SiGNaL > 小指分のつながり



しとしとと、鬱陶しい雨だった。
今朝、梅雨入りを告げた予報を思い出す。
この先一週間、雨が降りやまないらしい。

窓から見える道はいつもよりもずいぶん、暗かった。
朝はまだ薄くかかるくらいだった雨雲も、今は厚い。
黒い雲が連なって、灰色を作り出す。陽は見えない。


遠くを見た目で、同時に雨の強さを確認する。
特別、激しくは降ってはいないようだった。
けれど、傘無しで帰れる雨のようでもない。

だから手は、朝に放り込んだ折りたたみ傘を探す。
前代の傘は骨が折れて、ついこの間買ったばかりの傘。


けれど鞄の中は物がごった返して、思うようにそれへ手が届かない。
机の上に出して探さなければいけないほど、物は無いはず。
そう思っても、傘の感触はない。

一緒に帰ろうと言った涼も、隣で同じように鞄を探っていた。
朝、絶対俺はこの中へ入れたはずなのに、と中をかき混ぜる。
筆箱、ルーズリーフ、ワックス、と一つ一つを端に寄せて調べていく。

「あ」
「あ?」

のぞき込んで、傘を探していたんだろう涼が止まった。

一方で、涼の声が出た瞬間、手はかさかさした感触に触れる。
やっと見つけたものを掴んで、隣に続きを促しながら取り出した。


「傘忘れた」


そう悔しがる口は、俺を見て変わる。
丁度、折りたたみ傘の全身が鞄から現れたところだった。





「やーほんっと申しわけねーな!」
「思ってないのに言うなよ」

上履きから靴へ履きかえて、傘のつまみを押し込んだ。
普通の長傘よりも、折り畳み傘独特の少し小さな円が開く。
これに男二人。無理があるのは、今からわかりきっている。

一度、靴をはきかえるために離れた肩は、再び強引に組まれる。
涼の軽く鼻歌さえまじる上機嫌っぷりに、少し呆れた。


玄関の屋根を抜ければ、雨が傘をたたき出す。
細かい粒がぱたぱた音を立てて、端へ落ちる。
端から鞄、鞄から地面へと落ちた粒。

濡れるのは仕方ないと、初めから割り切っていた。
涼相手に断りきるのは無理だと、長い付き合いで知ってもいる。
それに、と横目で涼を見た。濡れているのは自分だけでもない。


むしろと、楽しそうな涼の左肩へ視線を寄せる。
涼の方が俺よりずっと、体が傘から出ている。
ぱたりと、制服が雨をはじいたのが見えた。

少しだけ、傘の柄を持った手を涼に傾ける。
どうせ学ランを乾かさなきゃいけないのは変わらない。
一人で帰るよりも濡れたのに、相手が風邪を引いたら何のためかもわからない。


あ、と途中で気づく。
今濡れなくても、途中からはどうするんだろうか。

家の方向は途中で道は別れている。
そこから涼が入る傘は無い。濡れ鼠。

「コンビニ寄るか?」

気分よく歌ってるのを遮って、彼に聞いた。
何で、そんな目が俺に向いた。聞き返す声も出された。

「傘。ないんだろ」
「いらねーよ。海のあんだし」

だから言ってんだよ。
まるで自分のもののように言うな。
言い返しても、笑われただけだった。

「途中からどうすんだよ」
「あ?」

何言ってるんだという顔。思わず止まった足。
その反応に驚いて、逆に俺が、は、と疑問を出した。

明らかに、俺の家と涼の家の場所は違う。
近い距離ではあるけれど、途中から絶対に道が分かれる。
家の手前にある分かれ道から先は、一つの傘で帰れない。

俺が涼を家まで送れば濡れないとは思う。
けれど、雨の中、遠回りはしたくなかった。
既に靴にはじわじわ水が入っていて、ぐじゅりとした感覚が気持ち悪い。


頭の中で考えていると、涼がおもむろにため息をついた。
わかってないと顔で言ってくる相手に、思わず眉がしかまる。

どっちがわかってないんだと文句を出す前。
相手の口が開いた。


「今日は?」


組んでいた腕を外して、涼がやけに優しく俺に問う。

「金曜日」

黒板に書かれた曜日を思い出して答える。
今日の日直だった拓巳と柊の、どちらかが書いた字。
丁寧に書かれた字だったから、多分、拓巳だろう。

とりあえず、歩道の真ん中で止まるのをやめて歩き出した。
涼も俺のペースに合わせて、傘の中で足を動かしだす。

「あーしたはー?」
「土曜」
「せーかい!」

やたらテンションを上げる涼から、目を離した。
わざわざ聞かなくてもと思いながら、雨が伝うアスファルトを歩く。

信号が前でちかちかと点滅して赤に変わった。
横向きに止まった車が流れ出す。

「土曜日に学校はー?」
「なーいー」

勝手なハイテンションにつき合うのも面倒だった。
休みと傘に何が関係あるのか、考える気力も湧いてこない。


手っ取り早く聞こう。
そう軽い考えで涼を見た、ら、一瞬で頭は後悔一色。

これは、と顔が引きつる。
傘があると知った時と、同じ笑顔。


「やー、今日は良いお泊まり日和だなー」


にこにこした顔で、また肩に腕が回る。
予想通り、自分に良い提案でないことに頭を抱えた。

雨でかよ。
そうぼやいた声は涼に届かない。
軽快に笑う涼の声にかき消される。

「あと近いし」
「帰れ」

車の流れが止まって、青信号が光った。
人が流れる中に紛れて、自分たちも白と黒を渡る。

「服はちゃんと取ってくるって」
「そのまま帰ればいい話だろ」

傘は週明けにでも返してくれればいいから。
そう伝えても、涼は泊まりをやめる気はないらしい。
こういうところは凄く頑固だった。嫌だと言っても、彼は意見を変えない。

取りに帰ったら、鍵を閉めていれば良いだろう。
帰った頃くらいにそのことをメールして、そうすれば諦める。


「閉め出しは無しな」


思考を読んだように、涼が言う。
特に強く言うわけでもなかった言葉。
本気で言っているようには聞こえない。

「もし閉め出したら?」

俺の目の前に、涼が出したのは鍵。
頭が回らず、何の鍵かを考えきれない。

「これで海くんの家をオープン」
「うわ! 鍵、かえせよ!」
「ちげーよ」

腕を出しても、お前のじゃないと、取り上げられる。
そのときに、鍵の根元についたキーホルダーと別の鍵が目についた。
確かに自分の鍵は小さなストラップが一つだけで、違うようには見える。

「これはオレの」

どうにも頭がついていかない。

俺の家の鍵に涼の分はない。
予備は机にしまい込んでいるはずだった。


もし予備を盗ってなら、結局それは俺のものだ。
どうしたって涼のものではないし、そうならない。
どこをどうすれば、それが涼のものとなるのか。

問いただしたいと思いながら、涼を睨む。
言いたいことはわかるだろう。そう理由を待つ。


「合鍵。作ったんだよ」


ちゃり、と音を立てながら、鍵は涼のポケットへ仕舞われた。
何でも無いことのように言われた言葉が、頭の中で二、三度反復。

合鍵。作った。
多分、俺の家の。


「は!?」


思わず大声が出る。
それでも涼は気にせずに、愉快そうに笑う。

なんでそんなとか、笑ってるんじゃなくてとか、言葉が頭には浮かぶ。
でも浮かぶ言葉が多くて、どれを先に声にすれば良いのかが決まらない。
何か言おうと口は動くが、その間にも疑問やら非難は浮かび続けて、そして止まる。


一旦、落ち着け。
立ち止まったまま、目を閉じて深呼吸。
湿った空気が入り込んで、雨の匂いが頭に伝わる。ゆっくり目を開ける。

「何で持ってる」
「作ったからだろ」

ふざけた答えしか返ってこなくて、ムカついた。
回された腕を抜け出して、自分一人だけで歩き出す。
傾けていた傘も、自分が入るだけに持ち直した。

冗談だって、と追いかけて来た取り消しの言葉も聞かない。
雨に濡れてそのまま帰ればいいと無視を決め込んだ。
チェーンロックをかければ、合鍵も関係ない。


「わーかった! 話す、はーなーす!」


けれど傘を捕まれて、無理矢理に入ってきた。
濡れただろー、とまだ軽い口調の文句は聞かない。

こっちは怒って聞いている。
ふざけきったままの涼が悪い。


誤魔化されたくなかった。
涼は話を茶化すことで、あやふやにする。

いつもの、何でもないことならそれでいい。
けれど、今回のことはさすがに俺も嫌だった。

ギロ、と睨んでみれば、涼は困ったように頭をかいた。
小学校から染め続けてる髪を、雑にかき混ぜる。
時折、痛んだ髪がひょいと突き出た。


あーなー。うーん。
唸るような声を、隣の涼が出す。
答えるまで、折れる気はなかった。

ちらちら様子をうかがうように、涼は俺を見る。
滅多にはないことだけど、それでも態度を和らげることはしない。
いざとなれば、傘から追い出すつもりだった。言わないままなら。


数分間。口を閉じて道を歩く。

相変わらず、涼は唸るだけだった。
話すと言った割には、はっきりしない。


「何で言えないんだよ」


ついにジレて、不機嫌な声で疑問を口に出した。
言わないままじゃ、たぶん、涼も言わずで通す。
喋らないつもりなら、分かれ道までだと期限を設けた。

でも、涼は口を開かない。
一応、うなり声は止んだものの、言う気は見えない。

分かれ道はもう見えている。
あと数メートル、あと数歩。


家に阻まれて別れた道で、立ち止まる。
気づいた涼も、傘の中で止まる。


「合鍵はあんまりだろ。返せ」


止まってから向きあい、手を差し出す。
俺は涼に、家へ自由に入ってもいいとは言っていない。

いくら幼なじみでも、そこは区別をつけるべきだ。
俺と涼は裏家業のつながりもある。だから、余計に。

心の中でも、涼に寝首をかかれるとは思ってない。
でも、俺が嫌だった。頭が拒否する。

「心配なんだよ。一人で、……」

やっと涼の声。何かを堪える口。
涼の顔は苦々しく俯いてから、俺を見る。
場に緊張感が満ちて、知らない間に体は強ばる。

一度。

その視線は落ちた。
溜め込まれた息が吐かれる。


「海、おまえ飯食わねーじゃん」


言葉が先に出ていた。
追うように、ハの字の眉で笑う顔が上がる。

「母親がさ、お前の面倒見ろーって言ってんだよ」

近いんだから。幼なじみだから。
ぺらぺらと流れていく内容は、体を緩ませる。

心と別の場所でで、涼の言葉を考えた。
心配されるほど食べないわけではないと、自分の生活を思う。
確かに買い置きがなければ、少し怪しいところはあるけれど。

「ちゃんと食べて、」
「ねーから言ってんだろ」

人の言葉を心無しに切り捨てる涼に、思わず笑った。
ようやく重くなった空気が、軽くなる。


「多めに母親が持って来た飯置いてくくらいだから」


結局、家へ向かう傘から涼は出なかった。
不法侵入には変わりないと背中を叩いて、もう一度肩を並べる。


そうして心は、雨音で誤摩化されていく。


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