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耳慣れた音が、道に響く。
風の後を追いかけるように、鳴った。

「柊!」

動き出しは拓巳が早かった。
俺の隣に立った彼を支えようとして、間に合わずに、柊の体が崩れ落ちた。

咄嗟に動けなかった俺は、また発砲音を聞く。同時、胸を後ろから押されるような力。
呆気にとられていた体では踏みとどまることは出来ず、バランスを崩して前へと傾く。

体ごと傾いていくなか、振り返った目で後ろに立つ男の姿を捉えた。
白髪まじりを簡単にまとめた髪、細められた目元にはシワが寄る。
顔の下、姿勢良く構えられた拳銃が、柊と俺を撃った。


アスファルトに全身を打ち付けた。
頬が擦れて痛い。どくどく心臓が喚く。熱い。
痛みの元を押さえたところで、血は手のひらを簡単に通り抜けて、溢れた。


「残念だなあ、シロ」


耳になじんだ声が、いつもの調子で言い放つ。
俺を白藍と名付けた上司が、俺を見て、笑う。
止めないだけ。頭にあった可能性が、現実に変わる。

そして来るのなら、あなただと思っていた。


「しっかりしろ!」


涼の声がして、視界が回る。
間近にあった地面はなくなって、肌色。

必死に叫んでいる顔が見えた。
声は聞こえている。けれど内容が頭に入ってこない。
泣きそうな顔で呼びかけられているだけが、わかる。
久々に、涼の顔をこんな距離で見たなあなんて、呑気に思った。


熱い。
ぐらぐらと揺れて霞む視界で、呼吸する。
血が流れる。全身に痺れたような感覚がある。
血が十分に巡っていないんだろう。どんどんと体から血が落ちていく。

感覚の変化を感じる合間にも、涼が何か叫んだ。さっきと声色が変わる。
うすぼんやりとした目を開いて、彼を見れば涼は俺を見ていない。
俺への声ではない。では誰に。


そして、また銃声が鳴った。
鈍くなる五感の中で、熱い液体が降りかかる振動を知る。
苦しいと息をした口は、鉄錆の味にまみれた。

体の上に、何かがのしかかる。
どしりと倒れた振動で一瞬、意識が痛みに染め上がる。

それでも、意識はすぐに痛みをはねのけた。
倒れたものから伝う温度が、意識を引き留めた。
ただの物なら、きっとそれは冷たかった。でもこれは、温かい。


涼、りょう。
自分にのしかかる彼の体が、次第に重くなるのを感じる。
じんわりと、失いかけた体温が戻りだす。
きっと、俺の体に熱を与えているのは、彼の血だった。

涼の体は、ぴくりとも動かない。苦しさに喘ぐ振動はない。
頭でその意味を悟っても、それでもと、確かめるために手を動かした。
希望にすがりたいと、触れたいと、懸命に、残った力で彼に触れて確かめる。

でも、彼はもう動かない。


拓巳は。
死にかけた思考で、最後の一人を思う。
柊へ呼びかけていた彼は、どうなった。

耳に残る銃声は、3発。涼以降に新たな銃声は聞こえていない。
何か別の声か音かがしていることはわかる。けれど、それは少なくとも銃声ではない。

正確な情報はわからない。
自分が倒れる間際に発砲されていたら、聞き取っていない可能性はある。
どうか彼だけは、撃たれて欲しくはなかった。
生きているなら、逃げてくれと、叫びたかった。

拓巳は、彼だけは、巻き込まれた人間だった。
彼が背負うようなものは、何もないはずだ。
だから、せめて彼だけは。


まだかろうじて動かせる目で、彼を探そうとする。
しかし視界は、覗き込むように立った影に覆われた。


「おまえらは、最後まで可哀想だな」


親子揃って。まるで呪いだ。

風に冷やされた銃身に、額を小突かれる。
表情の抜け落ちた上司の顔が、霞む先に見えた。

「つまらないものに縛られて。自分から重いものを背負っていったんだ」

痛みが全身に広がり始め、それに追い出されるように、血は体から溢れ出る。
全身が、徐々に冷えていく。涼の体温も、冬の寒空に奪われていく。
特につめ先がやけに冷えた。もう、指先一つも動かせない。
地面に吸い付くように重たく、何も持ち上がらない。


こんなにも重くなっていたのかと、受け入れた。
自ら重いものを背負いこんだ。それは上司の言う通りだ。
俺は自分から、この重さを背負った。


「ずっと、まちがってきた」


鮮明さを欠いて暗くなる視界に、今までの後悔が蘇る。
母さんも、義兄さんも、義母さん、友達、知らない人、…父さん。
一つ一つ、走馬灯のように。赤い血も、表情も、そこにあった涙も。

忘れていたつもりの死体の姿は、しっかり頭に刻み込まれていた。
夢で見た通りに、ぐるぐると廻り、俺に見せる。
一人一人、順番に。死を、鮮烈に。

こうして自分も、同じように死が訪れる。
心臓から送り出される血を出し切れば、ああして冷たくなる。


ほらみろ。
どこからともなく、そう言われた気がした。

報いだ。
ずっと俺を見ていた自分が言う。
重かったよ。だって、先を奪ったんだから。
これは当たり前の報いでしかないのだと、悔いる。


「それでも、おれは、――――」


口に溜まった血で、上手く声になってないかもしれない。
上手に、笑えてもいなかったかもしれない。
この終わりは、俺にとって幸いなんだと、伝わらなかったかもしれなかった。

そうだとしても別に良かった。
だって問いかけた彼は、もう生きていない。
まだわずかに残る涼の体温を感じながら、最後の息を吐いた。


気づけば、痛みは消えていた。
視界も聴覚も触覚も嗅覚も、何もなかった。まるで放り出されたかのように、真っ暗だった。

いま、俺の全てがなくなるのだと悟る。
20年間、ずっと動き続けた心臓が、緩やかに動きを止める。


これでようやく、すべてが終わる。



2012/04/21 SiGNaL 了


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