SiGNaL > 報復精神感情



ガタン、と勢い良く大きな音が聞こえた、教室に規則的に並ぶ机の一部がそれを乱す。
口元を抑えながら痛む背中を無視して立ち上がる、けれどやはり痛いものは痛かった。
けほ、と軽く咳き込む、目の前に立つ涼を睨んだ。

「んだよ」

近づいて来た涼が俺の首元を持ち上げる、少し苦しい。
間近にある顔は俺を睨んでいる、こっちと同じように。
はなせ、と口を動かそうとして殴られた場所がずきりと痛んで止める。
息が苦しい、離せと言うことも出来ない、なら離させるしかないと考える。

軽く涼の肩を両手で掴んで頭突き、ごつ、堅い物の当たる低い音。
涼は痛そうにその部分を抑えて下がる、離されたまでは良かったけれど案外自分の頭も痛む。
けれど距離が空いたことに安心した、詰まっていた息を吐き出す、途中にまた二、三度咳き込んだ。

「何だ、はこっちの台詞だろ」

やっとそう言い返せば、額を抑えた手の奥からまたこっちを睨む視線。
ぞっとした、少しでも気を緩めれば全身が震え出しそうに思えた。
けれどそうなってしまえば恐らくすぐに動けなくなると確信する。
必死に震えを中へ抑え込む、ただ拳に力を入れて気をそらす。

「ざけんな」

小さく聞こえた声が怒っていることを伝える。
唇を噛んでそれに負けないように真正面を向く。
怖くない、暗示でもかけるように心の中で呟いた。

「何で無駄にいちいち危ねーことばっかするわけ?」

不快そうな声色で、呆れたように髪をくしゃりと掴みながらの言葉。
してない、と返せばすぐに、してるだろ、の返事。
どこが、と問おうとして、それを答えられた所で何も言い返すことがないことに気づいてやめた。

「ただでさえ危ねー生活してんのに」
「別に俺の勝手だろ」

ざわりと教室の外に大勢の人が集まってることを感じる。
あれだけ大きな音を立てれば人が集まって来て当たり前かとぼんやりと思う。
不意に視界の色が変わる、目に意識を戻せば寸での所で止まった、手。
無意識に足が一歩後ろに下がった、持たれていた机につい座り込む。

「二回目」

はっきりと言われた回数、何の回数かはわからない。
否、ぼんやりとは理解していた、避けられなかった回数。
集中するべき時に集中出来ていなかった数だろうと思った、恐らく間違っていないだろう。
目の前にあり続ける手をたたき落として立ち上がる、立ち上がろうとした。


「弱いこと、認めろよ」


その言葉が耳に届いた瞬間に、何をしようとしていたのか何を考えていたのかを忘れた、ただずきりと痛む胸。
涼の首元を左手で掴み右手を後ろへ引く、思い切り右手を力強く握る。
表情を見た所で涼はただ何でも無いような顔、それが無意識の苛つきを自覚させて。

「うるさいッ」

精一杯殴ったつもりのそれは容易に避けられて、腹部に強い痛み、息が止まる。
激痛でしゃがみ込みそうになる体を涼は掴んだ、それを合図に咳が出始める、止まらない咳。
途中、喉に気持ち悪い感覚が上る、それを何とかやり過ごしながらゆっくりと息を吸い込む、咳は止まった。

「なんなんだよ」

小さく呟いた言葉は涼の耳に拾われることはなかったらしい。
涼から離れようと動く、ずきりと腹部が痛む、足がよろけた。
傍にあった机に手をついてそれをやり過ごす、荒くなった息を整えた。

「勝手にどうこう言うな!」
「勝手に言わねーとわかんねー癖に」
「別に言わなくてもいいことだろッ! 俺のもんだい、」

途中でまた殴られそうになる、それを両手で受け止めた。
さっきよりは力は弱いけれど、今回は何故いきなり叩かれようとしたのかわからなかった。
何かが頭の奥から表へ移動しようとする、それを無意識に拒絶した、違う違う違う。

「何回言ったらわかんだよッ!」

受け止めたことに苛ついたのではないだろう怒り、何処からそれが来るのかはわからない。
それが苛ついた、受け止めた手で突き放してもう一度涼へ殴りにかかる。
止めようとする手が届く前に横に避けて、逃げられる位置へ移動する。
後ろが塞がっているよりは下がれる余裕がある方がまだマシだった。

蹴ろうと飛んでくる左足を左腕で飛ぶ方向を無理矢理変更させる。
それによってバランスが崩れた体、床に手をついて左足で残る片足めがけて蹴る。
当たった感触はないまま、避けられたことを知って蹴った勢いでそのまま立ち上がる。
けれどその前に肩を軽く、でも強く押されてバランスを崩した、右手を後ろについて床に座り込む。


「少しは人目を気にしたら?」


見上げれば、落ち着いた色合いの髪。
柊が俺を見下ろす形で静かに、酷く穏やかに言った。
その声は大きく言われたわけでもないのに不思議と教室内に響く。

「やり過ぎだよ」

そこでやっと気づく、音が無いから響くんだと理解した。
柊が俺の目の前まで手を伸ばす、それを掴むと引き上げられて立ち上がった。
大丈夫、と聞かれるけれど何となく怖く感じた、合っていた目を下へとそらす。
柊が動く気配、目を上げれば涼の方向。

「いなくなって迷惑すんのはこっちなんだよ…ッ!」

机を叩く音、その中に入っていた教科書が2冊程度落下した。
噛み締められた唇を見る、何故迷惑がかかるのか未だ理解出来ない。
勝手にそう言われている気がした、実際はそんなことはないはずなのにと不満が浮かぶ。

「んなの知らねえよ! 涼が勝手にそう思ってるだけだろッ!」
「何でそう決めつけんだ! ちったー理解しようとか思えよ!」

理解する前にわかることだ、理解してないのは涼だと決めつける。
その意味も込めて涼を睨めば、相手も同じようにまた俺を睨む。
どうしてわからないんだろうとイライラした。


「あのさ」


苛つきを告げようとした瞬間に柊の声が耳に入る、仕方なく口を閉じる。
柊の顔を見ると同時に柊はため息をつく、それから茶色の目が俺を見る。
いつもと違う表情に驚いた、感じていた苛つきが吹き飛ぶ。

「原因は何となくわかったからもうやめれば? 飽きたよ」

呆れた声色で柊が俺と涼を交互に見る。
ぼんやりと飽きる飽きないの話じゃないと思った、口から小さく漏れる声。

「……」

聞き取った柊がこっちを振り返る、睨んでもいない、怒ってもいなさそうな表情。
ただ教室は静まり返っていた、俺が僅かに後ずさりする音さえ響きそうなほどに。

「見苦しいって言ってるんだよ」

違うんだとやっと理解する、きっと柊は怒っている。
何が違うのかははっきりしない、けれどそう感じた、同じはずだと感じるのに何処かが違うと感じた。
明確な答えは出ない、答えが出ないまま柊と目が合っていることが気まずかった、目線を下へ落とす。
そのことに柊が眉尻を下げたことを俺は気づかない。

「たかがゲームの話だろ。熱くなるのもそのくらいにすれば?」
「あ、っ」

違うゲームじゃない、反論しようとした俺の口をいつの間にか隣に移動してきていた涼が塞ぐ。
ほぼ隣の位置にある顔を見た、いつものような、いつもと変わらない顔。

「へーへー。でも俺にしてみりゃレベル低いのはつれーんだよ」
「わかってるよ、だからオレも頑張ってるじゃないか」

ゲームかよ、と外のクラスメイトから苦笑が漏れる音を聞いた。
そこでやっと無関係の人がいるのに大声で言い合ったことを後悔した。
機転を利かせてくれた柊に感謝する、それより大きな自己嫌悪が浮かぶ。
前を見ていた顔を下へと下げる、酷く自分が馬鹿だと思えた。

「あと」

がたん、近くで大きな音がなった、目を後ろへ動かせば机がまた乱れている。
涼がきょとんとした顔で何とか机に寄りかかっていた、柊はいつも通りの笑顔でそこにいる。
下に目を降ろしていく、恐らく涼を殴っただろう手、それを軽く左右にぶらぶらと振っていた。


「海の顔、殴ったから」


ね、と最後に首を少し傾けられた。


prevsignal pagenext

PAGE TOP