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朝の夢 - 夜の夢


ぼんやりと視界の中に見慣れた人が映るまでは何も思わない。
いつも通りの教室、朝の寒々しさを纏った空気が満たすそこに居る。
黒板には書きかけの英語、何と書いているのか読めるはずなのに意味を理解することが出来ない。

がらりという音もさせずに教室の扉が開いた、視線がそこへと映る。

「あれ、」

その人を認識した瞬間にどうしてだろうか、ただオレは驚いた。
理由は浮かばない、どうでもいいとそれは流れる(触れないように奥へ奥へ)。

「一人なのか?」

気づけば近くに居た。
質問に肯定を返せば、そっか、と相手は特に興味もなく自分の席へ移動する。

つまらないと思いつつも、それを気にせずに手元を見る。
すぐに感じる違和感をくだらないとかき消した(拭えない違和感はまた奥へと沈めて)。

「いつもこんなに早いっけ?」

会話が途絶えることを避けるように、相手が口を開く。
ぼんやりとしたままその相手へ顔を向けた、顔はよく見えない。
顔は見えないのに、どうしてかその人物が誰かであることはわかっていた(ただその人物がそこにいると思い込んでいた)。

「今日は特別、いつもはこんなに早く来ねーよ」

恐らくオレは笑ったんだろう、相手もオレの言葉に同意を示して少しだけ笑ったような気がした。

何色かの目が僅かに細まる。
何色だっただろう、見ているはずなのに色を頭が認識しない。
どうしてこんなに意識が朧げなのか、まだオレは理解しなかった(理解するなと誰かが言う)。

「お前は何ではえーの?」

口にすると同時に聞かなければ良かったと後悔が襲った。
別段、相手の顔を見てそう思ったわけではない。
漠然とどうして言ってしまったんだと何処かでそう思っていた。

一列を挟んだ向こう側でオレの声を聞いて、顔を上げられる。
しかし表情は読み取れない、確かにオレは今それを見ているはずなのにと思うけれど、わからない。

「宿題」

そう言われてそいつが出したものは英語の書かれたワークノート。
見た限りでは、あまり使い込まれたような感じもしない、まっすぐな冊子。
僅かな皺や傷は反射によって見えたけれど、開き皺はあまりにも少なかった。

何処かでそれにオレは安堵する、まるでオレは二人いた。
オレは一人のはずなのに、まるで今のオレは傍観者であった。
もう一人のオレが全て言葉を発しながら、一喜一憂する。

「やってなかったのかよ」
「忘れてたんだよ」

ぶっきらぼうな返事、懐かしいと感じた。
どうして懐かしいと思うのか理解出来ない。
今はこんなやり取りはいつものことだ、昔とは違う。

「海」

何だよ、と相手が不機嫌そうに返す。
海はオレが名前を呼んだから返事をした。
どうして呼んだんだオレは、意味のわからない混乱に襲われる。
そんな葛藤を知らずに、青色がやっとオレを見た。

「数学、見せてやろうか?」
「ほんとか!?」

嬉しそうな表情で海がオレを見る、期待の眼差し。
きらきらとどこからか漏れた光が、海の目の青をより輝かせる。

何故かオレには、終わらせていない宿題には数学もあると知っていた。
それをオレはもう終わらせている(やった記憶もないそれをオレは当然のように知っていた)。
自分の見慣れた鞄からプリントを一枚出す、海がいつの間にか近くにいてそれをオレの手から受け取った。

「ありがとう」

そういって笑った、隠れる青色、オレもつられて笑う。

本当にそれは酷く不思議な気分だった、どっちつかずな感情。
嬉しいと確かに感じているはずなのに、もう一方で酷く虚しい気持ちがこみ上げている。
今、此処には虚しいと感じる要素は何も無いのに(しかし全てに気づいてしまえばオレは理解するのだろう、その寂しさを)。

「今度何かして返すから!」

そう言って至極嬉しそうに、海は机に戻った。
どことなく早歩きで戻っていく様子が、焦りを感じさせる。
いつだって週明けはこんなものだと、やはり何処かは懐かしんだ(だって今はもう)。



視界を意識すると目の前にはさっきよりも明るい手元。
下げていた頭を上げる、何事もなくいる海と柊と拓巳。
ぼやけた頭のままで、じっと食べながら話している三人を見る。
話し声が耳を素通りする、ぼんやりぼんやり、そこを眺めてみた。

「何?」

安定したテノールが耳に届く。
具合でも悪いの気持ち悪い、続けざまに言われる罵倒にはもう慣れた。

何でも無い旨を伝えると簡素な返事だけ、もう海の方へと向き直っていた。
従兄弟馬鹿だとは常日頃から思っているが、ここまでになると馬鹿では済まなさそうだ。


思わず出てしまったため息に、拓が苦笑う。
目を閉じていたって浮かぶ、あの申し訳無さそうな笑顔。
全く悪くないことにまで罪悪感を感じる拓に、背負っている責任を感じた。

此処に来た理由も、家庭環境も、全て聞いたわけでなく調べた結果。
随分と卑怯な方法だという自覚を促され、改めて思い出させられた。
だけれど、地雷を知らずに踏んでしまうよりも、位置を知ってそれを避ける方が両者にとっても良いはずだ。


かり、と固く焼かれたフランスパンを齧る。
どことなくいつも変わらない種類だということには、疑問を持たない。
どうせ気分で選んでいるもの、いつもの菓子パンとまた違う味でもいい。

がりがりと歯を立てれば、がりがりと外側の固い層が徐々に剥がれる。
固さが特徴なのだから仕方ないと思いつつも、噛みちぎるのも億劫で歯を立てるだけ。
味は感じない。


「変なもんでも食べたのか?」


いつの間にか柊の座っていた位置に、海が居た(オレが望んだから)。
心配の言葉だということはすぐにわかる、なのにすっ飛ばした言葉は変だ。

簡単な返事だけに納めて、わざと心配を煽るように振る舞う。
求めた通りに顔を歪める海はさっきよりも心配げにオレを見た。
いつの間にか窓も机も白く背景は変わる、海の青い目だけが酷く目立つ(誰もいない、ただ一人の人)。

「りょう、」

伸ばされた手がオレの顔に、あと、もう少し。


「!」


携帯から音が鳴った。
最近気に入っている曲が部屋に流れ、耳に届く。

布団から手を出して手探りで探す、横に少し動かせばすぐにそれはあった。
携帯の横のボタンを一つ押す、携帯は一瞬で静まり返る。

もそりと動いて布団から起き上がる。
ふわりと顔へと触れる風に窓を見れば、外は朝を迎えようとしていた。


「……」


此処に満ちる空気は夢と同じように、冷たいのに、な。


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