拓巳から手を振られて、振りかえした。

それにしても、俺がよく頭を撫でられるのは身長が低いからなんだろうか。
そう思えるほどに今日はよく撫でられた、柊にも拓巳にも撫でられたなと思い出す。
成長期を待とうと自分の成長を信じる、今はそれで終わらせる。


アパートの横についた階段を上る。
自分の足音が響くのが嫌で、なるべく足音がしないように上がる。

自分の部屋の前に辿り着く、鍵を出す為にポケットに手を突っ込んだ。
鍵はコードに絡まってるみたいで中々取れない、ひやりとする感触は確かにある。
イヤホンのコードと一緒の場所にいれるんじゃなかったという後悔も、今では遅い。

ポケットの中で絡まったコードと鍵を探しながら、横峰の予定を思い出す。
今日に、何時かに黒町で解散だった、そこまでしか思い出せない記憶。
何時だったのかだけがどうしても思い出せない、記憶力が良くなりたいと思った。

そう思う間に鍵がコードと別れる、鍵だけを外へ取り出す。
玄関の鍵穴にそれを差し込んでまわす、ノブをひねって入る。
入ってすぐにベッドに寝転がる、天井を見て何となく安心した。

「はー…」

息をゆっくりと吐く、ぼんやりと眠くなった。
ひとまず寝ようと思った、それほど早い時間に解散になるわけでも無いだろう。
そんな予想を立てながら目蓋を閉じる、違っている可能性は考えないことにした。



重い瞼を開ける、暗い部屋、光が無い、何も見えない。
今が何時かわからない、とりあえずポケットに入ったままの携帯で時間を見る。

「……」

午後十時、さすがに寝過ぎじゃないんだろうかと自分に呆れる。
今日だけで何時間寝ただろう、と考えて軽く目眩がした。
いつもあまり寝てないからいいかと逃避する、深く考えても寝てしまったものは仕方がない。

ふあ、と大きく欠伸が出る。
布団に横たわれば、また瞼が下がろうとする。
頭を振って眠気を払う、これ以上寝ても時間の無駄な気がした。

ベッドから起き上がる、水を飲む為に台所へ足を向けた。
冷蔵庫を開ける、空気だけの空間、物が無いことに虚しくなる。
水とカロリーメイトがそろそろ買い込むことを思い出す。


「あ」


そういえば黒町、やっと大事なものを思い出す。
時間大丈夫だろうかと心配するけれど、時間を覚えてないからどうにも出来ない。
何時かを思い出そうと目を閉じる、夜遅い時間帯だったとしか覚えていない。
大丈夫だろうと楽観的に考えた。

洗面所に行く、軽く顔を洗して完全に目を覚ました、もう眠気も無い。
近くに書けてあった黒い上着を取る、近くに放っていた背負える刀袋に刀を居れた。

普通のリュックよりも細長い袋、目立つ形だということは簡単にわかる。
別の持ち運び方法も探そうかなと思いながらそれを背負った。


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