SiGNaL > 失った君に贈る過ぎ去った一日の幸福



「かいー」

おはようの言葉も無く、教室に入るといきなり黒。
少し俯いていた顔を上げればようやくいつもの教室の風景。
何でも無いようないつもの風景、違うのはこの物体。

「り、りょう?」

どうして抱きつかれているのかわからなかった。
朝のぼやけた思考で懸命に理由を探す、見つからない。
暖かい体温は次第に収まっていた眠気を起こす。

「いつまでもくっつかない」

不意に冷気が暖かかった部位に吹き込む。
眠りかけた頭を起こす、今の状況だけでも頭の中へ入れようと周りをみる。
ただ涼が前で不服そうな顔でこっちを見ていた、自分の頭の上に誰かの頭。
今まで前にあった体温とまた違った、若干低い程度の体温が背中にあった。

「海」

呼ばれた名前、ふ、と急に力が抜けて体温に持たれる。
入り口で話している場合じゃない、邪魔になる前に早く。
ぼんやりとしたままの頭がそう思った所で体は伴わない。
思うように動かないだるい体、寒気が走る。

「何か欲しいものある?」

左から出た手がやんわりと俺を上を向くように動く。
抵抗もせずにただ従って、柊の顔があった。
最初穏やかに笑っていた顔が段々と眉をひそめるものへ変わった。

「海?」

俺を上へ向かせた手が額へ触れる、ひやり。
いつもよりもその手は冷たく感じた、感じる寒さが増す。
変なため息が上でする、ずるずると下に落ちる体を柊の右手が抱えてくる。
いぶかしむように涼が柊を呼んだ気がした、前を見てみればそんな表情。

「少し熱があるような気がする」
「あ?」

あじゃないよ、変に叱るような声が頭へ響く。
柊の手が額から退いた、そう思うともう一度手が触れる。
柊の手よりも温度の高い手、触れるか触れないか程度の力。

「そうだな」

退けられる手と同時に鞄を背負った拓巳を見た。
おはよう、と声をかければ困ったように拓巳は俺を見る。
せっかくの日なのにな、口がそう動いた、耳にもそう響く。
何がその日なのかの検討はつかない、黒板に書かれた日付は見る気にならない。

「これじゃ連れ回すわけにいかねーだろ」

涼が脇へ手を伸ばしてくる、掴まるべきかと迷った。
とりあえず自分で立とうと思って柊の巻き付いた腕を退かせる。
退かせようと右手で力を込める、外れない。
それどころか力が込められて少し苦しいほどに。

「おい」
「何?」

涼が低く声を出す、柊のいつもの声が答えた。
息苦しさをどうにかして無くそうともがけば余計に柊は力を強く。
口で言おうにも少し言い辛い雰囲気があるような気がしてしまう。

「柊、海が困ってる」

恐る恐るといったように伸びた手。
それにやっと籠っていた力がなくなる、詰まっていた息を吐き出す。
また掴まれる前に拓巳の隣まで走った、ふらつきかける足を必死で前へ。

「とりあえず風邪薬でも、」
「何横ちゃん風邪ー?」

拓巳の言葉を遮って小田が拓巳との間に入る。
少し大きめのその声は頭に多少響く。

「多分、そうだと思う」
「保健室行くならつい、て」

変に段々と音量を減らしていく声、名前を呼んでみればぎこちなく俺を見る。
目があってからはいつもの倍程度のスピードで鞄に手を突っ込んで俺の手を取った。

「いや、お大事に! それプレゼント!」

じゃあ、そう言って机にぶつかりながらも走っていった。
手の中でパリと乾いた音、開いてみれば2つの飴玉。
味は両方とも好きなものだった、偶然かどうかは知らないけれど嬉しくなる。
ついありがとうを言い忘れたことに気付いて小田の方向を見ようとする。
けれどそれは肩に乗った片手ずつの手で邪魔された。

「な、なんだよ」

ぼんやりとした思考も吹っ飛ぶほどの真面目な表情。
思わず後ずさりしてしまいそうな足を必死に動かさないように耐えた。
貰った飴玉2つをただ握る、乾いた音が僅かに下で鳴った。

「何か欲しいもの言え」

重なった言葉は命令。
いきなり言われても思いつかない、他人から貰いたいもの。
小田から貰えた飴は嬉しかったけれど2人にも欲しいとは思えない。
きっと思いつかないんじゃなくて無いんだろうなと勝手に自分を推測。

「なんもない」

あからさまに困ったような顔、あからさま過ぎて違和感さえ感じる。
今は恐らく俺は何にも困ってないから貰いたいと思う物はなかった。
2人にそれをどうやって伝えればいいのかと考えるけれど、良い言葉が浮かばない。

「で、」
「涼」

何かを続けようとした涼を拓巳が止めた。
それはひどく珍しく思えて拓巳を見る、別に怒っているというわけでもなさそうだった。
理由がわからない行動、理由の候補を考えていると過ぎていた曖昧さが頭へ戻る。

「それだけ満足しているということだろう」

頭の上に乗ったものが優しく動いた。
元を辿ってみれば穏やかに笑う顔と目が合う。
拓巳の言葉が俺の言おうとしたことを言っている気がして頷いた。
頷くと同時に満足したような表情で拓巳は俺の頭から手を退ける。

「ならいいや」

柊が頬に手をつける。
ひやりとした温度を今は気持ちよく感じる。
ゆっくりと微笑んだ顔が手とは逆の温度を持っているように感じた。

「まーとりあえず、オレからは風邪薬をプレゼントー」

柊の手を払うように退けて、顔の前に出される箱。
それをとりあえず手で受け取った、熱、喉、咳に、というキャッチコピー。
いつも持っているんだろうかと疑問に思ったけれど、今はどうでも良かった。


「ありがとう」


優しく笑ってもらえた今日を、今は少しだけ、認められるような気さえした。

2009/01/27


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