本編 第一章第四話 別サイド。

SiGNaL > 嘲笑のこえ



タン、という音を最後に、キーボードの音が止む。
ば、と表示された羅列は日本語からアルファベット、様々な文字が並んだ。
そこに並ぶ文面のどれもが、大抵が同じ内容を指した文字列となっている。


「漏れてんな」


一言、そう呟いて涼は普段はかけていない眼鏡を外した。
疲れたのか慣れていないのか、眼鏡を取った後の眉間を指で撫でる。
ふう、と吐かれる息さえ、どことなく重々し気な空気を持っていた。

いつもからしてみれば、滅多にない姿だった。
彼と言えば大抵の者が思い浮かべるものは笑顔で、気楽な様子だ。
喜怒哀楽は激しく、かといってマイナス面は対して長続きしない。
限られた人以外は、彼のそれ以外の表情に触れることなどほとんどないに等しい。


その限られた中に属しているだろう一人は、後ろの方で椅子に座っていた。
つまらなさそうに部屋を見渡していた彼は、涼の答えを聞いておもむろにため息をつく。


「どこから?」


彼は至極、静かで穏やかな声で問う。
彼はいつものように笑ってはいなかった。
笑う必要もないと彼は感じている、今はそんな場合ではない。


「それすらわかんねーくらい、もう広がってら」


何でも無いことのように、涼は告げた。
両手を上げて肩をすくめる、まるで遊びの中での降参ポーズ。

けれど柊はそれを見ずに、考えるように俯いた。
彼は、涼の行動や態度に関心も興味も特に湧くことはない。

ただ頭を占めるのは大事な一人のことだけであり、涼のことを考えるなど無駄だと考えている。
ふざけたような口ぶりの軽い男は、たまによくわからない部分を見せる。
読めないわけじゃないが、つかみ所がないと彼は思っていた。


「誰かが口を割ったか、ハッキングされた可能性は?」


彼は頭に浮かんだ可能性を口に出す。
一番、最初に考える可能性の二つ。

ただ、そんなことをしなくても、と柊は少し不安を抱く。
元々彼の従兄弟は顔を隠そうとしないことから、バレやすくはあるだろう。
殺し屋である場合、接触した人物を殺すから可能性は減るとは思うけれど。

「ハッキングで容易く暴けるような設定はしてねーし、口でも一気にたくさんは普通無理だろ」

涼は柊の内心を知らずに、彼の出した可能性に答える。
じゃあ何故、小さく呟かれた柊の言葉。
責めるような響きではなく、涼は息を吐き出した。


「暴ける候補は」
「組織だったら個人は不利」


つらつらと涼が言った内容は、当たり前のこと。

候補、と言っても幅があるのだと涼は思う。
個人と組織、殺し屋にしろ情報屋にしろ運び屋にしろ、多数存在する。


涼自身はどこに入っているわけでもなく、単身で情報屋をしている。
セキュリティもある程度は工夫しているつもりだが、所詮一対複数では分が悪い。

それでも情報を多数揃えることが出来ているのは、自身の力だろうとそこは自信を持っている。
父親の教えもあったのかもしれないけれど、習得したのは自分で、成長したのも自分である。

自信のない状態で情報を売るつもりはないし、しない方がマシだと思っていた。
自分は出来るのだと、きっと暗示じみたもので涼は頑張ってきていた。


「入手先はジレンみたいだけど」


海ともう一人との会話の中で漏れ聞いた名前を、柊が告げる。
僅かな声は彼の元までは届かなかったが、口の動きを彼は読んだ。
それでもわかったのは情報屋の名前程度で、内容は彼でも完全に把握していない。


ジレン、静かに涼が柊の言った名前を繰り返す。
名前をもう一度繰り返して、静かに目が閉じられた。

ジレンという人物を調べた時、決まってあまり信頼性のない情報ばかりが目につく。
涼がどう調べたって、何一つ本当だと確信出来る事柄が出てこないのだ。
柊のキトウの方がまだ自信が持てていたとまで、思うほどに。


正直、キトウなんて名前が嘘なのはわかっていた。
情報がないと言われている割には、あまりにも簡単に知れ過ぎたのだ。
掴んでくれとでも言わんばかりに漂う情報を開いてみれば、最低限の中身。
罠だと疑う以外、どうしろとも思えないようなものでしかなかった。

海のところへ依頼が入った時のことも、彼が来る手前に涼は知っていた。
本当のところ、あんな見え見えの依頼、受けるはずがないと彼は思っていたのだ。
なのに、まさか受けて自分の所に影のことを聞きに来るとは、その時を思い出して彼は少し笑う。

それでも、涼が海へ情報を渡したのは何とかなるだろうと思ったからだった。
柊がキトウであり、更に幼馴染の従兄弟であることがそのときわかっていたからこそ、涼はそうした。
それでなければあんな情報、罠だと考える他なく、彼が幼馴染に渡すはずがない。


けれど実際、鉄骨が落ちた時には甘かったかと疑ったと、彼は思い返す。
塾に行くと離れた彼をつけたものの、彼相手に最後まで隠し通せるわけがなく。
彼と彼、二人で歩きながら間にあったのは、探り合いと好意の告白であった。

別に最初から好意は隠されてもいなかったけれど、と彼は思う。
影としての情報とは違い、名字が違うだけの本来の柊のことなど簡単に彼は手に入れる。
そこで知ったのは、まるで気付いて欲しいという風に残されていた、母方の従兄弟という関係。
その時は、わざわざ母方の姓を捨てているのにどうしてそれを残すのか彼にはわからなかった。


事実、柊は海との関係を切りたくなかったのだろうと推測する。
その理由はそれとなく、彼にはわかっていた。

鉄骨後の好意の告白にしても、今思い出せば宣戦布告だと彼は思う。
どう考えたって口調はもの柔らかではあれど、譲る気なんて更々ない言葉。


威圧的にすら見えたあの時の彼を思い出しながら、涼は自分の言葉を待つ彼を見る。
今だって彼は、自分の幼馴染への好意で動いている、と思えば、何処かで黒いものが渦巻く。
海は自分のものだと思うのに、彼に好意を注ぐ誰かが複数いることが彼は嫌で仕方なかった。



「ジレンなんて奴、いねーよ?」



彼が口から出た言葉は、内にこもった思考で冷たい声色を持った。

柊は怪訝な顔をして涼をまじまじと見つめる。
今外れた視線は、先ほどまで不気味に思い出し笑いまでしていたのにと思い返す。
とりあえず気持ち悪い顔を見なくて済んだと思うと、彼はまあいいかと切り捨てた。

「どういうこと?」

今は話題に集中しようと、互いが各々の思考を止める。
わけがわからない、そう言った風に柊は涼に逸れていた視線を合わす。

「元から居ないっつーこと」
「情報が無いことに対しての言い訳、にしか聞こえないけど」

涼の答えに、無表情を貼付けた柊は強めに言い放つ。
そのまま呆れたように、部屋の窓から外へと意識を向け始める。

言い訳ならば聞かずとも良いと彼は思っていた。
昔の自分がそう扱われていたのだから余計に、彼には言い訳じみて聞こえた。


殺し屋として組織に属していた、掴めない影として扱われていた自分。
確かに自分は存在するのに、情報がないから存在しないのではと憶測が飛び交った。
消えたと偽った情報を出した今でさえも、影の存在を疑うような声は上がっている。

勝手な言い分だと心の中で吐き捨てた。
殺し屋であれば、自分の存在を知る者などいなくて当然だと彼は思う。
組織内からの依頼であり、組織に隠されるようにしていられた存在なら尚更。

それを暴けなかったからいないなんて、あまりにも勝手な話だと彼は息を吐き出す。
最初の頃は、それでも情報屋かとあざ笑って殺してやろうかと考えたこともあった。
結局、実行する前に面倒でやめたけれど、と僅かに惜しむような思考に彼は目を閉じる。


「ジレンはどっかのダミーだって説があんだよ」


お前の場合とは違う、彼が続けざまに言った言葉は柊の考えを読んだ風だった。
けれど柊は外を飛んでいく烏を眺めつつ、彼を見ようとはしない。

涼はそれを見て、再び眼鏡をかけるとパソコンに向き直った。
柊が返事を返さないことは雰囲気からも簡単に読み取れている。
それならば画面上に並ぶ文字を収拾した方がマシだろう、という判断。


マウスとキーボードの音だけが響く空間に、部屋が成り果てる。
カラカラとホイールが回る音が主で、キーボードが叩かれる音は稀だ。

「ジレンは存在しない」

もう烏が去った空を見ながら、柊がおもむろに口を開く。
言った内容は、涼が先ほど告げたものを繰り返す言葉。

涼がマウスから手を離して、柊の居る方向へ体を向ける。
でもやはり彼は涼の方向は見ずに、肩肘をついて外を眺めたまま。



「なら、誰が海の情報をサクラ達に流した!」



音量はそう大きくないけれど、感情のこもりが違っていた。
憎々しい、そんな感情が表に出された言葉の吐露。


柊には、従兄弟の情報を流した誰かが許せなかった。
従兄弟のことは涼以外の情報屋を通して、彼もある程度は知っている。
けれど、それはあくまで淡々とした事実だけしかわからないものばかり。

なのに彼の元仲間は、それ以上を知っていた。
それを利用して彼の従兄弟を傷つけ、余計なことをしていって。
結果的に、自分もが従兄弟を傷つけなくてはならなくなった。


別に従兄弟の為にならば、一時的に嫌われようが別に彼は構わないと思っている。
自分が一時的に嫌われることよりも、従兄弟が間違って後悔してしまうことが彼は恐れていた。

現に、従兄弟の父親に関することだって、嫌々でしたわけではない。
従兄弟の決意に疑問があったのは彼も、涼も、同じであった。
だからそれは、良かったのだ。


けれど、元仲間は二度も彼を傷つけていた。
一度は殺そうと企んだし、二度目は精神的に従兄弟の弱みを抉って。
そもそも元仲間が居なければ、自分が従兄弟を傷つけることもなかったと思うと余計に。

思い出すとたまらなく苛ついて、どうしてグループ全体を殺しておかなかったのかと、彼の中に後悔が広がる。
自分の力を引き出してくれた相手だからといって、情けをかける必要など初めからなかった。
裏切ったのは自分であり、その時から元仲間は敵でしかないと知っていたのに、と手に爪を立てる。


そんな後悔が渦巻く柊の表情は、涼からは見えない。
ただ窓の外に視線を向けた横顔だけが見えて、でもそれは怖いくらいにいつも通り。


「いくらかかってもいい、死ぬ気で調べて」


柊は肩肘をついていた手を下ろす。
机に向き合って、涼に背を向けて。

そのことに涼は、ただ簡単に了承を返した。
元より彼に言われずとも、そうするつもりだったのだ。


裏によってかき消された事実、その事実の原因部分。
それは幼馴染自身すらも封印した、情報内容だった。

勘ぐりはすれど確信した風な人は、どこにもいなかったはずなのだ。
自分さえも気付かないで見逃していた事実は、他人も同じであったはず。
そんなものが何処から漏れ出したのか、それを知る必要があった。

「勘じゃわからないの? 相手の危機がわかるとかそんな感じに」

あくまで冗談の範囲内で、柊がため息をつく。

これ以上話したところで、彼に出来ることは何もない。
彼は涼の情報屋としての力を信じて、資金を提供する他何も出来ない。


「残念ながらこれ経験から来る勘なわけ」


そんな便利なもんじゃねーよと言って涼は、苦笑いを浮かべた。
まるで何かを悔いるかのような表情、憂いさえ滲んでいる。
今は眼鏡の奥にある目が、酷く寂し気に揺れた。


「そうだね、」


けれど柊は振り返らずに、彼のその表情を見ない。
それでも、何となくで彼の心境を柊は読み取っていた。
それは声の強弱や音程であったり、言葉に滲む感情から。

そんなものがあれば変わっていたのに。
だから声に出す前に彼は、その言葉を飲み込んだ。
彼にわざわざ言うようなことでも無いだろうと知っていた。

「ひいらぎ」

短い呼び声、彼をひいらぎと呼ぶのは涼だけだった。
だからといって二人に何の特別なものは無く、単なる呼称で終わっている。
わかりやすいという理由と、訂正する必要性がないという理由の末の呼び名。

「何?」

そこでやっと柊は、しかし無表情に、涼へと振り向いた。

「オレも出来るだけ海の傍にいるようにする」
「……」

だからどうしたと、彼の目にあったのは先を催促するような視線だった。

真剣な表情をした涼が柊の目に映った時点で、ある程度の予想を彼は立てている。
それでも、それが正確だとわかるまで、彼は返事を保留して涼の言葉の続きを待った。

同じように海を大切に思っているだろう男の言葉。
的外れなことを言うのならば、手を切ろうと柊は考えている。
もしも涼が自分の欲を優先するようなことがあるならば、間違いなく彼は。


「わかるまでは出来るだけ、あいつについててくれ」


勿論、と、呟いた彼は笑った。
守るだけならば許そうと、思ったのはどちらだったのか。


prevsignal pagenext

PAGE TOP