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第一章第二話 手に入れた手段のあやうさ


見渡す限り黒ばかりの視界、人人人、ほとんどが黒い服。
暗闇で見えなかったら良かったのにとため息を吐いた、きっと暗闇でもこれは隠れないかと更にため息。
服装が可笑しいわけではないと思う、俺だって今着ているものは黒が多いからそうであれば文句なんて言えない。

けれど問題は別だった、その光景に鳥肌の立った腕を触る、雰囲気が異様だった。
その異様の全体を眺める、緑色の髪、赤色の髪、全身真っ黒、全身真っ赤。
普通に見ればサーカスか何かの集団ような、そんなもの。

「……」

何年前、最後に来た日よりも異様さは増しているような気がした。
容姿的なことに関してもそうだし、満ちる空気の異様さだってそうだ。
久しぶりに来てみるとやっぱり違うものだとか、慣れだとか、そんなものじゃなかった。

前はもっと普通だったようにどうしても思ってしまう。
裏に普通も異常も無いけれど、こんなに、もはや人語が通じなさそうな雰囲気はなかったはず。

「じゃ、本業してくるわー」

その中に容易に入り込んでいった茶色。
度胸があるんだなと少しの感心、この中に入るなんて度胸はあまり必要ないかもしれないけれど。

それにしても凄い違和感だと思った。
涼の服が白い所為かもしれないが、何処に居るかわかるほどに目立つ。
外じゃあれが普通のはずなんだよな、ぼんやり思って、外と此処を比較することが酷く馬鹿らしくなった。

というか大丈夫なんだろうか、こんなに怪しいオーラ出して。
一般人が見たら絶対通報ものだろうに、むしろ俺なら絶対通報している。
今でもまだ慣れてきっているわけでもないけれど。


「れーんやちゃーん」


陽気。
そう形容出来る中年の声に、思わず肩が跳ねた。
なんかもうこれは条件反射かなちゃん付けするなって何回言えばわかるんだ。
そんなことを悶々と考えながら足を前に、出来るだけ関わりたくない、早く逃げよう。
けれどそれは肩に置かれた手に拒まれる、無視して走り出そうとするが既に手遅れ。

ゆっくりと、見たくないものを視界に入れ一応の確認をする為に振り返る。
数年ぶりに見る顔、陽気に上げられた片手。
その片手には赤い小さな石がはめ込まれた指輪。

予想は外れなかった、外れれば良かったのにと小さく舌打ち。

「ハロー、アリー」

挨拶を口に出せば、思ってもいなかった程の苦い声。
こんな時に出てしまうのは仕方ないような気もするけれど。
そう思いながら此処へ無理矢理連れて来た涼を恨んだ。


「久しぶり。なかなか来ねえからくたばってるかと思った」


どうも、と答えて視線を逸らした。
まだ死んではいないものの、何度も死にかけそうにはなっている。
思い返せば、ついこの前だって少し死にかけていたような気がする。

この前のことを思い出していれば、そういえばと思い当たる疑問。
あの後から妙に柊笑っているのに怖い、元からだったような気もするけれど。
ただ最近は涼まで笑いながら怖い雰囲気、むしろ二人がいると不穏。
確か仲は良かったように記憶しているのだけれど。

本当に何なんだろうと改めて思う。
涼はこっち来いとかあっち行くぞとか一々言ってくるわ、それに対して柊は行かせないようにしてくるわ。
長谷とか小田とか拓巳とかに相談するにも戸惑っているのは同じだろうしと提案を却下、長谷はからかってくるだけだと修正。

一体何なんだと結局答えは出ない、代わりにため息を吐き出した。


「漣夜、なに百顔してる?」
「いや意味分からないんですが」


なにひゃくかお、って逆に何だと想像する。
千手観音の顔に置き換えたものを想像して気持ち悪くなってやめた。
それでも顔は浮かび続けて、ついに人面犬が首を大量に持っている映像まで浮かぶ。

とりあえず無駄に想像力を働かせたくなくてアリーに意識を戻した。
アリーはただ迷うように唸って、恐らく日本語が出て来ないんだとはわかる。
けれどこっちも、なにひゃくかお、で連想出来る語も思い浮かばない。

「ああ、百面相」

やっと思い出したらしく、出たのは普通の日本語。
確かに言いたいことの意味的には近かったかもしれないけれど、わかるはずがない。

「なに百面相してる?」

言い直された質問。
そんなに顔に出てたんだろうかと無意識で口に片手を当てた。
疲れていたりするんだろうかと思うけれど、休日は出来るだけ寝ている。
傷も治って、痕ももうほとんど問題ないくらい消えて来ている。


「最近は?」


いきなり話しかけられて返答が遅れる。

「ワーク、なんだったか、仕事?」

イエス、と短く答える。
唐突だったから何のことだか全然見当がつかなかった。

ぼーっとしている、今居るのは裏なのにと自分に言い聞かせる。
集会だからと言って殺されないわけじゃない、誰かが殺す殺されるが当たり前の場所。
そこで惚(ほう)けている場合じゃない、手に握っている刀を強く握って再確認させる。

「まだ鈍(なまく)ら振り回してんのか?」

アリーの顔を見るが視線は合わない。
ただ上を向いて、空を見ているように感じる。
ずっと見ていることも気が引けて視線を適当に逸らした。

「こっちだって好きで鈍らは使ってない」

良いものを買う金がないんだよと小さく呟けば小さく笑った声がした。
事実だから仕方ないとは思いつつも、少々それに苛ついた。
ただ、少しは良い物に買い替えたいけれど、どれがいいのかがわからないこともある。
調べようと思いながら忘れていたことを思い出す、今日中に調べてしまおうと決める。

けれど刀に回せるだけの余分が出るかどうかが問題だった。
今月は恐らく横峰の時の報酬で払うことになるだろうから。
食費、家賃、水道電気代、情報料、電話代諸々、ぱっと浮かぶのはそれくらい。
考えてみればそう凄く金のかかるようなものは無いはずなのに、とそうでないことに対しての頭痛。


「テメェ、少しポーカーフェイス覚えろ」


ため息と同時にアリーが言う、それも心底呆れたような声色で。
さっきの言葉で十分理解しているからせめて今だけは見逃してくれればいいのにと心の中で自分勝手な言い分を連ねる。

「そんなに顔に出てるか?」

再び口に手を当てながら聞いた。
ただ同じような内容が今日だけで2回も言われてしまうと、少し気になってしまう。

「かなり。昔は少し出来てたが」

愉快そうに笑われる。
どうして昔出来ていたものが今は出来ていないんだろうという疑問。
少し考えてみれば、幸せボケ、そんな言葉が浮かぶ。

思わずそのことで、自分自身に苛ついた。
今が安定している状態で凄く楽しいとは思う、けれど、それでは駄目だった。



「忘れたわけじゃない」



どうして今此処にいるのかも、このままでいれないことも。
ただ普通に生きているわけじゃないことも、普通に生きるつもりがないことも。
小さく呟いた言葉を聞き取ったのか、アリーが俺をしっかりと見つめてきた。

「漣夜、ワタシが憎いか?」

異様な雰囲気で賑わっているはずの此処で、はっきりと響くそれ。
決して大きな声ではなかった、もしかしたら俺にだけそう聞こえたのかもしれない。
今だって、誰もこっちを見ていなかった。

憎いとか憎くないとかそういう問題なんだろうか。
そんなことが頭に浮かぶ、両極にあるわけじゃないだろうと思う。
かといって、少しだとかかなりだとかの度合いでもない。
明確な言葉を持たない漠然としたイメージだけの脳内。
何かがもっと違うような気がした。

でもそれを他人にぶつけた所でどうにもならない。
それだけはいつだってつきまとう、言葉の無力。


「感謝してる」


その中で出した返答、今伝えられる全て。
思考全てを開け広げる必要もないように感じられた。

「アリーがいなかったら、変わらなかったと思うから」

ただそれだけで十分だと感じた。
アリーが居たから悪化したこともあれば好転したこともある。
第一、俺が今、此処に居ることだってその一つなんだと思った。

「なら、結果オーライ?」

変に笑いながら視線は俺から外れた。
互いの間にあったおかしな緊張感が和らぐ。

「なんか違うような」

主に言葉の使い方、使う場面が違っているように感じる。
けれどそれよりもアリーの日本語、知ってる単語を含めての諸々に少々の違和感。
一体誰に習っているんだろうと好奇心が出る、これくらいならば聞いてもいいだろうか。

「日本語誰から習ったんだ?」
「抹茶」

その即答におかしい理由を一瞬で理解する、どうして涼に教わろうと思ったのかの疑問。
教師として中学生を選ぶのもどうかと感じるけれどその前に、涼に教わった所でろくな言葉は教われないと、確信を持って言える。

「もっと、こう、本当の教師に教わるとか、」
「面倒だな、必要ねえものまで教えられるじゃねえか」

言いかけた提案は簡単に却下された。
既に必要のないものを教えられている気しかしない。
さっきの、百面相は何とか自力で出て来たくせに仕事は微妙だったことが証拠になるだろう。

何故アリーが涼に習おうと思ったのかはわからないけれど、どうやって説得しようと考える。
というか確か涼は英語のリスニングが苦手だったんじゃと思い出す。
すぐ浮かぶ予想に悪寒、英単語と日本語が食い違っている可能性。

「いや、アリー、本当に日本語講座とか、」
「あ、レン」

ちゃんとしたところの方がいいと思う。
そう言おうとした声を遮るようにかかった、俺を呼ぶ声。

さっきのただの悪寒と違って血の気が引く寒さに襲われる。
何故だかとても振り向きたくない、背後にいられることに変な恐怖を感じる。
いやきっと気の所為だ、俺疲れてるんだな、うんそうだきっとそうだ、だって足音なんてなかったなかったなーんだ気の所為か!
出来る限り脳の中で現実逃避、暗示のように頭の中で言葉を繰り返す。


「レン?」


耳元に。

「わああああああ!!」
「あはは」

耳を素早く手でガードして、これ以上息がかかることをまず防ぐ。
それから背後でなくなるよう、せめて距離が取れるように思い切り走ろうとする。
けれどそれより早く掴まれた肩、俺が逃げようと足で地面を蹴っても離れなかった。

「珍しい顔だな」
「出てはいけないという決まりは無いでしょう?」

まるで柊について知っているかのようなアリーの独り言に、柊が返す。
表情は見ていないから想像上ではあるけれど、声はいつも通りだった。

けれどそっちは正直どうでも良かった。
今は肩から手を退けてもらう方法を考える。
しかし考えているうちに左手まで腹の位置まで降りて来る、それを片手でそれとなく掴んで防いだ。

「キトー、さん?」

振り返って名前を呼ぶ、退けて下さいという意味を込めて。
敬称をつけるべきか迷った、いまいちどういう距離感で接すれば良いのかがわからない。
腹辺りに降りて来ていた手にこもった力は抜けている、今のうちに元の位置へと戻そうとゆっくり横へ押す。

「別にさん付けしなくていいよ」

左手は何とか上手く退けることが出来た、次は肩。
そう思って右肩にかかっている手をのけようとやんわりと左手で押す。
けれど左手と違って上手く退かない右手、両手で押しても退かない。

そのうち退けた左手が腹の上に回る。
どっちを先に退ければいいのかがわからない、堂々巡りの予感。
退けるよりも本人に言ってしまうことの方が簡単かもしれない。

「えと、離して欲しい、んだけど」
「どうして?」

どうしてと聞かれても、どうしてもです、としか言い様がない。困った。
斜め後ろを向いて表情を見てみても、柊はにこにこと笑っていて言葉に迷う。

冷や汗が背中にじっとりと張り付く。
心臓が変にドクドクとうるさい。
けれど、どうにも出来ない状況。


「漣夜、えらく親しいな」


にた、と笑いながらだが、随分と怪しんでいる。
アリーは、きっと引きずり出そうとしているんだろう。
俺がそうだったように、キトーの情報は出回っていない。
その情報はたった少しの接点でさえ貴重なのだ。それこそ、容姿を含めて。

ただこの様子だと、アリーは容姿を知っていたようだけれど。

「まあうん、ほどほど、だよ」

問いは、真っ向から否定することにも気が引けて曖昧な答えを返す。
友達だから当たり前と言えば当たり前のことなのだけれど。
そうはっきり言えられればいいが、此処でそういうわけにいかない。

「アリーさん、でしたっけ」

肩にあった手が離れた、左手は離れる様子は見せない。
柊からの質問にアリーはただ感心したような表情を浮かべる。
腹の探り合い、そんな言葉が浮かぶ今の状態。

「おやおや、知られてた」
「レンがお世話になってたそうですから」

柊の言葉に対する違和感。
どうして知っているんだろうと疑問が浮かぶ、けれど柊に対して疑問を上げるならキリがないことに気付く。
このまま疑問は忘れてしまおうと決意、余計なことは気にしない首もつっこまない、そう自分に言い聞かす。

しかしそろそろこの腕を何とかしたい。
言った所でどうにもならなかったし、自分の力で退けるしかないと思いつつもさっきの二の舞になる。
どうすればそうならずに済むだろうと考えてみるけれど、答えが出ない。

何かないのかと周りを見ても、アリーは助けてくれるわけがない。
自分の手に持っている刀に頼るのが一番だろうという結論。
適当に鞘から刀を抜く素振り、これでも駄目なら適当に振り回せばいいだろうと軽く思った。

「危ないよ、レン」

そう言って柊は刀を押さえながら離れた。
目標は達成したことに安堵する、けれど確かに危なかったことには変わりはない方法。
でもこうしなければ離してくれなかったのは柊であって仕方なくもあるように思う。
なのに今は正面で困ったように笑う柊に罪悪感を感じてしまう、なんとなく理不尽だと感じた。


「ほれ、何してんだー」
「わっ!」


後ろからの声と首元に回って来た手に驚いて逃げようとして、逃げ遅れる。
それでもまたこの状態で硬直してしまうのも癪で、まだ少しでも余裕があるうちにと後ろに蹴り。
避けられないことに少しだけ期待する。

「あっぶねー」

そう言って涼が離れる、避けられて思うように当たらなかった。
離れてくれたのは良かったけれど、ついでに当たれば良かったのにと軽く舌打ち。
柊も涼もどうして同じことをしてくるのか、偶然なのかわざと真似しているのかはわからないけれども。

「元気そうだなぁ、抹茶」

アリーが不意に声をかける。
視線をそっちへ向ければ、つまらなそうに壁にもたれて煙草をふかしている。
そんな風に一部始終を見られていたのかと思うと、騒いでいた自分が不意に恥ずかしくなる。
またアリーにポーカーフェイス云々を言われる前に戻そうと口元へ手を向かわせようとした時に、後ろから押されるような衝撃。

「マーキングもお元気そうでー」

斜め上から聞こえる声、背中がとてつもなく重い、痛い。
どうして離れたと思ったらまた乗るのか、しかもさっきよりも嫌な方に。
痛い、と呟けばより増す重み、わざとかと力一杯殴りたい衝動に駆られる。


「ユロ、レンが辛そうだからやめてよ」


声の少し後に上から重みが退く、柊が退けてくれたのだと悟る。
少しの間で痛くなった腰、思い切り上に腕を伸ばして紛らわす。

楽にしてくれた、注意してくれたことのお礼を言おうとして柊のいる方向へと振り返る。
瞬間に見えたのはまさに絶対零度、悪寒の再来、笑顔じゃなくして下さいと何かに願いたくなった。
涼やアリーの方向に軽く視線を写す、同じように視線を逸らし合っていた。

「大丈夫?」
「あ、おう、ありが、とう」

良かった、そう言って柊は心底安心したような表情を浮かべる。
さっきの表情との温度差に少しだけ驚くと同時に表情が豊かなんだろうかと感じた。
笑顔しかあまり出さないけれど、それにもいろいろ種類があるんだと思えた。
ただあの一瞬の表情だけはこれからさせないように心がけようと決意する。

「んで?」

涼が言葉と同時に柊の肩に手をかける。
俺には関係無いだろうと完結させて、壁に肩を持たれさせた。
もう誰かに背後に立たれてしまうことだけは避けたい。

「噂の元キトーさんが何で今更ー?」
「気が向いたから。一回くらい来てみたかったし」
「あーな」

早い話が好奇心なんだろうか、柊の答えからそう解釈する。
今までは顔がバレないように出なかったんだろうか、そういえばいるかどうかさえ俺は疑っていたと思い出す。
何もわからない状況でいると言われたって信用出来なかった、と心の中で誰かに言い訳をした。

ふと僅かな足音がした、耳に神経を集中させる。
後ろから駆けてくる音、比較的軽い、背後を取られる前に振り向く。
こっちを向いて振り上げられた手、握られていたのは綺麗にまっすぐと芯が伸びたアイスピック。
受け止めるには近過ぎる、急いで離れてそれを避けた。


「ざんねん」


アリーよりもまだ片言さが残る言葉は俺が避けたことに対してだろう。
愉快そうな水色の目と目が合った、俺と違って綺麗な色素の薄い色。
幼い顔立ちと金髪に、それはよく似合っていると昔から思う。

「シャル、ク」

ただ持っているものはそれに似合わず物騒で。
これは単にアリーの影響なのだろうかと視線を向けても曖昧に笑われるだけだった。
教育的によろしくないんじゃないかと思うも、他人の家庭には口出し出来ない。

「おー、シャルク来てたかー」
「ユロさん!」

涼の声がかかった瞬間に、アイスピックはどこぞに仕舞われて浮かべられる別人のような笑顔。
シャルクの涼に対する変わり様には毎回の感心、ある意味これもポーカーフェイスなんだろうかと考える。

けれどどうして俺にはあんなに攻撃的なんだろうとふと疑問に思う。
嫌われているんだろうかと少しだけショックを受ける。
何処で嫌われたんだろうといつも思い返すけれど、よくわからない。

それにしてもあの2人の場違いさがこの場だと余計に目立つ。
普通の道ばたで、というのもまたおかしいと思うけれど。
見ていて恥ずかしいというか、直視したくないというか、とても微妙な気分だった。

「アリー、あれ、どうにか出来ないのか?」

見るに耐えられなくなってアリーに声をかける。
無理だろ、と唸りながらアリーは俺の方向へ歩いてきた。

「シャルの性格の悪さ、知っているだろう」

どこかげんなりしたような表情。
性格の悪さというよりは表裏が激しいという表現がきっと正しいだろう。
上手く世の中を生きてるなぁと年下であるシャルクに何故か尊敬してしまった。

その瞬間に、ふと、脇腹に。


「ぎゃあっ!」


ぐに、と揉まれて驚いた。
力が変に抜けてしゃがみかける、それを柊が後ろから脇に腕を通して支えた。
そのおかげで何とか地面にしゃがみ込むことは防げた。
良かったのかどうかはわからないけれど、とりあえず安心して息を吐き出す。

「大丈夫?」

少し笑いを堪えているかのような声、楽しんでいるんだと察す。
そしてまた背後にいる、しかも今度は手が交差して両脇腹、に。
それに意識が行くと同時にわきわきと動き始めた手、力がまた抜けかける。
あああああ、と唸るような声が自分から出る、動きを止めようと手で懸命に柊の手を掴むけれど止まる様子がない。


「もっ、やめろよッ、しゅ、」
「しゅ?」


聞きながらとても素早く柊の手が俺の口を塞いだ。
俺は何を言ったと思い返せば、本名を口走りそうになったという答え。
自分の顔から血の気が引いていくのが感じる、冷えていく背中。

「しゅ?」

俺の言いかけた言葉を復唱しながら覗き込んでくる柊の顔は本当に良い笑顔。
あの一瞬の再来、もうさせないと決意した笑顔。
ごめんなさい、と謝る、けれど笑顔は崩れない。

あはは、と俺も笑うけれど頬が引きつっているのを自分で感じる。

「本当にレンは迂闊だなあ」

脇腹を離れた手に無理矢理上を向かされる。
また一段と自分の顔が引きつったことを感じた。


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