本編 第一章第四話 読了後推奨。

SiGNaL > last phrase



「なぁ、海」

涼が後ろ姿に声をかける。
鞄の中に教科書を詰めながら、無言で海はそれを聞く。
その姿を一度見て、涼は自分の手元に視線を戻した。

「お前、高校どうする?」

ただ会話をする為の話題だった、涼にとっては。
今まで同じように表世界と裏世界を両立するのかという問い。

世間話のようなものだった、否、世間話にするつもりだった。
ここからゆっくりまた距離を縮めていくための、その程度のもの。


しかし海にとってはそうでなかった。
海は、小さく窓際に座る涼を見る。

「何で」

はっきりと海が問い返す。
涼の聞いた答えは返されない。
それに涼は少しだけ戸惑った。

「いや、気になってよ」

そうか、と言って海は黙った。
涼はそこから続く言葉を待つが、海はそれ以上空気を震わせない。
答えないことに気づくと、少しだけ不愉快そうに眉を寄せて後ろ姿に目を向けた。

「海、」

後ろ姿を睨みながら咎めるように涼は呼ぶ。
だが、海は気にした様子もなくただ鞄に目を落としていたままだった。
それを涼に動かす様子も仕草もない、静かに静かにたたずみ、手を止めていた。

「聞いてんのかよ」
「聞いてる」

即座に返った返事。
ぼんやりとしているわけではないらしいと、息を吐いた。
あえてのこと、そう判断して涼は後ろ姿を睨みつけていた目を窓の外へ向ける。
その際のわずかな布の擦れた音に、鞄を見つめていた目は少しだけずらされて後ろを盗み見た。


「よっこちゃーん」


場に似合わない声と音が、教室に響く。
その声を聞き取ると同時に、海は顔を上げた。
視線の先は赤混じりの茶色の髪、なつっこい笑顔があった。

「小田、ちゃん付けするなよ」

少しだけ笑いながら、海は小田に向かう。
視線は少しだけ俯いていた、小田はそれに気づかない。
ただいつも通りだと思っている脳は、異変を感じ取らない。


そうして歩き出した足は教室の外へと向く。
手には先ほどまで意味も無く見つめていた鞄。

涼はその様子を横目で見ていた。
ゆっくりと、誰にも気づかれないほどゆっくり、息ともため息とも取れないものを吐き出していく。
確かに吐き出しているはずなのに、吐き出したはずのものが喉の奥へ絡み付くような気持ち悪さも同時に感じていた。

「あれ、委員長?」
「へーい、委員長でーす」

小田の独り言のような問いに、涼はすぐさま陽気な声を出す。
けれどその顔を小田へ向けることはなく、かといって出て行く海へ向けるわけでもない。
ただ視線を落として一心に、喉の奥に籠ったままの気持ち悪さを消化しようとしていた。

海はそれを疑問に思うことなく、ただ小田の後ろから教室を抜ける。
海には、教室内がとても息苦しく居心地が悪いように感じられた。
涼ほどではないにしろ、気分の悪さは海にも存在している。

そのまま呼び止めるような小田の声に答えず、玄関へと足を進めた。
早く彼は、この静まりを抜け出してしまいたかった。


「…まずった?」


少しだけ口を引きつらせながら、恐る恐ると言った様子で窓際に座り続けている涼に小田が聞く。
自分が入ってはいけない空気の中に入ってきたのではないかと心配しての問いだった。
明らかに平素とは違う二人の様子は、自分の所為だったんだろうか。

そこでやっと涼は顔を上げて、小田を見る。
涼が顔を上げる瞬間、小田は少しだけ怯えるようにびくりと跳ねた。

「んなわけじゃねーよ。ちとオレがまずっただけー」

はは、と涼が口を開けて笑う。
笑っている涼を見て安心した小田は、そっか、と呟いて知らずに入っていた肩の力を抜いた。
小田は涼の本気で怒る姿を知らないが、先ほどの彼は何となくそれに近いように小田には見えていた。

けれどいつも通りの笑う様を見て、それは間違いだったと確信する。
彼はこんなにもいつも通りで、怒っていたようには到底思えない。
本気でならばこんなに早く怒りが静まらないだろうとも、彼は思った。


その笑っている最中、涼は口の中がからからとしているのを感じていた。
喉の奥の気持ち悪さといい、口の乾きといい、何処かがおかしいと感じた。
どうも体調がおかしい、と全てを体調の所為にしてその何もかもを奥底に閉じ込める。

「でもさ、」

そんな涼に気づかないまま、小田が口を開く。



「高橋も人傷つけることあんのな」



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