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「もう死んでるよ」


停止していた思考が、その声で元のように回転を始めた。
横峰を支えていた刀を抜き取れば、死体は地面へ転がった。
べちゃりと水音を含んだ大きな音が足下を伝って俺に伝わる。

次に、痛みをこらえて体をひねって、脇腹に刺さったままのものを抜いた。
刺さっていた位置はどくどくと振動を強くする。


は、は、と荒くなった息を落ち着ける。
横峰から抜き取った刃にべっとりとついている血を出来るだけ血を払うように刀を振る。
帰ったら手入れをしなければと、敵が残った空間で無謀にも考えていた。

さすがに、今の状況はやばい。
脇腹を片手で抑えるが、血が足を伝って地面に流れている。
死体とは別の方向の壁にもたれれば、ずり、布越しの肩に壁のざらつき。

「あとは金貰って、終わり、か」

ただ暗いだけの空に向かってため息と同時に出てしまう独り言。
とても長い一日、思い返すことさえ億劫になるような感覚と記憶。

「無理だよ」

否定の声、長く感じた一日の一つの原因。
視線を向ける際に目に入る、隣で横たわった横峰の姿。
わざとらしいほど赤く、暗い中に馴染んでいるように感じる姿。

「ごめんね」

謝罪に、俺もこんな風になるんだろうかと無意識が予想する。
ぼうっと緩やかな思考の頭はそれを意識まで持っていかない。

ただ、どくり、どくり、と大き過ぎる心臓の音を伝えるだけ。
視界に入っているはずの柊の顔でさえ、焦点が合い辛い。

「手を出したから、殺したんだ」

ちょっと数人逃がしたんだけど、まあ何とかするよ。
そうこぼすのは、今日、四人で話していた声色と一切変わらない。
変わらない声色で、こんな非日常の話をずっと彼は話をしていたのだ。

「ほんとはレンを気絶させて、その時にと思ってたんだけどね」

ごめんね痛かったね、そう言って困ってように笑ったんだろう。
息遣いが聞こえて、頭の中に、今日話した時の表情が蘇る。
頭が、痺れてきた。


通じていたのかと、ただ関係を思う。
俺を殺そうとした人間と俺に依頼した人間は、同じ、か。
そうでなければ、手を出したイコール支払いなし、の式は成り立たない。

殺されたのかとぼんやり思う。
支払い分の担当だけでも生き残り側にいてほしい、そう心の中で呟いた。
出費や生活費を思えば目を背けたくなる。通帳の残り金額すら思い出したくない。


ふと自分の体に、随分と感覚がなくなっていることに気付いた。
自覚さえしてしまえば、痛みは思考を奪うように全身を回り始める。

足がもう限界だった。支えきれない。
壁に沿って座り込めば、ぬめりとした血があった。
嫌な匂いだけが漂って、自分の体にまわりついた。


「大丈夫?」


支えてくれたときと何ら変わらない声だった。
柊は、いまいち読めない声色で話す。

何もかもわからなかった。
全然何も、柊にしたってわからない。
俺に手を出したから、殺したと言った。
でも彼は、俺を殺すために雇われていたはずなのに。

柊がどうして欲しいのかを漠然と考える。
俺はどうすればいいのかすらわからなくなった。

「俺に、死んで欲しいのか?」

答えられてもどうともできないことは、自分でも理解している。
頷くからじゃあ死にます、なんてことはできない。
そんな質問に、相手が困ることも気づいている。

「全然。逆だよ」

聞こえる声が肯定なのか否定なのかもにも、頭が回らなくなってきた。
痛みが徐々にぼやけて来た。ぼんやり痛みが溶ける。麻痺する。

目の前は、朦朧として何ら判断できない。
柊の表情は見えず、ただ僅かな物音だけの場所。


ふと聞こえた何かの歌。フレーズは聞き取れない鼻歌。
ぼんやりとした中で聞き取れる音が、柊の声であることはわかる。

どこかで聞いたメロディーだと思った。
地面を伝ってくる足音がやけに体に大きく響いてくる。

それでも耳はメロディーの方を優先して意識に伝えた。
不快でなくて、穏やかで、ゆっくりで、静かに眠りを近づける。
喜怒哀楽を歌っている、安らかな子守唄。

「助けてって言えば、ちゃんと助けるよ?」
「じゃあ、」

言われた言葉に何を続ける気なのか自分で理解出来ない。
助けてくれと、そう言えば柊は助けてくれるんだろうか。
どくりどくり、自分の血液が生温く満ちていた横峰の血を濡れ変える。

「ほら、迷わない。助かるのか、死ぬのか」

曖昧な全ての輪郭、相手がこっちを見ているのかさえわからない。
頭ががんがんと唸り始めて、体全身がじんわりと手先が冷える。

「意識も、ほとんど保ててないんだろう? オレが見える?」
「みえるよ」

反射で返した答え。

「若干、あやういけど」
「オレ、そっちには居ないんだけど」

言い切った瞬間の気まずさに耐えられなくて、口から出した言い訳。
即答された答えに向いていた方向を変える、目を細めて探すけれど前は黒一面。
どれが何で、どこが何、何が何かもわからない。

「真っ黒黒助は見つけ難いんだよ」

言った瞬間、脇腹から血がまた流れる感じがする。

そろそろ限界かもしれない。
見えるのは黒と、かろうじて見える遠くの街灯の灰色、わかり辛い赤だけの視界。

血が流れて、意識が、ダメになろうとしている。
自分の座った場所が揺れている、揺れていない。


「意地張らない方が長生き出来るって、知っといてね」


曖昧な揺れが明確な揺れに変わった。
ほんの僅か、触れられただけのような揺れ。
今はもう動く時にしか痛みを感じなくなった傷口、僅かな体のひねりが辛い。

別段、意地を張っていたつもりではなかった。
曖昧な返答していたのが悪かったんだろうかと思い返す。

「寝てて良いよ。起きてたら多分、辛いだろうから」

言った後に柊が俺の両腕を引っ張った、何とか自分の力で立ち上がる。
背中に乗ってと言うから傷口を押さえながら歩いて、うっすらと甦る痛みも無視して、背中まで歩く。

指先が先ほどよりも冷たくなったように感じる。
くらくらと周りが回っているような感覚、近いのか遠いのか。

それでも何とか柊の背中側へ辿り着けた。
背中におぶってもらう形で、抱えられる。
わずかな振動ですら、体が軋む。血が止んだような気がする。


スムーズな上昇、そのことに少しの疑問を抱く。
どうしてそんなに俺のことをやすやすと抱られるんだろうか。
触った限り、体格もそうがっちりしているわけでもない、俺の体重が特別軽いわけでもない。
思い出そうと努力すると血がまた流れてしまいそうでやめた、少しだけ遠のく意識を感じる。

何かが近づいてくるような別の気配がした。
走って来ているような音、ぼわんとこもった音。
けれど柊も走ってくれているような振動がある。
本当にそうなんだろうか、わからない。

あ、眠い。

落ちないようにぶら下げた手を、柊の首を締め付けない程度に緩く、巻き付けた。







「……」


目に入る真っ白な天井、何かの点滴、ただの病院。
生きてるんだと思った、ぼんやりとした意識が白い部屋で覚醒に向かう。
何とか柊のおかげなのか、自分の治癒力のおかげなのかは知らないけれど、何とか死ななかったらしい。

それだけなら良かったがベッドに横にいる三人に、軽くでもない嫌な予感。

「どういう状況?」

変な圧迫感、緊張感、明らかに怒っていないわけがない空気、一人だけが。
他二人は何とも捕らえようがない状態である、何だこの差はと少しごちる。

「オレは聞かれたから教えただけだよ」

そういうことを聞いているわけじゃなかった。
けれど自分のした質問を思い返すと(周りの状況を見ても)、そうとしか言い様が無いのだろう。
柊が俺の入院先を聞かれて答えたから来ただけ、それだけの状況把握、怒気の理由は予想出来ない。
涼の仏頂面が変に目につく、珍しいと漠然と思うよりも少しだけ身構える。

「怒って、る?」

控えめに、出来るだけ神経を逆撫でないように聞く。
聞いた瞬間に胸ぐら掴まれて凄く良い笑顔が、どうやら努力は無駄だったようだ。
笑顔が怖いなと思いつつ、少し地雷を踏んでしまったと質問したことを後悔した。


「あったり前だ、馬鹿野郎ッ!」


突然叫ばれる、近くで発されたそれに思考が止まる。
一拍置いて戻る思考、あまりに大きな声に鼓膜が破れるかと思った。


「どんだけ心配したと思ってんだ! 血まみれそのまんまでどっか行きやがって!
 オレが様子見に行かなきゃバレて警察沙汰だったかもしんねーんだぞ、この馬鹿!」


息を吸い込んだあとにまた続く叫び、引き続き大音量。
外に聞こえないのか不安、涼の大声で他にバレる可能性だってあるんじゃないだろうかと思えるほど。
もの凄い剣幕だった、どうしてそこまで怒るのかの疑問はすぐに解決する、裏がバレる可能性を作ったからだろう。

そう思ってすぐにもう一つの事実に気付く。
柊に負ぶさった時の足音は涼だったのかと納得する。
てっきり処理屋だろうと思っていたが違ったようだった。


「つか無茶すんなっつったのに何で入院してんだよ! 迷惑かけんな!」


ようやく叫び終わったようで息が大きく吐き出される。
肩で息をする涼を見るのは久しぶりな気がした、むしろ見たことがあるのかも覚えていない。

不意に引っかかる疑問。
今回のことで涼に無茶するなと言われた記憶がない。
思い違いでまた叫ばれるのも嫌でじっくり思い出す、…やはり無いと思う。

「いや、そんなこと言われてな、」
「ああ言ってねーよ、それがどーした」

俺の言葉は遮られて涼の声に消された。
逆切れじゃないかと思いつつも言い返すことが面倒でやめた。

けれど無視出来ないのは今の体勢。
上半身、というよりは腰が若干だけれど浮いている。
一応自分は怪我人であって、刺し傷は脇腹、思い出しながら落ち着いた思考を取り戻す。
傷が開く危険性があるんじゃないだろうかと考える、今も塞がっているかどうかは知らないけれど。

「りょ、涼、傷がひら、」
「知るかよ、バーカバーカ」

怪我人に対しての態度じゃない、俺はそこまで怒らせていたようだった。
けれど俺も回復の早い超人でもない、此処でまた出血、というのは出来るだけ避けたい。
なるべく早く怪我を治したい、悪化なんて今は絶賛お断り中であって。


「た、たくみッ!」


何とかこの状況を打開したくて涼の隣に居た拓巳を呼ぶ。
何としても傷を開かせるわけにはいかなかった、治療費は高い。

「動くと傷口が開くぞ」
「その前に開かれる、俺の意思関係無くっ!」

助けを求めた拓巳は助けてくれることがなく。
呆れたようにため息が吐き出される、もしかして拓巳も怒っていたりするんだろうか。


「次、二倍な」


そんな言葉と共にやっとベッドにしっかりと落ち着く体。
けれどそれに安心するどころでない言葉。
きっと二倍というのは情報料のことなのだろう、が。
二倍、一万が二万、二万が四万、十万が二十万。

「は!?」

そんな暴挙許せるはずがない。
普通の値段で売らないのは商売としてどうなんだ。
情報屋に商売の公平さ、正確さを求めることはどうかとは思えるが、二倍は何でも。

「二倍で済んで良かったと思えよ」

むすっとした顔で俺から目を外す涼を少しばかり恨む。
毎回報酬の半分取ってくくせに、と小さく愚痴れば、いつもはたれている目が俺を睨む。


「海、」


呼ばれた名前、その声で呼ばれることが何故か懐かしく感じる。
呼んだ主の方向を見てみれば、膨らんだ茶封筒が差し出されていた。
はい、と言われたから素直にそれを受け取った、奇妙な重さだった。
中身を覗き込むと、札束。

「え?」

思わず柊を見返す、おつかれさま、と笑顔で言われて。
どうして柊からこれを渡されるのかわからなかった。
俺に報酬を支払う人はもう柊に殺されたと、柊本人に聞いたはず。

「見つけたから。払う気なかったみたいだけどね」

散々振り回しておいて払わないつもりだったのかと嫌な気分。
でも確かに影には敵わなかっただろう、けれど万が一やもしかして、なことがあるかもしれないのにと勝手な想像。

けれどこれは本当に助かったと感謝した。
家賃や食費の生活費にするとすれば、何ヶ月か保つだろう。
仕事を無理していれなくても良くなるのだと考えると、急に広がる嬉しさ。

視線をずらす、目に入った拓巳はほんの少し苦い顔。
表の人間だというのにこんな現場を見せて申し訳なくなった。
涼が何か言ってくれているようだけど、どうせろくなことでも無いだろう。
生々しい、というよりも変なものを見せてしまった罪悪感、謝罪を口にするべきか迷う。

「渡すものも渡したし、そろそろ帰ろうか」

柊が座っていた椅子から立ち上がる。
報酬を渡す為に来てくれたんだろうか、それならばとてもありがたかった。

けれどどうすれば良いのかがわからない、柊が何を考えているのかが読めない。
いつまでも敵味方を引きずるつもりは無くともそれは俺の考え、柊の考えは違う可能性だってある。
変に疑う癖、疑心暗鬼を生む思考がいつの間にか脳に居着いていた。

あ、そういえばと浮かぶ、するべき質問。


「俺、いつ退院?」


ああ、と帰り支度を始めていた柊は俺へ向き直る。
少し考えるように手を顎に軽くあてる仕草、自然な動きが変に頭に残る。

「事情はわかってるからいつでも出来るよ」

治る治ってない関係無しにだけど、と付け加えられる事柄。
柊はよく此処で治しているんだろうかという憶測。
それともこんな施設に詳しいんだろうかと考える。

「でもこの休み中は入院してなよ。治療費はオレが持ってるしさ」

聞いてすぐ、治療費持たなくていいことに安心した。
治療費は裏関係になると保険云々が効かず高いから困っていた。

ふと周りを見渡す、此処も裏関係を兼ねているのかが気になった。
今自分のいる部屋はとても綺麗で、普通の病院よりももしかしたら綺麗なのかもしれない。
今まで行った場所は対外、普通の場所に劣るような場所ばかりで少しばかり信じられない。

「じゃあまたね」

にこりと笑って出口の方へ柊は向き直る。
その先を見れば、拓巳と涼はもう扉を開けて外に出かけている。


「柊」


歩いて行こうとする柊を呼び止めた。
歩くことをやめて柊は再度俺の方を向いた、遠ざかる喧噪、不意に出る沈黙。
呼び止めた理由が無いわけではない、ただ言い辛い、聞き辛い質問なだけだった。

「まだ、柊は」

続けるのか、そう聞こうとした。

殺し屋なんて今回のように同業者同士で殺し合うことなんてざらに有る。
友達だから殺したくないということが甘い考えだということは十分に自分でも理解している。
各自にそれぞれ理由があることもわかっている、他人が容易に立ち入れる話題でもない。


けれど、それでも。
今までと違うことを言っていることをわかっていても。

「やめるよ。別に必要ないし、」

もう一度、ベッドに近づいて来る。
勝手に緊張で、肩がこわばった。


「海に警戒されたくもないし、さ」


近づいた顔は、目のすぐ前で笑うだけだった。
思わず空寒いものを感じて、後ろに下がれば壁に体が当たる。

「ひいらぎ! てめー目離した隙にッ」
「じゃあ帰るね。また来るよ」

こっちへ歩きながら叫ぶ涼を柊が押し戻しながら出て行った、やがて部屋の扉を曲がって完全に姿を消した。
けれど声だけはぎゃーぎゃーと、扉が閉まっておらずまだ明瞭に聞こえていた。

出口近くで一部始終を見ただろう拓巳が俺を見る。
目が合うまでに吐かれたため息はきっとあの二人へのものだったのだろう。

「また見舞いに来る」

出口の所から穏やかに告げられる。
それに感謝を返せば簡単な返事。
そして拓巳も手を降って歩いて出る、音を立てて扉が閉じた。


部屋は一気に静まり返る。
喧噪のない静寂だけが満たす、白い白い空間があった。

じくじくと痛む脇腹、軋む全身。
無意識に、左肩を右手がさする。
いびつな凹凸の怪我の跡が、薄布の上から感じ取れた。

死ななかったから大丈夫、と声がする。
何も問題ない、何の支障もない。
重なる記憶に目を閉じる。

ただ揺るがない決意が浮かぶ。


「ぜったい、ころしてやる」


声に出せばそれは静寂にとけ込む。
決意の確認、その為だけのその行動。

消えない傷跡が、傷と共にじくりと痛んだ。



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