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終わりを告げるチャイムの音が響く廊下を、ただただ歩く。
今まで意識しなかったナイフの重さが、歩く度に太股に触れる。
さっきまでは忘れてしまうほど馴染んでいたのに、と、布の上から指でなぞった。

そしてできるだけ急ぎ気味に、階段を下る。
三年生二年生の階を過ぎて、やっと自分たちの階になった。
ざわざわと騒ぎだしていた空間が、たまに見る程度の顔が安心した。


けれど、自分の教室の前に立てば、安心が憂鬱へと変わる。
ざわついて、いろいろな顔をしてるクラスメイト。

「よこやまー!」

その中から、俺を大声で呼ぶ小田が見えた。
隣に関も居て、いつも通り、笑って俺を見る。


背中に少し、ぞわりと寒気が通った。
関は知っていて、今日の朝からずっと笑っていた。
俺は今日一日、疑いを持った関と話していたのだと知る。

怖くなった、何かボロを出したかもしれない恐怖。
昨日の予定は聞かれた、いや聞かれていない、あれ、どうだっただろう。
今日話した会話なんて意識もしてなくてよく思い出せない、何を話した、何を。


もしかして関があんな風に、自信を持っていたように見えたのは。
その考えに行き着いた瞬間に、すうっと頭の芯が冷えて、すぐに詰めていた緊張が解けた。

なら、殺すしかないじゃないか。
握りしめた手に当たったのは、ポケットの重みだった。


いつも通り歩いて、いつも通りに笑う。
掃除の班此処じゃないだろと小田に告げれば、小田はいつも通りに不服を告げる。
それを関がいつも通り軽く叩いて叱る、わがままいってんじゃねえよって案外悪い口でいつも通り。
そして小田は眉を一旦寄せてから、本当に仕方なくという様子で背を向けていつも通り真面目に掃除を始めるだろう。

これが俺が今から壊す日常。
楽しかったこの光景は、もう見納め。


「横山ー今日、箒やる? 黒板やる?」


同じ掃除班で、昨日雑巾を押し付け合った渡部が黒板消しを持ちながら聞く。
そっか、昨日結局二人で雑巾を担当したから今日は楽なのができる。
ただ軽く手を動かすだけで、しゃがまなくても良い二つの仕事。

「箒」

端的に答えて、持っていた片方を取った。
いつもなら笑って、楽な仕事を渡部と喜ぶけど、今日はできそうにない。

その様子を見て渡部は不思議そうに俺を見た、気づかなかったわけじゃない。
でも気づいた様子を見せたら、取り繕う必要ができてしまう。
きっと不調かと聞かれるから、何でもないと言う必要が出てしまう。


たったそれだけのこと。
些細な行動ですら、今はしたくなかった。
気を使うと言うことが、出来る自信がない。

なぜか今はとても疲れたと感じて、帰りたいと思う。
ただ単に授業が終わって、疲れただけかもしれないとも思う。

けれどいつもと違って体でなく、精神が一番深く疲れを感じていた。
6限の総合から屋上へ行って、それからのことがとても。
一つ一つが、何かと似ている気がして、忘れる。


何も言わないで、隅へと箒を引きずりながら歩いた。
隅っこを掃く気力もあまりわかず、窓にもたれかかる。
軽く前後に箒を動かしながら、ただ夕日で光る埃を眺めて。


「気分悪いなら無理すんなよ」


少し強めにばし、と肩を叩かれて、よく渡部と一緒にいる吉田が笑う。
ああ、と笑って、思い出もさっきの笑顔もやりとりも、しまい込んだ。



いつの間にか掃除は終わって、結局時間中、ぼーっと立つだけだった。
担任が戻ってきて注意はされたけれど、無視していれば相手も言うことをやめる。
最後に机を運ぶ程度は手伝ったけれど、本当に今日は何も出来ていない自覚はあった。

吉田がもう一度、体調を尋ねてきてくれたけれど、それも曖昧に答える。
体調が悪いわけじゃないと告げると、さぼったことを咎められそうだし。
悩みがあるって言ったってどうしようもない、これでいいんだと納得させた。


がたりがたりと、音が響き出す。
掃除が終わり、ホームルームの開始を告げるチャイムが鳴る時間が近づく。
それと比例するように、だんだんと集団が教室に戻ってきて騒がしさと人が増えていく。

その中の一つの塊から、小田と関が顔を出した。
座っている俺に対して、疲れたと全身で表現する。
関はただそこでいつも通りいるだけ、ダレた様子を醸し出すだけ。

どこまでも、いつも通り。


「ほらほら席つけー」


担任の声に続いて、チャイムが鳴った。
小田が目の前から去って、一瞬だけかち合った目。
自分の席へと戻ろうとした手前に俺を見た目だけが、変に冷めていて。

何も迷うことはないのだと信じた。
だってもう関はきっと決めてしまっている。
俺は疑われている、間違ってはいない、あの目は怖い。


なら早く殺してしまおう。
誰かに話してしまう前に、出来るだけ早くはやくはやく。
これ以上日常を続ける意味はない、疑われた以上もう修復は出来ない。

あきらめるしかないと、かぶりを降った。
この関係はここで終わる、つい数ヶ月前から築いた友情はここで終わる。


担任の話は簡潔だった。
特に話すことはないらしく、適当にこの時間を埋める話をするだけ。
とりとめない話、記憶にも残らない、ただ何でもない日常の一部分である話。

その間に、鞄の中に最低限のものを詰め込む。
いつものように教科書は置きっぱなす、どうせ家では勉強しない。
テストでもない限り、筆箱とルーズリーフくらいしか持って帰らない。


それでも鞄は、少しの重みを持っていた。
仕事用の長刀は無理だけれど、一応と入れてある短刀の重み。
鞘に入って黒く鞄に同化した姿は、ただの棒にさえ見えるもの。

折りたたみナイフじゃ限界がある。
切れ味もそんなによくもない、使いづらい安物。
それなりのものを買えばと考えることはあるけど、未だに買えてはいない。


多分、もう手放せなかった。
裏に入った以上、人を殺した以上、身を守る必要がある。
自分の身は自分で守らないと、自分しか信じられない世界だから。

だけどまだ信じてたんだろと、俺は俺を笑った。
関も、涼も、信じてて、何をかはわからないけど。
多分、心地いい空間があるって思ってた、ずっと。

全部、ありえないこと。
そう決めたのは俺自身だ、何故も何もない。
ゆっくり噛みしめるのは、赤いばかりの記憶だった。


そしてチャイムが重く敷地に鳴り渡る。
担任はそれを聞くと、号令、とだけ口にする。
姿勢、礼、と日直が面倒そうに言えば、各々が何も言わずに立ち上がった。

早く帰りたいと思いつつ、周りを見渡す。
関と話をつける必要があった、今日中に終わらせよう。
早いうちでないと、誰かに話される可能性が出てしまう。

そう思いながらいろいろと目を向けるけれど、姿が見つからない。
もう、帰ったんだろうか。
メールして、でもそれじゃあ相手の様子がよくわからない。


「よーこやま」
「わっ」


背中を触られて、思わずのけぞった。
ただ触れられた程度だったけれど、考えに集中していたのか、凄く驚いた。

何だよと文句を言おうと振り返って、何やってんの、と後ろで笑っていたのは。

「せ、き」
「何その顔可愛くない」

俺の鼻をつまんで、関が笑う。
でも痛みで閉じかけた目で見てしまった、目だけは笑ってなんかいない。
ただ淡々とした、見ているだけのような目、口だけがよく動いて笑っている。


「一緒に帰ろうよ」


摘んでいた手は離れて、関はめがねの奥で目を閉じる。
小田はもう帰らせたから、と、小田が帰る寮の方向を指でさされた。

どうしていつも通りの三人じゃないのかなんて、簡単だ。
いつも通りが崩れる、もう戻ることはないことに覚悟を決めた。


「わかった」


準備していた鞄を肩にかけて、関を見る。
何もかも慣れたように、いつも通りを振る舞う関。
屋上が本当なのか、今が本当なのか、全くわからない。

けど、そんな変化、もう見飽きた。

「そういやさ、掃除のときの小田なんだけど、」

気をつけていればこんな思いはしなかったんだろうか。
関の後ろを歩き、適度に話に相づちを打ちながら、考える。

俺が注意してれば、こうはならなかったんだろうか。
何度も思う可能性、変わらないとは思っても、どうしても思ってしまう。

「雑巾入れたバケツひっくり返してやんの」

すぐに、いつかはこうなったと、諦めた。
そしてこれからもこんなことはあるんだろう。

「大概あいつも馬鹿だと思うんだけどさ」

俺は、殺すよ。
ちゃんと、殺せる。

情なんかに絆されない。
友達なんて、関係ない。

暗示のように、心は繰り返す。
今日一日で、何度繰り返したかもわからない。
ただ、それが本当になるように。
ただ、それを本当にするために。

「なあ、横山」

俺を脅かすなら、強くなるためなら、何だってする。
強くなった俺なら、何だって怖くないはずだから、できる。
これくらいのこと、何でもない。


「横山は黙っててほしいんだろ?」


唐突な話題の変更。
周りに人がいなくなってすぐのことだった。

空気が少しずつ冷えていく、暑いほどの空気が。
夏に向かっていたはずの気温が、今は少し寒いくらいに冷える。


関が俺を見る目は、内側を探ろうとしている目だった。
俺の奥底の弱みをゆすぶって、食らいつこうとする目。
これはもう友人としてじゃない、ただの獲物を見る目。

ゆっくりと、気持ちは沈んでいく。
穏やかに穏やかに、深く深く、底へ。

「違うよ」
「嘘」

うそ。
そうだ、嘘だよ、と奥底からの声。

見破らなければ良かったのに。
言わなければ俺は気づかなかったのに。
仕方ないんだ、仕方ないんだ、諦めよう、と言う。


「明日にさ、口止め料もってこいよ」


関の言葉に冗談めいた響きはない。
そうだ、もう遅い。
ゆっくり目を閉じる。
過去の何もかもを遮断する。

いくら後悔したって変わらない。
黒い視界が俺に告げる。
この道を選んだのは、俺だ。
それで生きられるのなら、簡単だ。

「場所は? 人に見られたくない」
「そうだよな、めんどいし」

どこがいいかなと考える様子は、楽しそうだった。
純粋にけらけらとはしゃいで、年相応に見える。
どうしてこんなところで、そんな顔をするんだろう。

「事故のところ」

提案したのは、俺の声。
昨日と同じ場所なら、人通りを心配する必要がない。
もともと殺すことに向く場所を選んでいる。
昨日の今日で、何か状況が変わるものでもない。

警察ももう引き払っているはずだと踏んだ。
いつも、処理屋の片づけた後の捜査は驚くほどに 軽い。
確実だと思わせる要素を処理屋が施しているのか、内通者がいるのかは、知りようがない。

どっちでもいい。処理屋への疑問を切った。
バレなければいい話で、別に関係はない。

「いいね、いつ?」
「今日。早めに済ませたい」

俺が答えたのを聞きながら、関は目を細めた。
何かを考えている。

多分、すらすらと出る言葉を怪しんでいるんだろう。
実際、俺だって流暢な自分の言葉に、正直驚いている。

何だか心と口が別物になった気分だった。
考える前に、今の最善を口が提案していく。

それはとても楽だった。
別にそれを直そうとは思わない。
上手くいくのなら、何でもいい。


「一人で、来いよ」


初めて見る、友達の脅すような目。
一人を強調されたものの、最初からそのつもりだった。
今はただまっすぐ関を見て、頷く。
関はまだ怪しんでいるようだったけれど、特に気にはしなかった。
嘘でもないから、堂々として言うことができる。

誰もこれは関係ない。
俺以外が関わるものじゃない。
強いから大丈夫、一人で出来る。
誰の助けも必要ない。大丈夫。
仕事の時のように、自分で自分を励ました。

大丈夫。
すぐに終わる。
あっけないから。

命なんか、そんなものだ。





昨日のように、今日も夜を走る。
自転車を踏むペダルは軽い。
ただ吹く風は生ぬるいと感じる。
少しずつ上昇していく気温を感じる。
ゆっくりと汗が服へと染み込んだ。
カゴに入れた刀が、段差を通る度に、かしゃりと音を鳴らして跳ねる。

一本、細い道に入った。
この未知は、依頼さえなければずっと通らなかっただろう。
もう一度、そこを車輪で走り抜ける。
出来るだけ早く、自然に。

目的地の手前、昨日隠した場所へ同じように自転車を隠す。
背負っていたリュックは地面に置いだ。
手前にタオルを寄せておき、ジッパーを出来るだけ音を立てないように閉めた。


そしてサドルに手をついた。
自分の体温がそこには残る。
段々と気温に近づいていく体温。失われていく熱。

目の裏に過ったのは、血の熱さ。
全身を巡っていた命の名残。大量の赤。
誰の中にも流れて、過剰の損失は死をもたらす。

ぐ、と拳を作った。
昨日をもう一度繰り返すだけだった。
これから何度もそうする。何度だって。
誰かの体液にまみれても、止まることなんか、しない。

絶対に、やらなければならないことがある。
許されない。許さない。恨みが蠢く。
心は黒く歪んで、気づけばサドルに爪を立てていた。


サドルから手を離す。
カゴに乗っていた刀を、袋から取り出した。
鈍く光る鞘から中身を引き抜けば、道のわずかな光がそこに反射した。
こんな短期間で振るうことは、そうそう無い経験だった。

ゆっくりと、息を吸い込む。
それから吐き出した、何もかも。

気持ちを切り替えよう。
しくじるわけにはいかない。
目の前の暗い壁越しに、記憶の中に居座る人間を憎んだ。


そして、足を踏み出す。
昨日の場所へ、一歩一歩。

同じ行為を、同じ場所で。リスクを減らす為に。
何の利益もない行動を、自分の為に繰り返す。


後ろ姿が見える。
見慣れた背格好は塾鞄を下げて、携帯を触っている。
まだ俺には気付いていなかった。

右手に提げた刀を前に移動させながら、音をさせないよう歩いた。
幸い、音の鳴る要素はどこにも、存在していない。


彼の背後には、容易くたどり着けた。
少し空けた彼との距離は、踏み込むためのもの。
体の前、固定した刀にそっと、左手を添えた。

まっすぐ、心臓へと刃先を向ける。
可能な限り、一回で済ませられるように。
痛みを感じる時間が、短くて住むように。


「ごめん」


力強く、足を踏み出した。
小声で囁いた声は、届かなくていい。

無音だった。
刃先が関の背中を貫くさまを、スローモーションで見る。
体重をかけて、ずぶりと、ずぐりと、深く深く突き刺す。

ゆっくりとした動作。
ゆっくりとした時間。
じわりと感じたのは、またあの、熱だ。


「なん、あ?」


声とともに、急速に感覚が戻る。
苦しそうな音が響き、血が吹き出す。

ああああ。
かすれ声が聞こえた。
死にきれない音だ。

ぐっと抉るようにひねった。
早く止まるように、祈った。
呼吸も活動も、少しでも痛みのない生となるように。


そうして、刀を引き抜けば崩れる。
昨日と同じ光景が、また目の前に広がっていく。
倒れた体。赤い血。
ただ、声だけが違っている。

まだ生きている。
頭はすっかり人殺しの感覚を掴んでいた。
彷徨っている目が、転がった携帯の光が、俺には届かない。

「よ、こ…?」

声。
多分、俺の名前を言おうとした声。
けれど全ては声にならず途中で、光は、消えた。


倒れた背を見ながら頭に浮かぶのは、笑顔だった。
今日みたいなものではなく、普段の中で楽しそうにしていた姿。
少し調子良く持ち上げて、落として。
そんなからかいが関は上手だった。


「良い友達でいられるとおもってた」


友達でいたかった。
素直に心からそう願っていた。
一緒に騒いでいられたら、ずっと楽しかった。

ポケットの中の携帯を、今日は血も気にせずに取り出す。
昨日の発信履歴に残る番号を選んで、発信する。
昨日と同じ声が、訛りなく偽りの社名を名乗る。

「緊急で、処理をお願いします」

短く告げれば、電話の向こうに訛りが現れた。
今日はやけに機嫌の良さそうな声だった。
処理屋の質問等々に応えながら、転がる死体に背を向ける。

見開かれた光のない目から、逃げるように。


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