断線痕 - 回復跡


「津谷」

おはよ、なんていつも通りの挨拶。爽やかな笑顔で、爽快な挨拶。
笑った口の隙間から見える白い歯の並びは、自然な綺麗さがある。

それに半ば見とれながら、俺は毎日挨拶を返していた。
やっぱこいつかっこいいななんて感じて、でも態度には出さないように。


でも今日の俺はそれどころじゃない。
会っちゃった。ちゃんと着信拒否まで施したのに。
そういえばクラス一緒だったもんな。会わないなんて到底無理な話だった。

いやでも、そう折れそうな自分を支えた。これは良い機会かもしれない。
昨日の意思を思い出せ。昨日も弱ってたけど、ちゃんと決めたんだろう。

出来るから、言え。

「古屋、」
「ん?」

あのさ、と何でもない切り出し言葉に、やけに緊張してしまった。
その緊張が伝わったからか、相手の顔も心無しか強ばっている。

言うことに見当がついたからかもしれない。
昨日みたいに投げやりに切るのは初めてだったから。
それまで都合のいいように自分の中で噛み砕いて、波風立てないようにしていたから。


「別れよう」


元々、気なんてなかったのかもしれないけど。

苦笑いで茶化せば、少し、相手の目が伏せられた。
染められていない黒髪が、外の光で綺麗に光る。

その暗い顔の裏側は、何を思ってるんだろう。考えているんだろう。
つき合ってから、わからなかった思考を考えていたときのように、相手を観察する。

清々したってお前も思ってるかな。
そうだとしたら、…悲しいかもしれない。

「うん」

返事は詰まるような声だった。
眉がわずかに山を描いて、目線は俺の目から下へとズレた。
でも、口は緩やかに弧を描く。仕方ないという顔だった。


それから、沈黙してしまった。
何か言えばいいのだけど、何を言っていいのかがわからない。
とりあえず、意思を伝えてしまおうだけで動いた結果だった。教室なのに。

気まずい以外の何者でもない。
場所まで考えてから言えば良かったのに何してるんだろう。
こんなんだから駄目なんだ。満点の自信があったテストを凡ミスで落としたりするんだ。もうやだ。

「久しぶりに一限サボろ、な」

苦笑まじりの助け舟。別れ話は皆、耳を立てる。
皆慣れてて、ホモだゲイだと拒否する声は小さいけど、噂好きなのはどこも変わらない。
現に今も普段通りの朝に思うけれど、時折、何人かがこっちをちらちら見てきていた。

「ごめん」
「話さなきゃとは思ってた」

先生が来る前にと二人で、教室を後にする。
登校してくる何人かとおはようを言い合いながら、屋上を目指した。
昼休みだったら人がいるかもしれないけど、こんな朝に人はそういないはずだ。


立ち入り禁止と書いた張り紙ごと、外へ開いた。
ふわっと、夏の名残が残る空気の匂いが鼻に届く。
それでももう秋はすぐ傍だ。空がだんだんと高くなり始めていた。

「そろそろ長袖かな」

半袖じゃ、風が吹いたとき、少し肌寒い。
両端をフェンスで囲われた屋上を歩いた。

「移行期間にも入ったしな」

今日は、合服移行期間に入って四日目。
初日はまだまだ半袖で十分だと思っていたのに、一日一日とどんどん寒くなる。
は、と風で冷やされて出た息が白くなるのは、あとどれくらいだろう。


「津谷」


後ろを歩いていた彼が、声を出した。
振り返って、ただサボりに来ただけじゃなかったと思い出す。
暗い顔をした古屋の後ろで、始業のチャイムが鳴って響いた。


そうだ。俺たちは別れたんだ。
野次馬の目を避けるために、教室から出てサボった。

一緒に屋上へ来る必要はなかったことに、気づいてしまった。
別れた相手と同じところにきて、今から何を話せばいいのやら。
別々の場所に移動し合えば良かったのに。一方的に連れて来た俺のばーか。


「津谷の約束さ、」

でも相手には話すことがあったらしい。運動場の方を見ながら、口を開いた。
その言葉に、俺は耳を澄ませる。きっともう最後のように思ったから。

「引き受けるんだけど、どうしても友達感覚抜けなかったんだ」

つき。小さな針が心臓を突き刺した。
友達、つき合う前の形。嫌いじゃなかった関係名が、今は俺の心臓を抉る。

「ゲイの友達いるけど、そいつら、傍目で見ても友達と変わんないし。
 断ったら、どうしても気まずくなるだろ。お前とそうなんのは、嫌で、」

そんなに真面目に見てなかったんだ、本音。

言葉にずきずき痛む胸を、ぐっと押さえつける。
ぎりぎり締め上げられているような気分だった。

やっぱり、初めから叶わない恋だったんだ。


申し訳なさそうな顔は俺を見る。
弱々しく顔を歪めて、俺のことに罪悪感を感じて、心の内を話す。

違うんだ、おまえはきっと悪くないよ。
ごめんな、俺が好きになったから。俺が微妙な関係に引き込んだから。

ゲイに理解があったからって、俺が調子に乗って告白なんてしちゃったんだ。
本当は言わずに、ずっと抱えるべきものだった。悩ますつもりは無かった。
もっと早く、俺から言ってやればよかった。


「約束、ちゃんと行こうって思ってたんだ」


でも、告白受けたってことはデートって考えた。
女の子じゃない相手とか初めてだった。
どうすればいいのかわからなかった。

絞り出される言葉に苦笑を漏らす。
知ってるよ、今までつき合ってた子がどんな子だったかまでも。
お前が嬉しそうに話してたのを、ちゃんと俺は聞いていたから。
心臓が何かの病気じゃないかってくらい痛くなりながら聞いたから、知ってた。


その傍ら、独白を聞いているうちに、自分が情けなくなった。
男に対して不安があったことに、気づけたはずだったのにな。俺は。
今まで同性とつき合ったことがないなら、戸惑って当然のはずなのに。
何か有れば言うだろうなんて甘えていた。今までの感覚だったのは、俺もだ。

「津谷が友達だって気分が抜けなかった。
 だけどこの気持ちでそのまま行ったら、失礼になんじゃないかって、…動けなくて」

結局、全部すっぽかした。ごめん。
腰から折られたお辞儀。謝罪の気持ちがひしひし伝わってくるような。
言われた言葉がじくじくしながらも、少しずつ俺の中にしみ込んでいく。

「告白のとき、しっかり伝えられなくてごめん」

伝えたのは、夏だった。まだ蝉がうるさい教室で。
授業開始早々、日直だった俺と付き合いで残ってくれた古屋だけだった日に。

告白する前の俺に伝えられたらいいのに。
そのままが、お互いに良い形だったんだよ。
一歩を踏み出す必要はなかった。


「俺は、お前のこと友達にしか見れないよ」


言わないでもわかる。言いたいことを言える。
その関係に何の不服もないだろ?
今の俺なら、夏の自分に笑って言ってやれる。

「うん」

帰ってきた言葉が、その言葉で良かった。
昨日まで怒ってて、夜にはぶん殴ってやろうかまで考えた。

変だなあと笑った。古屋が何が、と目を丸くする。
朝に別れよっていって、今、完全に別れたんだろう。
自分からとは言っても、失恋に変わりない終わりだ。


「ありがとう」


こいつを好きになってよかった。
完全に、終わったんだなあと心が落ち着く。これで良かったんだ。

風が秋をのせて、夏は、終わる。


prev novelsnext

PAGE TOP