本編 第一章第三話 読了後推奨。
時間軸的には、第四話の少し手前頃です。

SiGNaL > 帰省



近くの水道でペットボトルへ注いだ冷たい水を、綺麗な灰色の石へゆっくりと注ぐ。
横山家、と大きく掘られた白い文字を透明な水がなぞり、砂利の中へと落ちていく。

ペットボトルの半分程度になった所くらいで、水をかけることをやめた。
一旦、一リットルの大きなペットボトルを地面へと置いて、持って来ていた新聞紙を探す。

見た所、墓石に大した汚れはなく、ただ一点、烏の糞がついているくらいだ。
いつだって墓石は綺麗で、元々汚れづらいのか、もしかしたら誰かが掃除しているのかは知らない。
でも、自分が次にいつ来るのかがわからないから、今のうちに出来るだけ綺麗にしておきたかった。
取り出した新聞紙数枚を、二、三回折り畳んで持ちやすく、墓石を吹くのに丁度良い大きさに整える。


横山の親戚は見たことはないし、実際に居るのかも知らない。
横山の実家に行ったことはない、どこにあるのかすら知らない。
昔、正月や夏休みにいつも行っていたのは母さんの実家である立花の方だけだ。

今では、きっと母さんは気を使ってくれていたのだろうと思う。
誰の目に見ても明らかなあの空間を、母さんはより近くで見ていたから。
庇ってくれることと同じように、きっと俺を守ろうとしてくれていた。


お墓だって本当は、もしかしたら立花の方が良かったんじゃないかって思う。
横山はあいつの姓だ、あいつだって普通に死んでいればきっと此処に入った。
あんな父親と死んでまでも一緒になるのは、気が休まらないだろうと思っていた。

そんな不安も、もう杞憂に終わってしまったけれど。


ざり。
不意に聞こえた後ろの足音に、墓石を吹くことを一旦止める。

「柊、」

振り返れば、左手に白い菊の花としきびを持った柊の姿。
まっすぐに俺を見た柊は、少し柔らかく笑って小さく右手を上げた。

しっとりと水気を吸って湿り気を持っていた新聞紙を、ゴミ袋に放り込む。
余っていた水で自分の手を簡単に洗い流して、柊のところまで歩く。


「掃除中だった?」


がじゃり。
柊が玉砂利を一歩、踏みしめて近い位置に来る。
少し見渡すような動作を取ってから、柊の視線は俺に固定される。

「最近、来れなかったから」

殺し屋の仕事のことも定期テストもあって、来れる状況ではなかった。
ずいぶん、来ていなかったと自分では思う。
普通がどのペースかは知らないけれど。


なのに、と思考は柊から意識を離す。
そして母さんや横山の先祖が入った墓に、見入る。

備えられた花としきび。
まだ差し替えていないしきびは葉を散らしておらず、若干しおれている程度。
緑のなかで目立つ白い菊も、まだ変えずとも大丈夫なように見えるくらいのもの。


いつだってこの光景は変わらない。
一人暮らしを始めて、自立して、母さんの墓に一人で来るようになった頃から。
ずっとしきびはどこかしらに青さを残したものだったし、菊の無惨な姿はまだ見たことがない。

菊やしきびが、どのくらい保つのかは知らない。
けれど二ヶ月三ヶ月、長いときは半年間も、元気だとは思えなかった。

やはり、誰かが此処へ定期的に、俺よりも頻繁に墓参りに来ているんだろうか。
その対象は母さんだとは限らない、此処には俺からすれば祖母や祖父も恐らくいるのだ。


俺の知らない親戚が来ているのだろう、で、思考を止めた。
たまたまタイミングが合わずに会ったことがないだけだろう。
特別、注目するような部分もない。

横山のことなんて、俺には関係ない。


「海」


すぐ隣からかかった声。
今まで横山へ流れていた意識を柊へと切り替えた。
同時に気の所為か、さっきまでの位置よりも近づいているような感覚。

「これ、供えてもらって良いかな?」

差し出されたのは、左手に持たれていた菊としきび。
意味がわからずに、数秒、柊を見つめてしまう。

この中の一、二本を差し出してくれるならまだしも、どうして全て。
柊は別の人の元へ、墓参りをしに来たのではなかったんだろうか。
母さんに供えてくれるのは嬉しいけれど、全ては受け取れない。
誰かを思ったものを受け取るわけにもいかないと思った。

「あ、…えと、」

けれど言ってくれたのは好意。
どう返せば良いのか、いざ声を出せばつまる言葉。
まだ少しだけひっかかる、奥底の心がそれを余計につまらせるような気分。


「咲さんに持って来たものだから、全部供えて欲しい」


戸惑っていたオレにかけられた言葉に含まれた、母さんの名前。
知っていたのかと思うと同時に、そうだよなと納得する。

柊にとってみれば、俺の母さんはおばさんに当たる人だ。
きっと俺を覚えていた柊であれば、母さんも、覚えているんだろうか。
自分の記憶に浮かび上がらせた母親を、ゆっくりと静かに底へ沈めた。


ありがとう、と簡単に礼を告げて、改めて差し出されたそれらを受け取る。
透明なビニールで、ある程度丁寧に包まれたそれらを地面において解く。
同時に、自分が持って来ていた分も解いて、柊のものと合わせて一方を空けた。

筒に水入れ替えていくね、と柊からの声。
置いていたペットボトルの場所を伝えて、水のことは頼むことにした。

それよりも水を入れてもらう為には一旦、今入っているしきびを除けなければいけない。
そう思って取ろうとすれば、やんわりと柊が俺を止める。
どうやらそれもやってくれるらしい、正直、少し助かった。


柊がしきびや菊を退けて、水を入れ替えてくれているうちに、自分と柊の分とを見やる。
横山のお墓は家墓と個人墓の二つだ、何となくいつも通りの適当な四等分でいいか。
一応多少のバランスを考えながら、新しい水が入れられた筒へと一つ一つを供える。

全てが供え終わって、柊は供えられていたしきびたちを簡単にひとまとめにしてくれた。
買って来た少しの和菓子を供えて、ひとまず手を叩いて準備の終わりを実感する。


しゃがみこんで、ゆっくりと手を合わす。
隣で、じゃり、と玉砂利が踏まれる音がして、音は止んだ。

最近の体の状態、学校のこと、友達のこと、…父さんのこと。
頭の中で、母さんに起こったことを一つずつ報告をしていく。
最後に、一つだけ、今までの報告とは別に謝罪を告げて、立ち上がる。

「海、」
「ん?」

ごめんね。
合わされた手の平の奥の言葉。

こちらからは、座って墓に手を合わせている柊の表情は見えない。
何のことだ、なんて、わざわざ聞くようなことは出来なかった。
いつのことかわかりきった答えなんて、聞く必要がない。

謝らなくてごめん。
きっとそんな所なんだと思った。
柊は謝らないと言ったから、そうだと信じた。


「次は、一緒に来ようね」


立ち上がった柊の顔は、いつも通りに柔らかく笑う。
だから俺は何の謝罪かなんて知らないフリをして、頷いた。


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