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第三章第四話 切り捨てる未来へ


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「このままでは表に露見する」


通されてからそれなりの時間は経った比較的立派な部屋。
それはどことなく重苦しい、けれど息苦しいほどではなく無視出来る程度のもの。
むしろ空調の効いたこの部屋は外の季節を忘れさせる程度には、快適そのものだ。

「やるべきことは全てしている」

しかし、この問答だけがそれを台無しにする。
端的に告げるが相手は一向に状況を理解せず、ただ大丈夫だと通そうと頑なだ。
これさえなければ、いつまでも長々と話しても構わない、むしろ居座りたいとまで思えるのに。


ただ長々と居座るなら、客用だろうソファに深く腰掛けてからが良かった。
男が何度目ともしれない同じような言い回しを取る間、足の痛みだけが辛い。
客人に席を勧める、といった動作は入ったときから無かったので、きっとこれからも座れないのだろう。

「こちらに落ち目は無い、このままで十分、」

繰り返す話、きっと相手は曖昧に話を終わらせたいのだろう。
落ち目は無い、万全の対策、表に露見するはずがない、大丈夫だ。
一向に具体例を挙げることもせずに、ただ同じことを表現を変えて言うだけ。
今では表現を変えることも止め、同じ言葉を同じように返すくらいになったが。


本当に大丈夫ならば、此処に俺は来るはずがないだろうに。
目の前の金稼ぎにしか目を向けていない男に苛つきが増す。

表に存在が知られてしまえばもみ消すのは当然のこととしても、それまでに漏れた情報は中々止められない。
そこから疑いが広がるということを、どうしてこの男はわからないのだろうか。
男だけじゃないかと後ろに立ち並ぶ男にも、心の中でため息を吐き出す。

「知られた場合でもそちらには迷惑のかから無いよう、こちらで対処する」

それでいいだろうと偉そうに座ったままで、代表は俺に告げた。
明らかに俺を見下していた、きっと年齢の所為だとはわかっている。

代表は勿論、此処にいる者達の平均にも満たない俺の年齢。
年齢と実力と責任が比例しているように思い込んだ男たちが、俺を見下すのは或る意味当然だ。

事実、年齢と経験はある程度比例するとは思っている、その分から考えれば俺は代表に敵うはずが無い。
あくまで男たちの論の中では、の話になるが。


だからきっと耳を貸さないし、こうやって同じ話を繰り返すのだろう。
責任の軽い若い奴に警告させる、イコール、そこまで重要でない、という等式でも立っているんだろうか。
警告の意味が全く伝わっていないことを改めて突きつけられたことに、飲み込んでいたため息がつい口から抜け出た。

此処の問題だけならば此処まで口を出すか、馬鹿らしい。


周りの雰囲気が一変した、張りつめる緊張。
どうやら相手には、俺の態度が気に入らなかったらしい。
代表が剣呑であれば、勿論、後ろの者たちまでもが俺に敵意を向ける。


「此処ではシグナルと言えど、ある程度の礼儀は備えていただきたいな」


右手が軽く、恐らく俺の背後へと合図。
随分わかりやすい合図だと、失笑しそうになって止める。

これ以上挑発してしまえば、全てを敵へと回してしまう。
この人数はさすがにキツいものがある、出来れば避けていたい。

ただ、代表の合図を受けて後ろの数名が動く足音、緊張の揺れ。
僅かに顔を動かして確認すれば、刃物を構えた者が俺を半円状に囲んでいた。
既に敵へと回っている様子でもあるが、どうすればいいだろう。


とりあえず今すぐに襲いかかる、というわけでもない様子だった。
前に向き直って、どういうことか、と前にいる代表の男を睨みつける。

男は勝ち誇ったような笑みを浮かべる、勝者の笑みとでも言いたげな雰囲気。
何だか此処は緊張やらこの代表やら、精神的に非常に疲れた。


早く切り上げて、さっさと寝てしまおう。

「あくまでも、このままを貫きますか?」
「そうだってんだろ、若造が!」

早急な話し合いの終了を促す言葉は、声を荒げて近づく声に遮られる。
後ろを囲んでいた一人だ、この狭い部屋で大声を出す必要はないだろうに。


そう思いつつ、上着に入れていた銃を抜いて撃てる状態へと手を滑らせて、腕を伸ばす。
焦らず、出来るだけ早い速度で、照準器越しに相手の頭に狙いを定めた。

あと数歩、斬り掛かる為に振り上げられた手は俺に向かう。
走りかかる相手の目には、銃口が確実に捉えられている。
それでも止まる様子を見せないのは、覚悟なのか舐められているのか。

どっちにしろ、これからの動作は同じだが。


後一歩の位置へ、相手が踏み込んだ。
左手で右手を支えて引き金を引く、パシュン、射抜く音。
きっと部屋の中にしか満ちない、鋭い音が銃から発せられた。


ぼたり。
間近に降り掛かった血液に思わず眉がよった。
他人の体温以上の熱、どろりとした気持ち悪さが胸に広がる。

吹き飛んだ相手を呆然と、俺以外の人間は見ていた。
使う予定も無かったが、一応とサイレンサーを付けていて良かったと過去の自分に感謝する。
外まで音が響いてしまうのは、いくら裏寄りではあるとは言えど、浅瀬では極力避けていたい。


血をだらだらと流す男に視線を向けた外野。
大体のものは、石のように緊張した面持ちのまま硬直し、死体を見ている。

それの観察をやめて、次に偉そうに笑っていた代表へと向き直る。
男は目を見開き、ぽかんと口を開けたまま、他と同じように死体を見つめていた。
まるで、ありえないものか何かを目の前に見せつけられたかのような、彼の表情。


俺には男がどうしてそんな表情をするのかが、わからなかった。
まさか、はったりだとでも思っていたのだろうか。
そうだとするなら、見限られたとしても仕方無いな。


着ている黒い袖口で、簡単に顔の血を拭う。
べとりとついていた血、全ては退いていないだろう。
ある程度薄まれば良い程度の考え、此処で洗面台を借りるのも嫌だった。

一分一秒でも早く、この場から立ち去りたかった。


「他への迷惑を考えろ、孤立したくなければ」


間抜け面と見るのも話すのも嫌で、一方的な警告を口に乗せる。
これで納得しないのなら、説得すること自体、無駄だと判断するしかないだろう。

男の視線はゆっくりと死体から俺へと戻った。
未だその目は驚愕だけを持ち、答える様子はない。


かといって、俺はもう答えを待つ気もなかった。
男へ背を向け、死体に群がるチンピラを視界に入れる。

振り向く際の足音は沈黙の降りた部屋では大きく響き、遠巻きも一斉に俺へと視線を向ける。
憎らし気に睨む者、隠してはいるものの怯えた者、呆然とした者、様々な顔が二つに割れて道を開いた。
部屋の出口までの一直線、そのど真ん中に居座るのはさっき撃ち殺した男の死体。


特に気にもせずに、一歩足を前へと踏み出した。
右手に持つ銃が熱を失っていくのを、歩く過程で感じる。
長い問答よりも一発の銃声で済んだ結果に、少々の不満。

最初からこうしていればこんなに無駄な時間を過ごさずに済んだのだろう。
何となく、時間的にも精神的にも損をした気分だった。

自らの選択の間違いにため息をつく。


そうしながら、密かに後ろへと歩み出ていた男を横目で盗み見た。
手に握られているのは、さっき死んだ男の持っていたのと同じようなナイフ。
懲りもせずよくやる、そう思わず感心してしまった、真似ようとは思わないけれど。

部屋の出入り口までもうすぐ。
後ろをついてくる男の、踏み込むような重い足音。
持ち続けていた銃を振り返り様に男の肩に照準を合わせた、今度は待たずにすぐに引き金を。


男の目は見開かれ、後ろへと吹き飛んだ。
今度は一定の距離があった為、血は俺に降り掛からず弧を描くだけ。

どさりと男は重い音を立てて、呻きながら床に横たわった。
銃は降ろさずに、そのまま周りの男たちへと視線と銃を廻らせる。


まだ反抗するなら代表でも殺してしまおうか、そうすれば少しは大人しくなるだろう。
そんな考えを持って代表へと、照準を合わせる。
ひ、と怯えた声を発して男は椅子へとへばりつく。

けれど周りは視線が合った瞬間に下へと視線を逃がしていた。
代表も周囲もこの様子であれば警告にも従うだろう。
元々そう力のある組織でもない。


どこか生臭かった空間から外に出れば、一気に空気が変化した。
血なまぐさい匂いの原因が自分自身なのだということからは、器用に目をそらす。

きっと入り口のすぐ隣、脇の細道から吹く風の所為だろう。
どことなく涼しいを通り越した寒い空気が、変化させたのだと自分を納得させる。


それでも雰囲気も中と外では異なっていた。
大きな違いは喧噪の種類、外は純粋に賑やかなだけのものだ。
中のような物騒な空気は感じられない、多少の物騒さは多くの騒音に紛れて、感じるにも至らない。

時折、雑踏の中からは日本のものでない発音さえ聞こえた。
流暢な日本語に交じって危うい日本語もあり、ぱっと見でも色とりどりの髪色が見て取れる。

良く言えば、国際交流の盛んな町。
悪く言えば、違法取引の多い町。

大きな二面性を備え持つこの町の人通りの多さは、日が落ちた現在も変わることはないのだとぼんやり思う。
警告をする前の、まだ日があった頃からに比べれば逆に増えているくらいだろうか。
きっと日が落ちてからが、此処では一日の始まりにあたるのだろう。


血なまぐさい空間と騒がしい空間の間に立って、人ごみを少し眺める。
脇道から吹いた、冬を先取ったような風が俺の周りを一巡して、雑踏へと消える。

何処か別世界のような感覚が起こった。
俺は此処に立っているはずなのに、切り取られたような乖離(かいり)感。


裏の浅瀬、表の奥地。
此処は境界だった、どっち付かずな立場の人間ばかりだった。
深い場所を知らないで、上手に世を渡っていく人間ばかりの町。

だから俺は馴染めないのだろう。
裏へ偏る自分はどうやったって浮いてしまう。
灰色の中に混じった完全な黒や白が、目立つように。


不意に艶やかさを持つ女性と目が合った。
何となく視線を外さなければ、彼女はすぐににこやかな笑みを浮かべる。

人ごみを書き分けて彼女はこちらへと歩いて来ているらしい。
くるくるとした、明るい茶色の髪が人に当たって揺れていた。


彼女が声をかけてくる気なのだろうということを、やっと呆けていた頭が悟る。
そのつもりが無いという拒絶の意志を持って、すぐに女性に背を向けて脇の道へと入った。

まだ仕事中であるし、プライベートであったって、あまり絡まれたくはない。
彼女から見た俺の行動、それがどのように取られているのか。
それを気にするような心は何処にも見つからなかった。


脇道を進めば、声はすぐに遠ざかった。
大通りとは打って変わって、人ではなくコンクリートを割って生える雑草が目につく。
人の気配も一応はあるものの、特別にそちらへと視線を向ける気にもならない。

背景に馴染むような色で、直接地面に寝転がる人間。
時折呻くような声は聞こえるが、寝ているか何かなのだろう。

結局、見た所で自分達には同情するしか出来ないのだから見るな。
変な正義感も無力感もいらないのだと、一番最初に裏で教えられたことだった。
同情する暇があるなら自分を鍛えろということなのだと、今更になってあの時の裏側を知った。


青暗い道を少し、歩き続ける。
大通りから差していた明かりももう此処までは届かない。
たまについている建物の窓の明かりだけが、道を照らすだけ。
道に横たわっていた姿もいつの間にか消えていた。

完全に今の道には俺一人の気配しかなかった。
時折、脇道を吹き抜ける風は酷く冷たく、冬の到来を間近に感じさせるには十分過ぎた。
あまり厚くもない長袖を気休め程度に両手の平でさすり、早く帰ろうと足を速める。


支部には確かこたつがあったはずだが、今年も出すんだろうか。
寒さの中で思い出したのは、去年の支部内の休憩場のような空間。

キッチン冷蔵庫付き、トイレ、風呂、簡易ベッド、冷暖房など。
三階建ての支部の一番上は、人一人がそこで暮らしていけるほどの設備は十分に整っていた。
一度数ヶ月ほどそこで寝泊まりしていたが、自分の部屋よりも快適だったことを覚えている。


その中でもやはり、一番記憶に残るのはこたつだった。
誰が持って来ていたものかはわからないが、十分な大きさを持った机で酷く寝やすい。
実際何度かこたつの中で寝てしまって、上司やフィリスに怒られてしまったのも覚えている。

暖房をつければある程度は暖まるが、それでもこたつの良さには及ばない。
椅子よりも楽で、布団に寝転ぶよりも暖かで、本当に快適なもの。


去年の冬場を思い出しているうちに、道の終わりが近づく。
道の先はわずかに明るい、街灯が近くにあるからだと記憶している。
脇道を抜けた先は、いつも通りなら車通りも滅多にないままだろう。

脇道を抜けた先は、記憶通りの車二台がようやくすれ違えるほどの幅の通り。
広い間隔で並ぶ街灯も、その内のいくつかは消え、いくつかが不定期に点滅している様も見覚えがある。
ただ、前に見た頃よりも消えている街灯の方が多い気がする、誰が此処を管理しているのだろうという疑問。


その中で、街灯の一つであるかのように、こうこうと道を照らす白い自動販売機。
数ヶ月前と全く同じ明るさを保って、消えた周りの街灯の代わりに道を照らす。
頼りない街灯の暗い道で、それは絶対の存在感を持っていた。

ちょうどあるのは進行方向だった、何か買って行こうと自販機に歩み寄る。
近寄れば、明るい光が徐々に自分の体へとかかり始める。
その光の大元は暗闇に慣れ始めた目には少し、眩しい。


『どうしてころしたの』


耳の奥に残るフィリスの声が、突然、意識へと甦る。
淡々と一定の声が紡ぎ出した言葉は、やはり過去を言及していた。
彼が俺にあんな表情で問うことと言えば、大方が過去のものばかりだ。

らしくない、そう言ってしまえば彼は怒るのだろうか。
表情の消えた顔の裏では、一体何を思っていたのだろう。
弱気な姿は見慣れなかった、いつだってフィリスは笑っていた。


でもきっと、記憶を探れば、何度か見たことはあるのだろう。
それでも探ろうとは思わない、それに絡む記憶を思い出したくはなかった。
沈めた記憶は何処までも頭にはあり続けるが、わざわざ浮かび上がることなど今は滅多にない。

『何で勝手に、』

怒ったような泣き顔ならば、思い出せる。
許容された範囲内の記憶に、フィリスの動揺はあった。
実際、涙を流していたのかは覚えていないが、叫びは確かに擦れていた。


目の前まで来た眩しい光で白髪の前髪部分が、より白さを増した。
その光を直視してしまうのはどことなく目が痛んだが、買う為には仕方ない。

自販機のショーケースの中には、光を求めた小さな虫が入り込んでいる。
大通りの方ではこんなことはなく、どうして此処にだけと思いながら見つめた。
多数は死んでいたが、数匹は生きているようで狭い光を飛び交う。


色あせた商品パッケージのふちにとまる虫。
どこか疲れ果てた様子に見える、顔などわからないのに。
何となく、その虫はまるでいつかの誰かであるかのように思えた。

暗い渕から光に逃げても、結局は何も出来ないだけで死ぬだけの、


頭を振って、それ以上を止めた。
考えたって何かあるような思考でもない。
変に疲れた精神がより疲れてしまうだけで、何も変わらないだろう。


それよりもフィリスの方が重要だった、あの言動が妙にひっかかる。
結局、あの時のフィリスの言動については、上司に何も言わなかった。
別段、裏切りを仄めかすような内容でもないし、疑う要素は何処にも無かったのだ。


ただ、そこに至るまでのきっかけが疑問だった。
話を急に掘り返した理由、何年間か一切出さなかったこと。
彼は脈絡もなく、わざわざあんな話題は振らないはずだった。

きっと、俺が嫌がっていることを知っているからなのだろう。
彼のそういう気遣いは、とても心地いいし、見習いたいとまで思っている。


なのに彼は話題を振ってきた。
あの時は、答えを待つのに耐えられなくなったのだと思っていた。

でも本当にそうだろうか。
何かしらの接触があって、彼はこの話題を思い出したのだとしたら。
何かしらのきっかけがあったから、彼は俺に問うたのではないか。
誰かからの働きかけがあった、だからこそフィリスは俺を詰問して、意見を求めた?

じゃあ、誰かとは誰だ。


ポケットに手を入れれば、空気に冷やされた小銭が数枚、指に当たる。
それを全て掴んで外に引き出して、持っている金額を確認する。
ペットボトルを買う程度なら、十分にあった。

その中の数枚を機械の口に投入。
ピッ、としっかりとした音が鳴って一部以外のボタンが点灯。
ミネラルウォーターと書かれた、一般的なパッケージの下を押した。


誰か、など決まっていた。

フィリスが進んでかどうかはわからないが、接触する人物。
昔の話を共有していて、尚かつ、ある程度の話をする程度。

その時点で二人の候補。
そして、裏側の事情まで知っているという点で一人に絞られた。
彼の交友関係を深くは知らないが、最近の彼が会うのを裏の人物だけに限っているのは知っている。


がこん、と大げさな音が鳴って、下に商品が落ちた。

ピピピピピ、とルーレットが始まったがどうせ当たるはずがない。
ペットボトルを取ろうと屈む前に、持っていた小銭を全てポケットの中へと返す。
じゃらり、と音を立てて、小銭はポケットの中へと転がり落ちた。


それに混ざって、ざり、と後ろから足音が聞こえた。
自販機に用があるのだろうと思って、取り出し口のペットボトルを掴んですぐに横に逸れる。

後ろに並んだ人影が、さっきまでの者である可能性はないと決めつけていた。
尾行ならこの直線で気付かないはずはない、脇道での足音も他のものはなかった。
第一そんな器用なことをするようなものでもなさそうだ。
あの怯えた様子から、そんな度胸があるとも思えなかった。


そう完全に思い込んだ思考。
緊張を緩めきった頭が、いるはずの一般人へと自販機の前を譲った。


「はくあい」


耳に入った自分の名。
聞き慣れない声に思わず、横目で睨んだその相手。

「!」

すぐに一瞬で足下に視線を戻した、一瞬見ただけの酷く楽し気な顔が頭を占める。
相手は完全に俺のことを認識している、言葉ははっきりとしていた。
黒のカツラとカラコンをしてないことを今更に後悔する。

噂をすれば影。
そんな諺通りの展開なんて望んでいなかった。


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