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「白藍」

名前を一度呼んで、フィリスはかたりと静かに扉を閉じた。
僅かに目を動かして名前の人物を探すが、生憎すぐには見当たらない。

ため息を一つ零して、いつものソファへと部屋に足を踏み入れる。
緩やかな何者にも消されない足音が部屋の音へ入れ替わる。
時折通る車の音も今は無く、ただ静かな部屋を歩いた。

「…、?」

そうして座ろうと思っていた場所に、一つの塊。
探していた姿は、何でも無くその場に横たわっていた。

起こしてしまっただろうかとフィリスは白藍の様子をうかがう。
最近眠りが浅い彼だ、さっきの足音で起きているかもしれない。
極力物音を立てずに伺えば、案の定、青い目は細く開いていた。
しかしそれ以上に開かれることはなく、ゆっくり瞬きを繰り返す。

僅かな葛藤の後、そのまま彼の穏やかな眠りを待とうと思った。
思った所で、これからどうすればいいのか検討はついていない。

うとうとと微睡(まどろ)む姿を、今一度見下ろした。
色を抜いた髪を梳きたい気持ちがわき上がるものの、それはきっと彼を驚かせる。
そして容易く彼の意識を持ち上げて、いつものように仏頂面を浮かべさせてしまう。

意識をぼやかせた白藍には、悩む彼の存在は見えていなかった。
ただ誰かが傍に居る、ということまでは認識出来ている。
曖昧に眠り続ける頭は、追求するような思考を出さない。


夕日が差し込む部屋、赤く染まるオレンジの部屋。
寒々しい、清潔感。そんな白さを持つ空間が変化している。

暗い影は隠れつつあるけれど、そのうち姿を現すのだろう。
赤とオレンジで満ちた暖かな部屋が、黒に飲み込まれる瞬間を、彼らは無意識に拒絶した。


だから白藍は目を閉じた。再び眠りへと旅立つ。
すう、と橙色の空気が彼の肺を深く出入りし始める。
暖かな色が彼の肺を満たしては、また外へと帰った。

彼はきっと眠ったのだろうとフィリスは眺めた。
ようやく白藍の白い、今は金色にさえ見える髪へ彼が触れる。
力は出来るだけ押さえ、触れるか触れないかの優しさだけで。
穏やかな寝息を壊してしまうことだけは、絶対に避けたかった。


少し彼の髪を弄ってから、フィリスはソファの前へと回る。
出来るだけ足音を消しながら、白藍の元へと慎重に進む。

そうして正面から見えた寝顔、中途半端に夕日を浴び続ける顔。
再び頭を撫でる。これなら些細な動きでもわかるからと、何度も。

ゆっくりとゆっくりと髪の上をなぞる掌。
寝息が心地よく響いている、橙色の静寂。
2人以外には誰もいない、たまに外を車が走り抜ける音だけ。


唐突に、暖かいはずの空気がフィリスには寂しく変わる。
いきなり何かが変わったわけでもない、何も変わらない。
相変わらず此処には二人だけで、彼は穏やかに寝息を立てている。

ただの気持ちの問題なのだろうと彼は知っている。
今と理想との違いを寂しさだと、そう感じている。

彼は、頭を撫でる手を止めた。白藍は完全に寝入ってしまった。
ソファの端へと頭を預ける、眠る彼の邪魔にならない所へと。
ぼやけていく意識に抵抗もしないまま、目を閉じる。


薄れる間隔、意識だけ離れていく浮遊感。
閉じられた黒がゆっくりと他へ切り替わる。
白と黒の交差、ざりざりと砂嵐の風景、変化する視界。


「おやすみ」


失った面影が瞼の奥で揺れていた。


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