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第四章第三話 だます うつろ に


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風だけが通る、暗い道の石ころを蹴った。
街灯も数本向こうにある程度の、暗い道をからからと石が転がる。

待っている足音は、まだ一向に聞こえる様子を見せそうにない。
待っている足音以外も、こんな真夜中には聞こえないのだけれど。


ふ、と積もっていた緊張を一度ほぐすように、息を吐き出す。
手前にかぶってしまった血が、どことなく自分にまとわりつく。
一度帰って洗うほどの余裕はなかった、適度に気になる部分を拭いただけ。

夏の暑さが滲み始めた季節も、夜はまだ過ごしやすいのが救いだった。
これでむしむしとした空気だったなら、間違いなく気分は害されていた。
今でも多少匂いは気になるが、戻してしまうほどではないし、もう慣れた。


気分が悪いのは、きっと血の所為だけじゃないだろう。
黒い手袋をはめた手に視線を落とす、女性、悲鳴、苦痛。
何かをかすめたような感覚があったけれど、特に意識は気にしない。

そうして、ぼんやり息を吐き出した、すぐに息は風に馴染んで消える。


寂しい通り。
隠れるようにして黒い服で暗い影に潜んでいる自分。
静かな、自分がわからなくなりそうな恐怖が体に寄り添う。
誰かが、自分に向かって歩いて来るように、怯える恐怖が。

夜の中で、覚えてもいない夢に抱く恐怖。
呼吸が苦しくて、袋で治して、また起きて。
その繰り返しの夢の恐怖に、それは似ていた。

「こんばんは」

その珍しい一人は声と同時に振り返って、すぐに俺の背丈まで視線を降ろす。
男と自分との背丈は随分違っていた、体つきも同じく。
紙面上で確認した年齢も、二周り程度離れていた。


「晃(あきら)さんですよね」


それでも俺は、戸惑わずに男に言葉を続ける。
暗い中ではわからないかもしれないが、一応笑顔を貼付けて。

彼はいつもつけているコンタクトが無い所為か、目を細めて俺を見る。
その目はさっきまでの不思議そうだった視線を、疑うようなものに変えていた。

当然の反応だろうと思った。
お互いに一度も会ったことは無いし、多分、見たこともない。
一方的に俺が知った状態、向こうが俺を知っているはずがなかった。


逆に知られていたとしても厄介だった。
今から俺はこの人を、依頼通りにしなければいけない。
警戒されてしまえば、俺が依頼を実行出来るかも危うくなる。

しっかりこなさないと。
しっかりこなしていかないと。
こなしていけばきっとその先に(言い聞かす言葉)。


「人違いだ」


男はそう言って、俺から視線を外す。
声で暗闇に引き戻された俺は、その動作を見送る。

明らかにこの人は言った人だと俺は知っていた。
見間違うはずがない、情報には写真までも添付されていたのだから。


そもそも、そうでなければこの空間にいるはずがない。
殺す為に選ばれたこの道路に、コンタクトをなくさせられたこの人が。
護衛も殺されて、この道の先に待っている秘書も本当はこちら側の人間で。

彼女は裏切ったから俺が殺して、この人だけが生きている。


「死んでほしいんです」


もう一度、言葉を繰り返す。
相手の顔は、もう一度強ばる。

両足を地面につけて、静かに息を吸い込む。
踏み出すと同時に刀を体の前から、肩の高さへと。
二歩目が地面につく前に、刃を下に向けるように握り返す。
あと少しの距離に男が怯えで表情を崩し、逃げだそうと片足が浮いた。

それが、最後。


男の背中側から、心臓を通って突き出ているだろう刃先。
目の少し前の位置にある、その刺し口は一旦、じわりと赤を滲ませた。

男のかすれた声が、頭の上で吐き出される。
何の音にも当てはまらないような悲鳴が、男の喉の奥で作られた。
ひどく微かな音量、大まかな要素は空気のように頭は判断した。


それから気づく。
暖かくて、熱くて、ぬめぬめ、気持ち悪い。
気持ち悪くて、どろりとして、ぽたりと落ちて、何かが。

一つ膜を包んだような感覚だったけれど、それでも生ぬるい。
熱い、冷たい? よくわからない。
よくわからない気分が俺を襲う。
やんわりと何かが赤と俺とを遮断して、そして俺は、おれは、

逃げるの?


やっと意識は、はっきりと視界を認識する。
男はとうに、地面に突っ伏して、死んでいた。
血が周りに広がって、男を中心に大きな円を描く。

ぴたぴたとアスファルトの溝にしみこむ音まで聞こえそうな静けさで満ちていた。
実際、そんな音が聞こえるはずがないのに、耳は聞き取る。


どこからだろう。
軽く見回した限り、水道があるわけでもない。
溝はあるけれど、ぴたぴたとするものとは思えない。

あと、そこまで距離があるようには思えなかった。
小さな音ではあるけれど、それは距離的な意味じゃない。


そうして目線を落とす。
さっきと同じように転がった死体。

視界に入ったのは、自分の持った刀だった。
ゆっくり根本に視線を移せば移すほど、赤はひどい。


自分の右手と左手、真っ赤な手。
しっかりと、同じ真っ赤な刀を持って離さない。
何が何でも離さないとでも言うように、しっかりと。

あの時と同じとどこかで思う。
でもあの時なんて俺は覚えてない(だって逃げたから)。


そこから一滴刀を伝って、ぴた、と地面の血溜まりへ。
思考中に聞いた音、俺が錯覚した音と違わない音。

ああこれか。
そう思って、息を吐き出した。
安堵が体中に広がって、やっと手の力は緩む。

殺しは終わった。



路地の隅に放っておいた鞄を取りに、歩く。
行き着くまでにある程度、着ていたジャージで刀と手の血を拭いておく。
ジャージなら仕事専用だし黒だし、多少なら気づかれはしないだろう。

でも鞄についてしまったら困る。
他でも使うことはあるし、誤魔化すことは出来るとしても、俺が嫌だった。
刀も血をつけたままだったら、家までだとは思っても何となく臭いそうだし。


そして路地から一段と黒さを増した影に入る。
入ってすぐに置いていた自転車と、壁に寄り添う灰色の鞄。
その中からまずは刀の鞘を取り出して、刀をその中に納めた。


次に探すのは携帯。
連絡を取らないと、このままでは帰れなかった。
死体と下の血、くる前に殺した人の処理を、頼まないと。

取り出した紺の携帯を、連絡を取るために開く。
新着メールが2通ある旨を伝える表示があったが、今は無視。

アドレス帳を開いて、処理屋の電話番号を探す。
処理屋、とそのまま入っているわけじゃない所為で、妙に手間取った。


やっと見つけだしたアドレスを選択して、非通知設定で電話をかける。
携帯の番号から身柄が割り出されることもあると教えられてから、ずっとこうしてる。
どれだけの効果があるものかは、あまりわからないけれど一応だった。

『はい、こちら会堂事務』
「昨日、指定した場所での処理を」

ああ、と向こうでつぶやく声。
かたかたとパソコンのキーボードを数回程度押す音。
壁に持たれながら返事を待つこの時間は、妙にゆっくりと流れる。

『交通事故でええな?』
「本人と秘書は。護衛は事務所にて毒殺なので他を」
『ほいよ』

もう一度叩く音が重なって、かちりとクリック音。
それを聞き取ってからは、もう良いかと耳から離す。

電源ボタンへと親指が滑る。
押せば会話は終了、あとは処理屋の到着を待って帰るだけ。


あっけないと、思った。
簡単だとは感じてない、ただあっけない。

残っていたのは、何とも言えない後味の悪さ。
頭に浮かぶのは手を組んでいた相手、今はもういない。
今回に限った協力者、俺の補助を担当してくれた人、裏切ろうとした人。


ああでも、と頭によぎった事柄。
彼女が裏切った恐らくの理由を、俺は知っている。

簡単なことだと思った、同時に悔しいとも思う。
金もない、年も下、実力で認められるほど力があるわけでもない。
要は信用性の問題で、どうにも出来ない自分にため息をつくしかなかった。

中学生という自分の年齢は、裏表関係なく、幼いと判断される。
今回手を組んでいたはずの彼女だって、自分よりも3才ほど上だった。
自分より年下の人間を信頼するのは難しいだろう、俺だって相手が小学生なら絶対疑う。

そしてきっと、少しくらいなら出し抜けると過信するだろう。


ただただ、男を殺さずに失敗したことにしようと提案した彼女は笑っていた。
ぎらぎらというか、きついというか、そんな視線。
決して意見を訪ねる風では決してなかった、態度。

実際、どんな気持ちだったのかを確かめることなんてもお出来ないけれど。
そう、携帯へ目を落とした。



同時に耳が、携帯の向こうの音を聞き取る。
会話の切れた音ではなく、何かを言っているように音が震えていた。

『聞いてんのか』
「すいません、聞いてませんでした」

都合よく受話器を耳に当てた声は状態を訪ねるもので、素直に謝る。
もうとっくに終わった会話だと思っていた、確かに電源ボタンはまだ押してなかったけれど。
向こうが勝手に切っていると、頭は思いこんでいた。


『お姉ちゃんのが、よっぽど割に良かったのになあ』


ため息混じり、冗談混じりな向こうの声。
残念だという雰囲気は、隠されもしない。

「切ります」

何が良かったのかには触れず、携帯を耳に固定していた指で電源ボタンをなぞった。
処理屋が考えていることに、大体の検討はついている。

きっと彼女と同じだと、思考は完結させていた。
それ以外に考えられることもあるとは思う、でも。
人間性で判断することなんて、裏ではないに等しい。


金。
今の時代に、何をするにも必要なもの。

したいことをするために必要、欲しいものを手に入れるために必要。
学ぶために必要、生活をするために、今の世の中を渡るために必要。

そしてきっと生きるためにも、必要。
少しでも多くあれば良く、あって困ることはない。
小汚く手に入れる方法もあれば、堂々と手に入れる方法もある。


今回は、それをより濃く感じたような気がした。
男が殺される理由も、彼女が裏切った理由も、処理屋も。

思い出そうとした頭を左右に振った。
どうせ何でもないこと、慣れるしかないことだ。


考えても仕方がないと、帰る準備を始める。
終わったこと、俺が決めたこと、どうしようもないこと。
過去をいくら振り返ったところで変わらない、…変わらないのだ。

沈黙した携帯が、何故か酷く重たく感じた。


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