朝の夢 - 夜の夢


「……っ」


喉が締め付けられるように痛い。
空気が喉の奥へと溜まっている。
口と肺の通路が途絶えたかのように。
頭がしびれるような感覚、手足すら痺れた。

ずしりと重くなる思考、鈍り。
解決する方法が思いつかない。
今がどんな状態なのかを掴めない。


苦しい。
溜まった空気を吐き出そうと努力する、出来ない。
目を開こうとも、力が入らずに閉じたままになる。

苦しい苦しい苦しい。
他のことは何も考えられない。
感覚が頭に伝わって意識されるだけ。

「いやだ」

声は声にならない。
口がかろうじて動くだけで、何も耳には聞こえない。

それどころか、耳鳴りが邪魔をして何も聞こえない。
喉が押し潰されるように苦しい、くるしい。


点滅する視界、閉じた視界が。
白黒白白黒黒黒黒白黒、激しく光る。
空気が欲しい、空気が欲しい、痛い。

「たすけて」

言葉は潰された道で消える。
誰の耳にも届かない。
届かないで役目を終える。

俺もこのまま、終わる?

「しにたくない」

やっぱり空気に言葉は伝わらない。
喉は苦しいまま、耳は高い音がひっきりなしに鳴っている。


死ぬ、どういうこと。
残った頭は考える、残り少ない思考。

いなくなる、俺が、存在がなくなる。
何処にも俺が居なくなる、どこにも。


悪いことじゃないとどこかが告げる。
だってそれはあの人が望んだ俺の在り方だ。
あの人が俺に認めてくれている、唯一の生き方。

いい子の、かたち。


「いらない」


ぼおっとぼやけた声に息は止まる。
低い低い声がじわりじわりと俺を殺す。
喉に巻き付いた手は憎い憎いと力を増した。


そうか、これは父さんだと理解する。
父さんが俺を殺そうと、…確実に殺す手。

俺が嫌いな父さん、俺に母さんを殺された父さん。
俺を殺す父さん、俺を認めてくれない父さん。

息子なんていないと言う、父さん。


ぎりぎり、体全体に圧迫感がかかる。
押し潰される、体が下にべっとり平らになったような感じ。
手も足も頭も目も、何もかもが動かないで、父さんに逆らえない。

圧迫。
何もかも。
俺が薄れる。


嫌だ、こんなのいやだ。
いやだいやだいやだだって、だって!

だって俺は、

「いきた、い」

死にたくない。
生きていたい。
此処に居たい。

父さんの邪魔にならないように、いい子にするから。
ちゃんと父さんの言うことを聞くから、何も言わないから。
俺なんていないように思わせるよう、一生懸命頑張るから。

真っ赤な母さんの血も、真っ青なこの自分の目も、忘れなんかしない。
だから、だからだから、


「かい」


違う空間、涼の声を聞いた。

ああそういえば俺は名前さえ、父さんにあまり呼んでもらえなかった。
だってあの人は俺が嫌いで、俺の存在なんかいなければいいと思っていて。

「海」

ゆっくりと背中をなぞる、誰かの手。
ゆっくりゆっくり、往復して、それは頭を撫でる。


どうしようもなく、怖かった。
優しく撫でる手なのに、怖い。

変化すると思った、いつ首に回るか不安で仕方なかった。
いつこの手が握られて、自分に向いて振り下ろされるのか。
そんな被害妄想が廻って、恐怖が支配して。


ひゅい、と喉がなった。

は、は、とか細くなっていた喉が、更に悲鳴を上げ出す。
急速に吸い込まれる酸素吐き出される二酸化炭素、呼吸量の増加。

いやだいやだ。
否定する頭は、呼吸なんて考えない。


占め続けるのは、夢の内容。
自分に触れる手への、恐怖。
だっていつだって誰かの手は、

引き寄せるように手が背中を押す、体温。
体温が近い、心音、ゆっくり、誰の、だれの。


「大丈夫だ」


耳に響く。
背中を押した手は、そのまま背中をさすり続ける。
誰かのもう片方だろう手が、頭をゆっくり押さえた。


うっすら、やっと開くことが出来た目は彷徨う。
何を見るわけでもない、何も見えない、呼吸が辛い。

自分の体にくっついている体温は誰のもの。
上手く動かない体、ぎしりぎしり、動かして見上げる。
顔、だれの、そんなことも理解出来ない混乱、優しさ。


優しい、たのしいひと、だれ。


「…っは……っ」


何かはわからない。
胸が苦しく締まる。
呼吸は速度を増した。
心臓はどくどく動き出す。

くるしい、どうして。
全身が金縛りのように動かない、痺れる。

「ゆっくり息しろ」

声が近づく、耳へ、深く浸透する。
それでも頭はそれが意識出来ない。
呼吸をして、苦しいと叫んで、息を吸う。

大きく口を開けて、酸素を吸い込もうとした。
でも空気は上手く入り込まなくて、出ていくのも上手く出来なくて。


「海」


自分の視界に、やっと涼の姿が意識されて、声が聞こえた。
いつの間にか布団を握りしめていた自分の手が、目に入る。
それがいびつに歪んでいるのは、苦しさから出た涙、恐怖じゃない。

「袋いるか?」
「だい、じょ…ぶっ」

胸を押さえて縮まり込む。
空気が、酸素が、欲しい。

大きく口を開けて、一旦吐き出そうと息を送る。
つもりが予想以上に多く出て、苦しくて、すぐに吸った。
そうしたらまた息はすぐに吐き出されて、結局改善しない。


もぞもぞと隣が動く、自分を覆っていた布団がずれた。
ぜえぜえと部屋の中に、自分の呼吸の音が響く。
暗い部屋、体が段々と冷えていく。

まるで、


ぐしゃ。
思考の途中を良い具合に、他の音が遮る。
紙が押しつぶされたような音、わかっているのに、全身はびくついた。

大丈夫、ともう一度近づいて来た涼が言う。
頭がまたゆっくりと撫でられた、少し今を思い出す。
今は過去のどの時期でもない、今は大丈夫。

誰もいない。


「ほら、袋」


目の前に袋が置かれたのを、音で確認した。
耳より後に目は追いついて、いつもベッドの傍に置いている紙袋を確認。
そして体に触れていた手も離れた。

きっと涼は、最初の頃を覚えているんだろうと思い返す。
確かその時も、こうやって呼吸が荒れて、涼が隣に居て。
袋を手渡そうとしてくれたらしいが、それを俺が怖がった。

「ありっ、が…と…っ」

袋を受け取って口にあてる。
息を吹き込めば袋は膨らんで、吸い込むとくしゃりと鳴った。


最初の頃は泣き叫んで、涼が誰だかわからなくなっていた。
夢の後で、多分不安定な時期で、涼には迷惑をかけたと思っている。

あいつと涼を見間違うはずないのに、あいつは此処にいないのに。
涼の手がいつ首に回るのかが怖くて仕方なかった、いつ殴られるか怖かった。
あの時と違うと思えるのに、どうしても夢の後は昔のままの自分と自分を間違う。

強くなろうと思った。
夢の中でも負けないくらいに。


呼吸は段々と落ち着きを取り戻す。
それと同時に、体から力も抜けて、どっと疲れがこみ上げた。
は、と小さく最後に詰まりかけていた息を吐き出して、完全にいつも通り。

それと同時に、目の前からも息を吐いた音が聞こえた。
そちらへと視線を向ければ、焦げ茶色と目が合う。
どことなく辛そうな表情が、俺を覗いた。


「ごめんな」


呟かれた言葉は彼と同じ、


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