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第三章第二話 保たれた現在を



ぱん。

軽い音が僅かに響く、目の前にある人型の板の中央横に穴が空く。
目標としていた部分から僅かにずれた場所、もう一度狙いを定める。


「止め」


目の前を手の平が通過した。
恐る恐る視線を横へと向ければ、横に立つ上司はにやにやと笑っている。
どうせまた練習不足だとでも言いたいのだろう、つけていた耳栓を外す。

「そっから上達しねえなぁ」

覚悟していた言葉は遠回しに隠される。
けれど結局言われていることは同じだ、そう大差ない悔しさ。
どうにか言い返そうにも練習していないのは事実だ、ぐうの音も出ない。
それを知っているからこそ、上司は余計にその言葉でからかうのだろう。

一体家でどうやって練習しろというのか、からかわれる度に浮かび上がる疑問。
いつだったか絶えきれなくなって聞いたこともあったが、頭使え、と一喝された。
けれど今懸命に考えてみたって家での練習方法は浮かばない。
今度フィリスにでも相談してみようかと、練習所の銃を手にもって仕切りを出ようと振り返る。

「じゃ、次」
「え」

帰るんじゃないんですか、思ったよりも嫌そうな声。
それを可笑しそうに上司は笑う、酷くおかしそうに。
弱っちいのはいらん、切り捨てられた台詞に現実を思い出す。

そのうち、訓練は仕方のないかと諦める気持ちと面倒な気持ちが浮かぶ。
後の予定は無いにしても、今日は何となく疲れている分、後者が大きくなった。
葛藤は面倒が勝利した、もう帰ろうと上司を極力避けて、出来るだけ素早く動くことを決意。

「帰る」
「何言ってんだ」

立ち去ろうと早足で通路を目指す、けれどそれよりも早く腕が掴まれた。
捕まった以上もう駄目だと抵抗は諦めた、これ以上無駄に疲れたくもない。
けれど面倒だ、めんどくさい、せめてもの抵抗である舌打ち。

「ぶうたれんな」

手が離されて代わりのように軽く頭が叩かれた、痛みはあまりない。
仕方なく元の立ち位置へと戻る、返す為に持っていたそれに目を向ける。
思わずため息が漏れた、予想以上に打った後の反動がまだ馴染まない。

「手が痛いんです」

軽く銃を持った手を左右に振ってアピールする、そうすれば呆れたため息。
訓練を終了するということはないだろうが、少し早めに切り上げてくれるような良心を期待する。

「よわっちいなぁ」

頭をかく様子を見送る、何を考えているかはわからない。
何発打った、と聞かれて入って来てからのことを思い出す。
慣らしで三発、頭を三回、胸を四回、手を一回、心臓を一回、それを繰り返したから、二十発前後か。
それを簡潔に伝えれば、長い長いため息。

「日を開けるなって言ってんだろ」
「書類が溜まってたんで」

ほのかに嫌味をにおわせつつ言ってみれば、ああそうねと軽く流された。
誰の所為で溜まっていたものだと問いつめてしまいたい気持ちに襲われる。
しかし此処でそれをやってしまえば、それを根に持ってしまわれそうでやめた。


「やっぱ慣れには実戦かねー」


ぽつりと呟かれた内容に思わず苦い思い出。
この人は絶対に無茶な条件を出す人だとこの数年で理解している。
嫌だと言った所で聞きもしないだろう、どうすれば諦めるか頭を回転させる。

「フィリスに、頼むからいいです」
「ん?」

そうだなと考えるような声。
仕事に訓練を兼ねられると、とても困る。

思い出すのは、最初の実戦だった。
あの時は心臓のみの条件が出されていた。
今から考えると、最も緩い部類の条件であることまではまだ良かった。

しかし初戦からの緊張と不慣れで上手く当てられない。
追加して相手は防弾チョッキ着用で狙撃範囲が狭い。
そんな状況であり、結局本来は使用禁止の刀でやっとの結果。散々だった。

そもそも何の予告も無しに仕事と訓練を結びつける人だ。
普通に昨日まで徹夜をしていたと知っていて練習所に半日打ち続けさせる。
鬼、と思いついた一文字はとてもしっくりと心に収まる。

「よっし、わかった。フィリスに連絡取っとけ」

は、と思わず口から声が漏れた、眉間に皺が寄るのを感じる。
まさか練習につき合う気なんだろうか。
面倒だという気持ちが再来する。

正直なところ、フィリスなら上司ほど無茶は言わない。
彼の中には一定の理論があり、感覚的な指導でもない。
それだから、頼むというのに。
上司が一緒では全く意味がない、と更に眉間に皺を寄せた。

「打ち合い勝負、勝者はタダ飯。うん、きまりきまり」

一度手を叩いた後、上司は愉快そうに笑った。
そして調子良く鼻歌を歌って、出て行こうとする。

「ちょ、」

その手を大急ぎで掴んだ。
言われた内容が鮮明に頭を回り出す。
勝負、ということは俺とフィリスが、なのだろう。
彼が銃を使う機会はそうない。
しかし、彼の場合にはある程度は使えると思って間違いはないだろう。

ハンデはあるのか、何を打ち合うのか。
上司に問いただしたいことはたくさんあった。
浮かんだ質問の中でどれが最も重要かを考えて、選ぶ。

「そのメシ代、誰が出すんですか?」
「もちろん負けたやつに決まってんだろ」

おそらく聞くべき問題は間違っていた。
それでも追加で伺う内容は、上手く口から出ない。
その間にも鼻歌を再開した上司が上機嫌に練習所を出て行った。

明日、明日かと予定の日程を繰り返す。
携帯のスケジュールを開いた。
フィリスにも連絡をしなければいけない。
メール画面を開いて打つ文字を考える。
明日に打ち合い勝負、それだけでわかるとは思えなかった。


練習もしないのにこの場所を占領するわけにはいかないと思い出す。
銃を持って仕切りを出る、練習所の係に銃を渡した、無言で受け取られる。
銃声が響く部屋を出て廊下にあった長椅子に座り込む、ぱすと薄いクッションの感触。


「……」


どうやったら簡潔に伝えられるだろうと少し悩む。
要点だけ送ればいいだろうと思いついて、メールへ簡単にそれを打ち込む。
途中、最初の部分に詳しいことは知らないことも付け足しておく、どうする気なのだろう。
打ち合い勝負ということは銃だ、そして相手はフィリスだろうと予想。
特に不調だということもないのに、きちんと目標の場所当たったものはない。
更に打ち続けたことでまだ手はじん、と痛む、これは一晩で何とかなる範囲かと安心。

とりあえず、フィリス相手に真っ向勝負で勝てるとは思っていない。
何を対象にするかにもよるだろうか。
いや、いっそハンデを期待しようか。
それでも無理ではないだろうか。
そんな風に自問自答を繰り返す。

刀を訓練中に使えるわけがない。
今から練習をするにしても、これ以上手を酷使すれば返って悪い結果を招きそうだ。


ぐるぐると思考が回る。
いつの間にか上司とフィリスの隙をついて刀を使用する方法を考え始める。
まだ不安定で定着しない銃よりは使い慣れた刀の方がまだ希望があった。

けれどどう考えたってあの二人を出し抜ける気がしない。
むしろ使用するまでは良い、だがそれがバレてしまったときが恐ろしい。
訓練であり、今回は食べ放題もある、ただでさえ何かにかこつけて罰を増やそうとされそうな予感。

浮かばない打開策、こんなことならもっと真剣に練習していれば良かったとぼんやり後悔。
むしろフィリスの名前を出さなければ良かったのだ、今日だけでも我慢していればこんなことには。


そこまで後悔を進めて、ため息を吐き出した。
幸せが逃げる、ということをよく聞くけれど気にする気もない。
少し願掛け代わりにため息を我慢したこともあったけれど、イライラが募るだけだった過去を思い出す。

明日の訓練が中止になる様に何か出来ないかと考える頭。
後ろの壁に後ろ頭を持たれかける、出ない答えは出ないまま。
どうにかなるかと諦めてしまえば、簡単に思考は終了した。


「何処のやつ?」


いきなり辺りに広がった強い煙草の匂い。
顔を練習所の出入り口へと向ければ、見かけない姿だった。
02ならば少々すれ違うことはあるが、言葉の訛りが気になる。

「ゼロ支部。二十三番」

簡潔に名乗れば相手は、把握した様子で納得の声を漏らした。
僅かに頭をかいている様子、俺自体を知っているわけではないのだろう。
開いていた本文入力画面で止まった携帯を閉じて、ポケットへと仕舞う。
支所番号だけで良かったかと今更思うが、言ってしまったものはどうしようもない。

相手の支所を見ようと思ったが、生憎上着は脱がれて片方の肩にかけられている。
上着以外に書いている場所を考えるけれど、確か上着だけだったと思い出す、不便な。

「そっちは」

仕方なく尋ねることに決める。
何処から出したのかわからない煙草のケースを持って停止した相手。
すぐにハッとしてポケットから出したライターでそれに火を点ける所までを見送る。

「第三支部の十六やよ」

関西の方面だったかと記憶をたぐり寄せる。
そっちの方面にはまだ仕事に行ったことがない。
上司にでも聞けばわかるだろうかと頭が解決案を出すけれど、そこまでして知りたくもないと退ける。

「なんかぼーっとしてる」

本当に問題児か、そう言って男は無遠慮に隣へと腰を下ろした。
問題児、その言葉には馴染みさえ感じるほどによく聞く言葉。
ゼロ支部は特定の範囲を持っていないことが関係あるかどうかはわからないが、あの上司だ、わかる気もする。

「先輩やからな、大変さはわかんで。ま、頑張れな」

先輩という意味をいまいち上手く取れず、相手を見る。
照れた様に頭をかいている姿を見て、見ない方がいいかと視線を下げた。
自分が照れた顔を見られるのが嫌だったから、他にも同様の対処を取った方がいいだろうという推測。


暇つぶしに先輩、と頭の中で言われた言葉を繰り返す。
この人は、ゼロ支部にいたのだろうか。
ずっと同じ支所なわけではないのかと事実を再確認する。
ゼロ支部から他へと移れるのかどうかの推測は自信が無かった。
移ることがあると知ったことで少し気が楽になる。

絞られた範囲がないというのは予想以上に疲れるし面倒だった。
移動に関してもそうであるが、いちいちその支所へと郵便やらメールやらで予定を送らなければいけないことが億劫で仕方ない。

けれど俺が思う不満点はそれだけだった。
メンバーも嫌いではない、適度な距離は保たれている。
上司も、いろいろな経験を積ませるためにと思えば、まあまあ耐えられる。
ただ無性に全てを投げ出したくなったりもするだろうけれど。


「まあ最初に一番良い奴に巡り会えて、良かったな」


そう言い残して男は出口へと歩いて行った。
ぽかんと口が塞がらない、一番良い、彼の紡いだ一部分を繰り返す。
あの無茶ぶりは他では良い方なのか、もっと上がいるのかと想像する。
想像した所でそれは予想でしかなく、実際のことは何もわからない。

ため息をついてやっと口は閉じた。
楽な道ではないとは知っていたけれど、こういう意味でも辛いのかと嘆く。
今が一番マシなのかと思えば少しだけ頑張る気力が湧いた、どうにか受け流す技術をつけようと考える。

長いため息。
努力だったか苦労だったかは買ってでもしろということわざが浮かぶ。
上司がいきなり優しくなるようなことは無いのだろうかと少々の希望を浮かべた。
でもあれがそう変わってしまった後を予想する、…なんだか気持ち悪い。


結局は俺は今の状態が心地いいんだろうかと思ってしまう。
しかし捨てられないほどの心地良い空間にだけはなっていない。
それだけは避けるべきこと、手放す選択肢をいつでも傍に置いた。

「あ」

そういえばと携帯の存在を思い出す。
ポケットの中から取り出して再び開けば、自分が最後に打った文字の後に黒の縦線が立っている。
上手く知っていることや経緯を説明出来る自信は毛頭なかった、だから簡素な文章のまま送信ボタンを押す。
長々と説明するよりもわかっていることだけを伝えた方がいいだろう。

送信完了、というメッセージを表示したそれを閉じる。
わけがわからないメールになったと今更に思ったけれど、まあいいかと諦めた。
俺だってわけがわからないままだ、いざとなったら電話で伝えればいい。


重い腰を上げて、一度大きく上に伸びる。
ばき、と体の何処からか音がして満足、同時に出口の方へと足を踏み出す。
今夜はスーパーで晩飯を買おうと、ポケットの中にある財布の存在を確認した。


自動ドアの向こうに見える空は、もうすぐ黒に覆われるだろう。


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