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第四章第一話 なきごえ は とおく
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がちゃりと玄関の音がした。
きっと義兄さんと義母さんだろう。
そう思うだけで、何となく心の奥がほんわかとなる。
居ても経っても居られなくて、部屋を降りて玄関まで走り降りた。
リビングを通る時に、義父さんから走ったらこけるよ、と言われたけれど気にせず走る。
途中、靴下の所為で床をするーって滑りそうになったけれど、壁を押さえて何とか走り続ける。
今日は、義母さんと義兄さんは朝からずっと何処かに出かけていた。
多分帰って来る時にはケーキがあるよ、と義父さんは言うだけでどこに行ったのか教えてくれなくて。
早く義母さんと義兄さんに会いたかった。
義兄さんは、帰って来た後遊んでくれるのかな。
玄関に続く廊下の所で二人を見つける。
義兄さんを義母さんが支えているような、格好。
「おかえりっ」
何となく変だと思ったけれど、構わずに出迎える。
いつもだったら、二人は笑って返してくれるはずだから。
ただいまって義兄さんは、きっと。
「ただいま、海くん」
「……」
でも、そうはならなかった。
おかえり、に返してくれたのは義母さんだけ。
笑ってもくれていたけれど、何となく無理した顔だった。
まるで、その先を思い出そうとはしない頭、似てると思うだけ。
そして義兄さんは、どうしてだかこっちを見てもくれなかった。
怒ったような感じだったけれど、悲しいよりももっと凄いような、顔。
「義兄さん?」
何となく、義兄さんに声をかけた。
様子がおかしい、何も返してくれない。
もっと普段は笑ってるのに、何で今日は何も言ってくれないんだろう。
俺が何かして怒らせたのかもしれないと思った。
だからゆっくり、昨日のことを思い出すけれど、おやすみも言った。
その時も確かに義兄さんも俺も笑っていたし、頭も撫でてくれた。
だからきっと昨日はちゃんと俺は良い子だった、と思う。
ベッドに入ってから、今まで全然義兄さんには会ってない。
じゃあどうして、義兄さんは俺を見てくれないんだろう。
怒らせたわけじゃないと思う、義母さんにも何かした覚えは無い。
二人がどうしてそんな顔をするのか、やっぱりわからない。
義父さんの言っていたケーキの匂いもしなくて、二人の周りは何だか居辛く思える。
きっとおめでたいっていうのじゃなくて、あれだ、落ち込んでるんだと思った。
リビングに入れば、ソファでテレビを見ていた義父さんが立ち上がる。
義母さんはゆっくりと、何となくふらふらした様子で義父さんまで近寄っていた。
具合でも悪いんだろうかって思うほどに、義母さんの顔色は青い。
義父さんと義母さんは何か小さな声で話し出す。
にこやかだった義父さんの顔が、ゆっくりと悲し気に変わる。
何となく、俺が聞いていいような話じゃないんだろうなって思った。
ばん。
義兄さんが乱暴に何かの用紙を、ご飯を食べる机に叩き付ける。
思わずそっちを見れば、眼鏡が邪魔してやっぱり目は合わない。
すぐに義兄さんは階段に向かって歩き出した。
足取りが、滅多にないけれど怒っている時みたいに足音が大きい。
その様子に少しだけ、どうしようか迷った。
義父さんと義母さんの話は聞いちゃいけないと思うけど、義兄さんも何だか怒ってる。
部屋に居ようにも、義兄さんと一緒の部屋に移ったから、結局義兄さんといることになる。
とりあえず此処にいるのは何だか、気まずい。
ひとまず、二階に上がる義兄さんの後ろについていく。
遊びにいくっていう選択肢はなくて、ぼんやりと何とかなると思った。
階段を上るときも、きっと俺が後ろについていっているのは義兄さんも気付いてるはずだけれど何も言われない。
かといって、声をかけていいっていうような感じでもなくて、ただ何も言わないで後ろについて行く。
こんなに義兄さんと居る時に、気まずいと思う事はなかった。
俺は昔、多分これをよく経験していたけれど、誰相手かは思い出さない、対処法はまだわからなかった。
ただあの時は、必死に必死に、自分の部屋でゆっくり黙ってずっと待っていただけ。
ふと思い出して、頭を振る。
今と昔は違う、今は楽しい。
決別した空間が顔を出す。
あの空間が俺に迫るようで、嫌だった。
あの空間を俺は捨てたし、空間は俺を捨てた。
だからあそこには、もう戻らない。
あの場所は、俺の居場所じゃない。
そして、忘れられることで健康を保った精神が切り離された。
部屋の前に来ると義兄さんは扉を、バン、と強く閉めた。
目の前で勢い良く閉まったドア、それをゆっくりと次は自分の力で開く。
「義兄さん」
中は電気がついてなくて、廊下よりも一段階くらい暗かった。
自分が起きてからカーテンを開けなかった所為だ。
すぐに下に降りて、義父さんと一緒にテレビを見ていたから。
今はその事に後悔しながらも、恐る恐る義兄さんを探す。
まだ、怒った人に一対一で一緒にいるのは、怖かった。
でも義兄さんたちなら大丈夫、この人たちは、きっと違う。
証拠とか全然そんなものはない。
多分これは感覚で、それでいいんじゃないかなと思う。
テレビとかで未来はわからないって言ってる、これだってきっと同じ。
見渡した視界の中、二段ベッドの下に義兄さんが踞(うずくま)る。
膝をかかえて、布団は被っていなかったけれど、顔は腕に隠されて見えない。
「にい、」
「うっさい!」
いきなりの大声に思わず、後ずさった。
閉めた扉にぶつかって、がたんと大きな音が鳴る。
その音で義兄さんは苛立ったように、顔を上げた。
ぎん、と眼鏡の奥で僅かな光で光る義兄さんの目は、背筋をぞっとさせた。
体が固まって、いつの間にか握っていた手の内側は汗が出き始める。
「さっさと下にでも行けよ!」
また義兄さんが叫ぶ。
その顔はとても怖い。
眼鏡の奥の目までが、俺を睨む。
怒らせたと思った。
怒らせた、暗い中でも凄く凄く、怒っているのがわかるほどに。
「ごめ、なさいッ」
すぐに義兄さんから遠ざかろうと、振り返って扉に手をかける。
開けようとするけど、手がガタガタ震えてなかなか開けられない。
滅多に怒らない義兄さんを、俺は怒らせた。
そのことがぐるぐると頭の中を文となって回る。
今までだって俺の我が儘で怒らせたことはあるけど、此処までじゃない。
早く出ないと駄目だと思った、これ以上怒らせちゃいけないと思った。
優しい義兄さんを怒らせたいわけじゃないし、俺はこの感じが嫌い。
早くしないと危険だと思った。
何が危険なのかわからない、だってあれは義兄さんだった。
優しい人やさしいやさしいのに、誰かと俺は間違って、それでも危険だと知っていた。
焦れば焦るほど、上手く手は動かない。
がちゃがちゃがちゃ、音が繰り返して扉を押すか引くかすら忘れた。
開いて開いて、呪文みたいにずっとずっと頭の中で、怒らせたと一緒に文字が回る。
動け動け動け、早く。
そうやって扉を開けようと頑張る後ろで、がたりと音がした。
見るとゆっくり、義兄さんが立ち上がる、ゆっくり、こっちに。
「なあ、海」
びく、と、名前を呼ばれただけで驚いて体が跳ねた。
扉を開けようとした自分を忘れた、義兄さんの見えない表情。
薄暗い部屋の中で表情の見えない恐怖。
俺を呼ぶ声とその恐怖は似ている気がして(何になのかは思い出すなと誰かが暗示する)、でもそれはきっと気の所為。
気の所為だともう一度、自分の中でゆっくりゆっくり納得するように全身に向かって頭が呟いた。
なのに。
震えは酷くなって動けない。
どうすればいいのかわからない。
やめて、そう叫び出したい自分まで、何かに抑え込まれた。
全身が自分以外の誰かに動かされているように、俺の意志通りに動かない。
恐怖に押しつぶされる、そんな本で見ただけの表現がきっと今の状態なんだ。
「お前はカワイソウって、見ないよな」
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