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アドレス帳の開いたページの携帯番号を押して、左手の親指で発信ポタンを押す。
ツー、と鳴ってコール音が耳元で響いた、数回繰り返される音。
ぷつ、音が途切れた後、僅かな生活音が携帯から聞き取れた。


「涼、」


相手を呼べばすぐに返事があった。
どうした、と相手はいつもの調子で俺に問いかける。
素直に今から行くことを伝えれば、珍しいと涼は笑った。

手は階段の手すりを滑って、階段をそろそろ俺は上り終わる。
インターホンが鳴って、それが開けられる間の時間さえ今は待てない。
すぐに扉を開けてもらう、その為の連絡だった。

「だから、」

ピンポン、一度短くインターホンを押し込んだ。
扉の向こう側から少しだけ急いだような足音、恐らくスリッパなのだろう、ぺたりとたまに聞こえる。
音の近付きで扉の直前まで涼が来たことを知る、少し急いだ足音やぺたりという音はそこで一旦止まる。


「開けて」


鍵を開ける音はしなかった。
扉を挟んで、電話で繋がっている状態の硬直。


『何殺気立ってんだよ』


電話越しの静かな凄み。
それは勘で言っているのか、何かからの誤解からなのかはわからない。
別段、殺気立っているわけではなかった、じゃあどうなのかと聞かれればこれもわからない。


とりあえず電話では、別に立ってないと答えた。
携帯電話を肩と耳とで挟み、扉のノブに左手をかける。

鍵が開く音、俺がノブを回すよりも早く勝手に扉は開いた。
中には予想通りスリッパを履いた状態で扉を開いた涼の姿。
その目線と目が合うが、一旦下に降りて、また再び目が合う。

「んなもん持ったまま言われても、な?」

一旦家に帰って持って来た刀、それを涼に突きつける。
呆れた様子を見せる涼、理由なんて何だかどうでも良かった。


何とでもない様子で涼は、俺を部屋の中へと招き入れるように一歩下がった。
がちゃん、と閉まった重い扉、奥で聞こえるテレビの音だけが周りに広がる。
ため息が一度吐き出されて、からからとした笑い声だけの空間に戻る。

涼に刀を向けて近寄るが、怯えている様子はない。
部屋に入ることも特に止めるような動作もなかった。
ただどことなく探られている風な視線だけが、向けられている。


「あいつの居場所、教えろよ」


相手の喉元に、出来る限り刃先を近づける。
油断してしまえば簡単に逆転されてしまう相手だから、出来るだけ有利に立っておきたい。

ゆっくりと両手が天井に向かって上がり、降参と涼が小さく何処か楽しんだ風に告げる。
そうしろと言ったつもりは無かった、涼は武器を使わないから不所持だとわかっても無意味だ。


けれど今、それを問いつめて、口論する気分でもない。
本来の目的をはぐらかされてしまうことは最も避けたい。
情報を貰えたら、もう相手に用はない。

「依頼料は払う、あいつは今何処に居る」

欲しい情報の詳細を告げる。
いくら出したって良いことを言外に伝えた。

一度、涼の目が俺から逸れて右上へと上がる。
記憶を探っているのか、何か別の言葉を考えているのかはわからない。
静かな数回の瞬き、難しそうな表情を涼は形作って俺を見ないままだった。

「一旦落ちつい、」
「情報!」

あるかないか、出せるかどうか以外の言葉を聞くつもりは無い。
声を張り上げてそれを潰す、今欲しいのはそれじゃない。

何をやってるんだろうと興奮した心を頭が宥める。
涼が本当にあいつの居場所知ってるかどうかもわからない、これじゃあただの脅しだ。
聞き出せなければジレンがいる、此処で最後というわけじゃない、焦るなと声が回る。


でも俺は、刀を降ろせなかった。
睨みつけた視線を緩めることなんて出来なかった。

妥協は許されない、自分からかけられたプレッシャー。


「海、」


涼の手が俺の頬に触れる。
刀は峰を押さえられて横へとずらされていた。
ずらされればわかるはずの手、なのに全く気付けなかった。

気を抜くと同時に力が抜けた手は、床に刀の刃を付ける。
思考が急速にぼやけるような浮遊感。

今まで自分は何をしていた?
みっともない、自分の焦り過ぎた行動が酷く惨めだった。


じゃあ、何をする為に頑張ってきた?
頭がすぐさま、緩もうとした心に質問を出す。
あいつを殺す為、確認を促された心で唱えた。

「殺すのか」

涼は思考を呼んだように問いかける。
俯いた状態で頷く、小さな動作を向こうが見たのかは知らない。
床しか見ていない視界に、涼の足の指先がわずかに入っってくる。


すぐに刀を上げて横に振る。
目線を上げて、近づいてこようとした首筋の横へと固定。

近づかれて、どうされるかもわからない。
涼は殺人に非協力的で、今だってもしかしたら情報を隠しているかもしれない。
止められない保証はないのだ、俺の邪魔をするかもしれない相手でしかないんだ。


「取って来てやる、ついてこいよ」


取ってくると言われたものは情報、あったのかと落胆が広がる。
やはり涼は、理解なんてしていないんだと心の中で確認した。
どうしたって本当に理解してもらうことなんて、出来てなかった。


前を歩く涼の後ろを、刀を構えたまま歩いた。
緊張感が自分にまとわりつく、柄を握る手が震えたのを隠す為に力を込めた。

「此処で待ってろ、印刷してくる」

振り返った目は冷ややか。
わかったと返せば、目の前の扉は閉じられた。

ふ、と廊下の壁にもたれかかった。
手だけでなく、足までが震えてしまう。
右手で左肩を押さえる、押さえ込んだことでじくりと痛みを思い出した。


がちゃりと音がして、足下に扉の影が入り込む。
視線を上げると茶色い封筒が目の前に差し出されている。
薄っぺらい封筒は指が支えていない部分から折れているほどに、薄い。

恐る恐る、左手だけでそれを受け取る。
中身を見ようかと思って、右手を上げかけて、やめた。


「涼」


俺の右肩を掴もうとした手と、腹部を殴ろうと握られていた右手。
名前を呼んで気付いたことは伝える、実際に俺に当てられる前にそれは停止した。
自分と相手との間に存在する刀を、ゆっくりと相手の腹部寸前に突き立てる。


ふと柊の泣きそうな表情を思い出した。
どうして、柊はあそこであんな表情をしたんだろう。
上手く笑えていなかったから、あの時はそう思ったけれど本当にそれだけなんだろうか。

今の涼までが、どうして。
今は笑ってもいない、何もそんな表情をさせることなんてないはず。
突きつけた刀は、お前が俺を殴ろうとしたことと一緒のことなのに。

「やめとけよ」

あいつを殺したって何にもなんねーよ。
苦いような悲しいような、いろいろな感情が混ざったような複雑な表情。
悲痛だと思えるには思えた、けれどそれに負けるつもりはなかった。

それどころか自分の頭が思うのは、情報があるという一点。
言わなかった、隠されていたことよりも、大きく頭を占める。
考えたくなかったから、そのことだけを心が頭に伝えていた。


不意にそもそも、考え方が違うのかと思った。
涼が言いたいのは利益だ、あいつを殺して何のプラスがあるのか。
そんなことは今じゃなくたってわかっている、あるわけないんだ。

「何になるとかならないとか、全然関係ない」

誰かが生き返るとか、何かが元に戻るとか、そんなこと思わない。
死んだ人は死んだまま、ずっとそのままの状態でしかない。
結果だけは絶対に変わらなかった、どうやったって。

だから、そんなものじゃない。
ただの気持ちの問題だった、他の何も絡まない問題。


「殺すだけで、他はどうでもいいんだよ」


思い出せば、自然と緊張が和らいだ。
今までの目標はずっとそのことだけで、それまで死にたくもなかったし強くなろうとした。
あいつの所為で、全部が滅茶苦茶にされたような気分で、怖くて憎くて嫌いで、殺したくて。

でもそれをやっと、返せる。



「ユロ、父さんの情報を提示して」



やっと、あの男から解放される。
いつまでもちらついていた父親が消える。
体に残った痣も傷も記憶も、全部あいつが消えれば、意味は消えるんだ。

刀はもう近づけなかった。
これ以上、使ったって意味はない。

「わかった」

観念したような表情、悔しそうに涼は頷いた。
ついてくるなら来いよ、投げやりな返事で涼は部屋に入る、扉は開けられたままにされた。

部屋に入ればすぐに涼は、自分のパソコンに向かう合う。
涼がパソコンに向かっている間、後ろのソファに座る。
ばふりといつも通りソファは柔らかくて、座り心地が良い。


不思議と、あまり予想していたより取り乱さなかった。
少し取り乱してはいたけれど、もっと、取り乱すかと予想していた。
頭も心も、酷く静かに落ち着いている。

あんなに男の言葉では狼狽えたのに。
父さんのことも、昔のことも、掘り返されて泣いて。


すっきりしてしまったんだろうかと、今に似合わないことが浮かぶ。
あれだけのことを思い出したのは久々で、そのことで泣いたのも酷く懐かしかった。

「これ」

プリントアウトされた、まだ温かいくらいの紙が顔にくっつく。
それを手で受け取り見てみれば、真ん中に住所のみ、ぽつりと並ぶ。
県外住所、飛行機に乗ればすぐに行けるだろうかと道のりを考える。


とりあえず用は済んだ、後払い、と一言言って刀を鞘に仕舞う。
ソファとの別れは少し名残惜しかったが、長居することは出来ない。

すたすたと部屋を出て、玄関口で乱暴に脱ぎ捨てていた靴に足を通す。
後ろでまたスリッパのぺたんという音が聞こえるが、気にしないで踵を指で上げる。
履けて靴ごと足を降ろすのと、左手が掴まれたのは同時。
これ以上言い合う気にもなれず、振り返らずに振り払う。

けれど、腕は離れなかった。


「やめとけよ」


何を今更、そうぼんやり感じてしまった。
居場所を書いてある紙を渡した時点で止める権利なんかないくせに、そんな責任転嫁さえ起きてくる。

どうせ何度もされた質問だった、相手が違うだけ。
いつもならまだ迷ったりしたかもしれないけれど、今回だけは違う。
今回だけは誰に止められたって、止めることなんて考えることは出来ない。

「これ以上あいつのことどうこう考えたって仕方がねーだろ?」
「うるさい」
「うるさくねーっての」
「じゃあお節介」

適当にあしらって掴んでいる手を引き剥がして、また掴まれてを繰り返す。
俺が引かないことをわかっている上で引き止める意味がわからない。


きっと数年前ならば、違っていたのだろうかと振り返る。
そうやって止めてもらえることを気にかけてもらっている、と感じられた。
他人が関わろうとしてくれることが嬉しいとさえ、感じられていたのかもしれなかった。

今ではもう煩わしいものでしかなかった。
反抗期だろうかと考えてみるけれど、思考は反れず違うと遊ばない答え。

「なあ、」

引き剥がし、掴み直しの手が強く手を握った。
どうして両手を握るのかと変なツッコミが浮かんだが、場に似合わない気がして押し込めた。

でもやっぱり気になる手。
それとなく離すように促そうと目で訴えようとしたが、らしくなく眉間に皺が寄っていた。
今日の表情は何だか全部がらしくないと思って、離させようとしたことも忘れて見入った。


「人殺しの何処がいいんだよ」


少し目線を外して言われたその言葉に、ムカついた。
何だよそれ。

今まで全てが無駄だと言うような言う言葉に思考は消える。
目線を外してまで言い辛いことならば言わなければいいのに。
止める為の言葉だとはわかっても、簡単には収まらない反論。


そのうちにも沈黙が降りて、腕は離された。
気まずい空気に浮かんだ反論を告げる気にもならない。
ああどうでもいいや、そんな気分が浮かんで体を染める。

「情報を渡した時点で俺とお前は共犯で、」

結局何を言ったって、涼にわかるはずがない。
あいつ自身に関わったことなんか、ないんだから。


「俺と一緒の、人殺しなんだよ」


もう誰かに理解されようともがくのはやめて、笑った。


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