本編 第一章第四話 読了後推奨。

SiGNaL > 回り灯籠を踏みつぶす



「ッ!!」

ダン、と強い音がして、壁に当たった男は地面へ崩れ落ちた。
ぶるぶると震えた手足。ろくに力が入っていないのは見てわかる。
ただただ、男の目だけが精一杯俺を睨んでいた。

それを見下ろして、男がまき散らした血を踏みにじる。
ジャ、と小さな石ころが靴の下で地面と擦れる。


いま一度、両手で刀を掴んだ。
低い唸り声を響かせる男は、いっそう俺を恨めしそうに見た。
ただ眉尻をつり上げて、ぎりぎりと見上げてくる。抵抗できない体で。

面倒だった。
もう十分すぎるほど、男は血も流している。
心拍だって弱まっているはずなのに、まだ死なない。
叫ぶ力がなくなっても、まだ生きようと必死な姿が理解できない。

生きたい理由でもあるんだろうか。
冷めた頭で考えて、笑った。俺にはもうない。


結局、刀を振り降ろす前に男は死んだ。
睨みつけた容貌のままで、息を止めて。

行きどころを失った刀を降ろす。
血でまみれた手と刀を、軽く黒のジャージで拭き取っておいた。
ぬとっとした感触がいつにもまして気持ち悪い。
けれど手に血をつけたままじゃ帰れないし、鞘も汚れる。


ゆっくりと、多少乱れていた気分を落ち着けた。
今日は疲労感が凄い、相手の力も強かったからいつもより苦戦した所為だろう。

さっさと寝てしまいたい、いつも寝ていたい。
そんな願望が、最近ことさら強くなったことを感じる。
あまり深く考えないようにはしているけれど、恐らくは。


何もやる気が起きない、無力感、脱力感。
その延長線上の結果、まだ治る気配はない。

なおる、もう一度頭の中で文字をなぞる。
治るのだろうか、と鞄に向かっていた足を止めた。
喪失感は、未だ胸の奥に居座っているままなのに。

何を目標にしていけばいいのか、いつか俺は見つけられる?
あいつの代わりを、何もできなかった俺は、見つけられるんだろうか。
目標、夢、将来を考えた日はずっとずっと昔過ぎて、もう見つけ方すら覚えてないのに。


ちゃり。

ああまだ居ると、横目で僅かに鳴った音の方向を伺う。
何度も今日は、否、最近の仕事中によく聞く音、気配。

ずっとさっきから、俺の周りで音は鳴っている。
この分だと、偶然居合わせたわけではないんだろう。


「アリー?」


呼べば、すぐに薄い色の髪が現れた。
金色というには茶色っぽくて、けれど柊の茶髪よりも金に近い。
形容しがたい色、俺には端的に言いきることができない色の髪。

「よくわかったな、久しぶり」

ちょうど半年ぶりくらいになるだろうか。
拓巳がいた時に会ったぐらいで、あのときも実際数ヶ月ぶりだったか。


あまり頻繁に、見るわけでもない姿だった。
それでも彼の立てる音だけは、よく耳に残っている。
その音の一部でもある赤い指輪は、今もその指にはめられていた。

昔はただ綺麗だと見ていたことは覚えている。
殺した後に押しつけて痕をつけていると知ったときに、その感想は跡形も無く消えたけれど。


「殺しに、きたのか」


あの宣言を言われてから、もう半年だ。
卒業に向けて、周りが浮き足立ってくる時期。
特に、時間を割いてまで考えはしなかった選択の、答えを出す時。

暗い中でも見える、黄土のような茶色の目と視線が合う。
何を思っているかはわからない、相変わらずだと思った。
口元だけ緩く弧を描いて、愉快そうな声は軽さを感じさせるだけ。

「お前さんも十分育ったな」

何気ない素振りで煙草が取り出される。
言われた言葉は、よく意味が取れない。
育ったからといって、半年のことには関係ないはず。


何となく、必要ない問題に突っ込んでいる予感がした。
出来れば余計な問題は抱えたくない、歯を磨いてさっさと眠りたい。

いつも通り、呼吸を繰り返すだけで、水を飲んで食事をして、それだけで今はいい。
そのうち何かはついてくるだろうと、期待ではなくただの予想を立てている。


だからこの前フリが嫌だった。
選択になかった言葉が言われそうな予感。
今が続くとは到底考えられない、この態度をよく思えない。

「シグナルという組織、聞いたことあるか?」
「無い」

片言の言葉に、出来るだけはっきりと素早く答えた。
変なことに巻き込むなという意味も込めて、相手を睨む。

実際、本当に聞いたことはなかった。
知っていたとしても言いはしないけれど。
どんなところだとしても、俺が思う良い形にはならない。


そもそも、殺しにきたんじゃないのか、アリーは。
指輪の金属音を聞いたときから、頭の隅で思っていたこと。

半年という期間で示されていた選択肢は、どちらも。
それに対して、俺が思うことは特に何もなかった。
どちらも結末は同じことであるし、どうせいつかは。


そう思っていたのに、この言い方はおかしい。
まるで俺に、先があるかのような物言いだった。
あの時、言った内容を忘れているかのようなもの。

「漣夜、行けそこへ」

どこかにつくのは許されない。
そうアリーが笑う、異論は認めないとばかりに。
別に他に所属する気もないから、後半は別に気に留めないが。

どうせ、此処で何を言っても押し通されるのだろう。
そう知っていても、そのまま従おうという考えは無かった。
今の言葉は半年前に出されたものと、あまりにも違いすぎる。


裏関係の組織を、俺はあまり知らない。
処理屋が一応、大人数だから、組織と言えるんだろうか。
とりあえずめんどくさそうだと、根拠の無い想像が頭に残る。

「縛られる理由なんて、」
「お前は向こうに渡る為に居る」

何となくの抵抗で出した言葉は、すぐに遮られた。
いつそう決まったんだろうと、疑問に感じる頭はどこか冷めている。


ちゃり、ちゃり。

アリーが俺に向かって歩くたび、高い音が鳴った。
指輪以外の金属は見て取れないが、どこかに忍ばせているんだろう。
そうでなければこの人は武器を持っていないことになる、そんなことをこの人はしない。


「初めからそのつもりで、ころしたのか」


目を落とした場所にあったのは、ただただ赤い血液だった。
もういない男の、随分酸化して、黒ずんでしまっている液体。

「何十分もの確率の一つでしかない」

難しいだろう日本語の単語は、いとも簡単にアリーの口から滑り出る。
流れ出した血はある程度で広がりを留めていた、黒々しくわずかな光を反射する程度。

それでも本当におぼろげで、かすれたような光。
薄く広がっている所為で、アスファルトのでこぼこがわかる。
鈍く、他よりも光沢を持って、光っているくらいのいつもの地面。


「依頼はとうに入っていた。選ぶのは都合のいい場合のみ。あの時はそうだった」


あのとき。
息だけで4文字を呟く。
思い出すように、深い記憶を。


あのとき。
ずっと昔。

日陰の出来事。
人通りの少ない、ただの小道。
アリーと警官、母親、父親、死に顔。
多分、アリーとの最初の接点、記憶は朧げだけれど。


「もし、俺がアリーを頼らずに警察へ行っていたら?」


どうせifの話だ。
どうこうできる問題ではないが、もし、俺が裏を表に話していたら。
俺はそこにいる人を殺すくらいだけれど、アリーは生かしていた。

組織に入れる人員のためとはいえ、リスクは多少なりともつきまとうだろう。
子供なんか単純でも、今でもよくわからない自分の行動がある。
絶対に言わない自信なんか、誰も持てないんじゃないのか。


そんな予想を一笑して、アリーはポケットから出した煙草に火をつけていた。
馬鹿馬鹿しいと言った態度を隠す様子もない、それどころかあえてそう見せているようにさえ感じる。

「かき消せる。裏はどこにでもいる」
「都合のいい」

馬鹿にした態度に対して、いらつきを返した。
そんなに都合良く、増してや俺が会う警官一人一人が裏なわけでもないろうに。
上で押さえるにしてもある程度の限界はあるはずだ、確実に漏らさない方法は限られている。


「お前はそれを知っている」


やけに自信たっぷりな声だった。
眉が潜まるのを感じる、思い当たる節は無い。

涼のことを言っているのだとしたら、それは裏にいるからだ。
あの頃はまだ表にいる人間だった、それが裏に接する機会なんて。

「お前は警官に何を話した。全てを話したんだろう」
「……」
「なのに、母親は交通事故。お前の意見はどこへいった」

うそだ、目が開くのを感じた。


交通事故?
記憶を回想する、できるだけ昔を。
でも覚えていない、ぱっと出てこない情報。
いくら集中したって思い出せない、そんな判断だっただろうか?

覚えてない。
俺は、母さんについての警察の判断を、知らない。


徐々に、もっと奥の蓋が開けられていく記憶。
アリーの後ろから来た警官に、俺は全て言った。
哀れむみたいな、かわいそうだと俺を見ていた、目は。

混乱まじりでわかりづらい説明だったとは思う。
でも覚えている限り、あの傷なら明らかに刺殺だと見てわかる範囲。
普通に考えて、あれを交通事故だなんて誰も思わない、思えない!


じゃああの警官は。
そもそもあの場所に来るようにされていた?

だってそんなに都合良く警官は通りかからない。
あそこは人が少なくて車も少なくて、見回る警官なんか記憶にない。
通報されていたならちゃんと報じられるはず、交通事故なんかじゃなくなる。

「警官から全ては裏。意見はマニュアル通りに置き換わる」

口から出た事実は、今の混乱をすべて納得させる。
アリーと警官の居合わせるまでの時間感覚は覚えてない。
でもそんなに経ってはいない、他の人間は俺たちを恐らく見ていない。


いやでも。
意地が出てくる、認めたくはなかった。
俺が警官に話したことが置き換わっていた?

でも他にも話すチャンスは、十分持てた。

「だとしても、それは最初に相談した人が裏だったからこそ…」

でもきっとこれは覆されるんだろう。
アリーの表情は崩れない、余裕の表情。

「それでも」

続きは空気をふるわせない。
最後まで言わずとも、わかるというアリーの判断。

どこまでが手が回されていたのか。
恐怖が一瞬間、体を走っていった。
昔の話だと思ってしまえば、変な緊張も解けはしたけれど。


すう、と緊張と同時に自分の何かも溶けた。
初めから仕組まれていた出来事、全てが。

誰かの思惑通りに、俺は誰にも話さなかったし、世間は事故を信じた。
交通事故の一件なんて、関係のない人間にはただの数でしかない。

小さいなと、暗いだけの空を仰ぐ。
高く高く伸びたビル、小さい人間、自分。
星は黒い空に紛れて、小さくわずかな光さえ此処に届けられない。


「親子を殺したときも同じだ」


心臓が一瞬止まったような錯覚が、遠くの方で衝撃として感じた。
ゆるやかに、熱が目の周辺に集まろうとして、それを頭を振って阻止。

自分が何を思って、泣くのかわからない。
どうやったってあの人たちは帰らないのに。
俺が殺したからいなくなったのに、それはおかしいと理解してるから、泣かない。


詳細は未だに意識できる範囲内には戻らない。
ぼんやりとした概要に、少しずつアウトラインは出来てはきたけれど。

まだ認められない、受け止められないから、戻らないんだろうか。
ずきりと痛んだ頭を、手を添えることで緩和させる。


憎い、なんていつもこのことを思えば蘇って来た気持ちも、今は萎えていた。
だって、あいつのせいだ、そうやって言える相手はもうこの世にいない。
もう果たせないのだと、頭に添えた手が無意識に左肩を押さえた。

あいつはいない。


「あれを隠したのは、アリーだろう?」


思考を閉じて、アリーへと視線を戻す。
あのとき、俺に選択肢を与えたのはアリーだ。
それをどこにでもある裏の根拠だといわれても、納得は出来ない。

しかし頭は横へと振られた。
しっかりした様子で俺を射抜く目は、その瞬間だけ閉じられる。

「私以外。私は情報操作しない。お前の身近な人物がしたこと」

少しだけ眉間に力が入る。
身近だと考えた場合、そんなに人数が多いわけではない。

「私が言わなくても、向こうは恐らく勝手に動いただろうが」

ゆっくりとその時期、関わっていた人を思い浮かべた。
限られた数人を、じっくり記憶を一つ一つ。

俺のことに、動いてくれる人。
勝手に何かしら、助けてくれる人。

そう考えたときにまず浮かんだ顔は、余計なことをした友人。

「お前は見てる、殺人が失踪に変わったニュースを見てる」

ああそうか、なんて苦笑した。
あそこはそんな性格の血なのかと、ただ苦笑う。
世話を焼くのはあそこの家族全体なんだなと、幼なじみの顔を思い出した。


「お前の傍にずっと裏はあった、気付かなかっただけのこと」


ずっと。
あのことがあった頃は既に裏に入っていたということ。
実際、確かにアリーのことを知っている発言はされていた。

改めて考えることもなくて、疑問に思ったことはなかったけれど。
人を殺すといった時にされた説教の一部だって、今思えば。


一体いつから、そんな疑問。
覚えている限りで、特に大きな動きはなかったように思う。
涼はただ笑っていて、俺のことまで気にかけてくれて、いつもそうだった。

「いつからあそこは?」

いつだってあの家は、理想だった。
近くに存在する、幸せな家庭の形。

あまりにも、裏と繋がらない姿。
殺し殺され、騙し騙され、売り売られ。
そんな陰湿なイメージの裏に結べない、思えない。

「生まれるよりも前から」

慣れているからわからない。
慣れているから、感じない。
言いながら近くまできた長身が、俺を見下げた。

薄い目は何を思って、俺を選んだのだろう。
気に入ったというフレーズは今でも、残っている。
一体何がこの人に気に入られたのか、今でもわからないまま。
青い目について言われたこともあったが、特に記憶していない。


ふ、と息を吐いた。
体が疲れを思い出す。

全体が重く、頭が揺れた。
頭の中に浮かんだのは諦め。
半年前と同じくらいに、すっと消えた意志。

「行くのは、殺した所なのか」
「いや。むしろ敵対視されているところ。存在のない人間の集まり」

聞いたところで興味はなかった。
思考が働かなくなる、同じように。
停止するように動き出す、全てをやめる準備。

でもその中で、アリーの言動を頭はようやく把握した。
かみ砕いた意味で、やっと半年前と同じ意味だと気づく。


今なら涼と柊を、本当に許せるかもしれないと思った。
一応、許していたつもりだったけれど、ある程度の引っかかりがあったのも事実。
どうしたってあいつを殺したのはあの二人で、俺は殺すことが出来なかった。

変な壁を感じてしまう瞬間。
向こうの意識か、こちらの意識かはわからない。
その刹那に、どうしても思い出さずにはいられなかった。

でも、それでも、俺が俺であるうちは、ずっと許せないと思う。
完全に忘れ去るなんて出来ない、十数年縛られていたことを。


つかれた、ゆっくり目を閉じる。
アリーは俺の前にいてただ静止していた。

恐らく返事を待っている、最後まで俺に選ばせるつもりだ。
どうせこの男にとって、俺がどちらの選択をしても、困ることはない。



「じゃあ、俺は死ぬよ」



もううんざりだ。


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