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第四章第四話 にじんだ さよなら 。



「よーこやま、よこやま、横山ー」

しつこく名前を連呼される。
さっきからずっとこの調子だった。
前の席に座り込んで、じーっと見られてる。

「何だよ小田」
「よこーやま」

ししし、と漫画のように歯を見せて笑う小田。
何がしたいのか全く掴めない、むしろ何がしたいか聞きたい。

さっきからずっと、何を聞いたって小田はこの調子だった。
俺の名前を呼んで、質問に対しては何も言わないで笑うだけ。
何が面白いのかわからないし、呼ばれているのが自分の名前だから無視も出来ない。

「いい加減にしろよ」
「いて」

片手を縦にして、まだ笑い続ける小田にチョップ。
そんなに力を入れなかった所為か、笑いは止まらないまま。
一瞬酔っぱらってるんだろうかとも疑うが、学校で飲みはしないだろう。


小田は、関が転校扱いになったときに落ち込んではいた。
担任から全体へ、作り上げられた情報が伝わった時の少し寂しそうな顔は覚えている。
俺が見ていることに気づいたら、ぱっと表情は切り替えはしていたけれどと思い返して。

しかたなかったんだ、緩く握っていた手に力が籠る。
友人の一人を殺してしまったことは、悪いと思っている。
たまに関に向かっての冗談を言おうとして、行き場を無くした姿を見た時は、特に。

でも俺は謝れない。
ごめんって思うだけ、言うことは出来ない。


「かい、かい、かーい」


でも、とりあえずこのテンションは怖い。
息を吐いて、小田から少し目を外した。

窓越しに空でも見てれば、そのうち時間が来るだろうと思った。
こうなった原因がわからない以上、自分にはどうとも出来ない。
なんとかするのも、ちょっとめんどくさい。


ふと青を見る途中。
視線の通り道に、焦げ茶を見た。
すぐにそれは別の方向へ向く、目は合わなかった。

「……」

見ていたんだろうか。
確か、たなか、と笑う後ろ姿を見つめてみる。

関のこと以降、大した接点は持たなくなった。
情報のやり取りだけ、俺がそうなってほしいって望んだ形。

何も思えなかった、何を思うのもなんだか筋違いな気がした。
相手が何を思ってるのかも、相変わらずわからないし。


関係ない。
頭を振った。

たまたまクラス替えで、一緒になっただけのクラスメイト。
それだけのことで終わっていい、変なことは思わなくていい。
いつもいるメンバーが違うんだから、これから昔に戻ることも無い。

今まで通り、変わらないんだと目を閉じた。
ぼんやり浮かびかけた、小学校の頃の笑顔を忘れる。
こんな関係の方が気楽で良いって思ったのは自分だ。


気にするような存在じゃないと、視線を外した。
その際に、すっかり小田から目を離そうとしていたことすら忘れて、再び目に入れたのは小田。
目が合ってから思い出して、この状態からまた逸らし直したらさすがにちょっと駄目だろうか。

「かい」
「うるせえよ、としのり」

さっきから下の名前だけで呼ばれていたので、ためしに下の名前で呼び返す。
するとまた一段と嬉しそうに笑った、にへにへ緩んだ顔。
なんなんだ本当にと息をつく。

余計馬鹿っぽい、とちょっと呟いても効果無し、嬉しそうに笑い続けるだけ。
本当に何なんだろうと思いながらも、少しだけ小田の浮かべる笑顔に釣られた。


「海」


小田と違うトーンが、後ろから俺の名前を呼ぶ。
同時に、後頭部に何かがあたる感触、ボタンの固さ。
馬鹿みたいに緩んでいた小田の顔が、声と同時に強ばった。

「あ」

何かと上を見上げれば、さっき後ろ姿で見ていた人物。
どうやら小田を見てるみたいで、こっちからは顎しか見えない。

どんな表情かも知ることが出来ない。
ただ小田が顔を引きつらすだけの表情だ、良い顔じゃないかもしれない。


突然、自分より高い体温が俺の頬を滑る。
不意のことで体が固まった、いきなり触れた体温にビックリした。

そのままゆっくり手は離れずに、逆に後ろへ俺の体を押し付ける。
何がしたいのかはわからない。

「なに」

思ったよりも固い声になった、上手く声が作れない。
緊張してるんだろうか、変だなと思う、手に汗が滲む。

圧迫感、緊張感。
単に、後ろに立たれているからだけではないんだろう。
どことなく重いような空気が流れ始める、教室はいつも通りなのに。


いや、いつも通りじゃないか、と周りの驚いた顔を見て思い直す。
今まで学校内では出来るだけ接点を持たなかった所為か、物珍しそうに見られている。

「高橋、」

離せ、と頬にあり続ける手を軽く叩いた。
変に付け足して、機嫌を損ねないように最低限で言う。

けれどそれでも手は離れない。
逆に押し付ける力が籠って、ため息。
小田がより表情を青くしたのを、視界の端で見た。

「たかはし、て、」
「海」

低い声、そこでやっと怒っていることを知る。
隠そうともされてない、空気もいつの間にかもっと不穏なものに変わっていた。

頬から手が離れた、と認識するより早かった。
離すように促していた左手を掴まれて、椅子から無理矢理離された。


「ちょっと来いよ」


立たされて真正面から見た、高橋の顔。
キレてるとしか言いようの無い怒り。

いきなりすぎてわからなかった。
何をそんなに怒ることがあったんだろう。
俺は手を離すように促しただけ、強くも言ってない。

「りょーのすけ、」
「わり、田中。ちょっと行ってくる」

引き止めるように前に立った、焦り顔の田中を高橋は押しのける。
ついていく気はなかったが、ぐい、と強引に手首を引っ張られて、教室の出口に向かっていく。
おい、と途中で抗議の声を上げたって、手を引いてみたって、返答も外れる様子もない、無言で歩いた。


廊下に出てみると、ただただ視線が痛いほど突き刺さる。
高橋は怒り顔のままだろうし、俺は強引に引かれているし、いい物見の種だ。
人が廊下を塞いでいれば、高橋が低い声で乱暴にかき分けるから、余計にそれを煽る。

なにかあったの、めずらしい、だれ、なんだよあれうぜえ。
通り過ぎていく声。
誰かに話しかけている言葉が、横を流れていく。

文句を言いたいのは俺もだよ。
そう心の中で呟きながら、睨むような目は無視した。


「高橋」


そろそろいいだろ、と人気がなくなって来た廊下で口を開く。
ずんずんと進んでいっているのはいい。
でも、このままじゃどこに連れて行かれるかわからない。

昼休みだってそれほど長いわけじゃない。
下手にサボって後々日数が足りなくなっても困る。

「おまえさ、」

前を歩いていた高橋の足が、ようやく止まった、手も離された。
若干止まるときに縮まった距離を、改めて後ろに下がることで元に戻す。

何かを言いかけていた口は、閉じる。
向き合ったと思ったら、視線は斜め下に逃げてる。
どうしろっていうんだ、そんな気持ちで首筋を触った。


高橋が何かにいらついていることは、嫌というほど感じる。
それに俺が関係しているんだろうかとぼんやり思う。
あるから此処にいるのかとすぐに答えは出た。

「何怒ってるんだよ」

出来るだけ、普段を装って声を出す。
ぴくりと、ほんのわずかに相手の眉が動く。

あからさまに出ていた表情が消えた、す、と。
間違ったんだろうかと、少しだけ手が震える。
何と声をかければ良かったんだろうか、別の方法なら。
どうしようもないことを考えだす、考えて、肝心の結果なんて出ないのに。

「わかんねーの?」

ひどく冷ややかに、真剣な声が言う。
わからないから聞いている、なんて言える雰囲気でもない。

無言でただ、視線を逸らした。
しかし逆に高橋は逸らしていた視線を俺に向け出す、すれ違い。


気まずい。

何を喋れば良いかわからない。
相手はひどく怒ってる、でも原因が分からない、だから謝れない。

「たかは、」
「だまれ」

どうにかしようと出した声は遮られた。
高橋へと戻した目、垂れていた目が不愉快そうに歪んでいる。


一歩足が踏み出される。
思わず、一歩足を後ろへ動かした。
すると一層、相手は怒りを深めた形相。

止まっていたら良いのかと、一歩近づいた足を見送った。
気圧されそうな威圧感が近づかれるたびに増して、手を固く握る。
そのときにようやく、手に汗が滲んでいたことを知った。

「ふざけんなよ、海」

少しだけ緩んだ声、空気。
視線は下に降りていた、俺だけが相手を見ている。
染められている茶髪が伸びて、元々の黒髪が見え隠れする頭。


「みょうじでよぶな」


唐突に落とされた言葉。
上手く取れなかった、違う、聞こえてはいた。
ただ、何だそれ、上手く理解ができていなかった。

は、と思わず間の抜けた声が抜け出てしまう。
でもだって、空回った頭の回転、そんな理由で。

「高橋って呼んでただろ。名前で呼べっつーの」
「え、あ、」

そういわれても。
なんと声をかければいいのか、戸惑わないわけがない。
呼べって唐突に言われたって、改めて言うことに抵抗も感じる。

けれどそれよりも。


「それだけ?」


ただ、思わず口から出た本音。
それだけのことで、此処まで怒っていたんだろうか。

言葉を受けて、あーと低くうなりだす相手。
表情は未だ下を向いたままで、読み取れない。
今、どんな顔をしているのか少し気になったけれど、覗き込んでまでは見る勇気はなかった。

「お前なあっ!」
「わ、わかっ、たって」

思わず上がった顔は、変に真っ赤で。
笑いを表そうとした口を、とっさに手の甲で覆い隠した。


だってお前。
そんな理由で、あそこまで怒るなんて誰も思わない。
他も俺は名字で呼んでるから、特に話すこともなかったから。
そんな理由で、しただけのことだったのに。

それを。

笑っている所為で乱れた呼吸を落ち着けようと心がける、落ち着かない。
だって、何に怒っていたかを思い出すと、赤面まで思い出して、また息が詰まった。

「いつまでも笑ってんじゃねーよ」

笑いすぎて、ついに咳き込みだした俺の背中が軽く叩かれる。
滲んで来た涙を右手で拭う、笑い過ぎだとは自分でも思った。
少し、意外だと思えたから此処まできっと笑える。


「ごめん。涼」


なんとか呼吸は落ち着いて、言われた通りに名前を呼んだ。
むすっとした顔は戻らないまでも、少しだけ、相手の口元が緩む。
機嫌が直ったのかどうかはよくわからないまでも、これであんなに怒る理由は。

思い出した。

「海…」
「ごめ、だっ、おまえ!」

何回もループし始める。
あんなに笑ったのに、また涙が目尻から。

「決めた。海、今度から情報いるとき、直に来いよ」
「え」

痙攣がいとも簡単に止む。
名残のように目から絞り出された涙が、下に垂れていく。

どういうことだと笑いをやめた頭で考える。
直に来い、と涼は言ったけれど、どこへ?
情報なんて今までメールで聞く程度。
どこに行く必要もなかったはずだけれど。


「オレに直接、聞きに来いよ」


は、と声に上手くなれなかった息が口から抜けた。
メールじゃもう教えてやんねー、と今度は相手がけらけら笑い出す。

ということは、そういうことは。
いちいち涼に聞きにいかなければいけないということ?


思わずその意味に固まった、めんどくさい。
今までは携帯かパソコンから、適当に打ち込んで送るだけだった。
それがわざわざ出向かなければならない。

しかも、と俯いていた顔を上げて、教室へと歩いていく相手の後ろ姿を見る。
何が欲しい、はいどうぞ、そんなに簡単なやりとりじゃ終わらないだろう。

とりあえず、今日のことは根にもたれそうだと思った。
そのからかう口実なんだろうか、やめてほしい。
けれど、涼がああ言った限り、行かなければ本当に、……。


「かーい」


帰るぞと伝える声が、昔を近づけた。


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