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第三章第一話 揺れ動く今を



「しろ」

揺られて不快感、心地よさが遠ざかる。
目を開けば周りが白く見える、光が眩しい。
次に目に入る大量の字、ぼんやりと眺めれば灰色にさえ見える書類。
それに思わずもう一度目を閉じて眠りに入る用意、早く寝てしまおう。

「上司の前でサボんなボケ」

がこ、と椅子を蹴られる、その振動で積んでいた書類がばさりと机の上に倒れ込んでくる。
顔に角が当たってちくちくと痛んだ。

「何すんですか」
「仕事しなさい。ワーク、仕事。どぅゆーあんだすたん?」

わかってますと告げれば満足そうに目が細められた。
なだれ込んで来た書類を、とりあえず元のように積み上げる。
紙の量に少しばかりやる気を削がれるけれど、仕方が無い。


「良い夢でも見てたのか」


投げかけられた質問。
散らばった紙を大雑把に取って整えるその一方で夢を思い出す、記憶を起こす。
寝ていた間のことを思い出そうとするが、最後の記憶は机だった。

「見てない。熟睡です」
「なんだ、昨日寝てねえのか?」

肯定の返事を返しながら、紙を積み上げる動作を繰り返す。
少ししか見えていなかった机が、少しずつ面積を広げる。

「あんたが寝させなかったんじゃないですか」

よくよく思い返さずとも、今の寝不足の原因はこの人だ。
それでよくぬけぬけと質問出来るものだと感心、正確には嫌味を心の中で思う。
けれど自分の中だけで消化してしまうのも癪で、結果口に出した。

「訓練だから仕方ない」

そう言って可笑しそうに笑う。
どこが、そうぽつりと呟けば正確に聞き取った上司は更に笑った。
そもそもあんなもの、訓練にしては雑過ぎる。意味がわからない。

「1対3なんて無茶な」
「訓練には実戦が一番」

上達したろ、と相手はいつの間にか出した銃を回している。
からから笑う様が、とても恨めしく思えた。出来ない自分がいけないとわかっていても。

日を空けていた訓練で、しかも実戦。
まだ感覚もろくに思い出せていない状態で、多人数相手の実戦。
馬鹿げてるなんて、昨日はただ必死に逃げたことを覚えている。
訓練中は使用禁止とされた刀が、あれほど恋しくなった瞬間もなかった。

「あそこで俺がやられたら、どうする気だったんですか?」

ふと、いつの間にか片付けをやめていた手をまた動かす。
机の上は大体片付いて来た、残りは床に落ちた分だけ。
椅子から降りる。その際に椅子がぎしりと音を立てた。

「その程度ならいらん。浅瀬に返したさ」

返れるかどうかは、また別の問題だろうが。
全て知った口が歪んで、俺に笑いかけた。
下の分を拾い終わった自分には見えていたが、反応は返さない。

浅瀬。表の奥、裏より浅い、表と裏を共有出来る場所。
おかしな感傷に浸る。関係無い場所であり、そして統制する場所に対して。
浅瀬にいる何人が俺たちを認識しているのか。わかりきった疑問が浮かんで消えた。
大きな団体様であれば知っているかもしれないが、個人は限りなく零に近いんだろう。

拾い集めた書類の上司分を今のうちに戻そうかと、上司の机の方向へ視線を動かした。
そして先ほどまで玩(もてあそ)ばれていた銃口が、俺へ向いていた。


「ただの仮定だ、お前さんには関係無い」


そういって銃は降ろされ、恐らく腰のホルスターの中へと仕舞われた。
それを確認してから、詰まった息を戻すために一度ゆっくり息を吐く。

結局、わけて取った分は元の束に戻した。
それだけで変にやりきった気分に襲われる。
仕事が終わったときのような場違いな達成感。

今日はもういいかとおかしな妥協を自分へ提案した。
管理も適当なんだからと理由付け。

「満足してないで手をつける」

ブラインドのかかった大きな窓の場所へ腰掛けて、何もしていない上司に偉そうに釘を刺された。

紙束の半分はその人の分であるのにどうして俺が。
理不尽な扱いは、この支部に来て3年経っても変わる様子は無い。

は、と漏れた欠伸を噛み殺して、適当に机の上に並べたファイルを取った。
格式張った堅い文章を書くのも読むのも大分慣れたものの、苦手だった。言い回しがどうにもめんどくさい。


「そういやリスは?」


一瞬迷う名前。リスと聞くと、真っ先に浮かぶのは小動物だ。
違っていることも、指している人物もすぐに頭は思いつく。
けれど、その呼び名では毎回両方が頭にちらついた。

「ああ、」

とりあえず彼の行動を思い出す。
何処かに行くと言っていた気がするが、何処だったか。
確かに俺は行き先を聞いて、見送りまでしたはずなのに。

「そろそろ帰ってくると思いますよ」

結局思い出せずに、適当に誤摩化した。
今は書類に必要な資料を、ファイルの中から見つけないと。
さっさと終わらせてしまいたかった。この調子じゃ、いつまでも終わらない。

適当にボールペンでなぞりながら、文字の羅列を読む。
提出された紙に書かれているのはただの報告と事実。何処かでした誰かの成果。
毎日読んでいると内容が全て同じに思えて、実際どこで何をが違うくらいで、目元を押さえる。

そのとき後ろで音が鳴った、扉の音。


「ただいま、白藍(はくあい)」


振り向き様に鼻を打つ、案外近くに居たらしい。
ごめん、とすぐにフィリスは距離を置いてくれた。
変に心配させてしまう前に、大丈夫だと告げておく。心配した彼はしつこい。

「おかえり」

帰還の声に短く返して、机に積んでいた紙束の一部を手渡す。
一瞬だけ視線が俺からズレて、小さなため息が吐き出された。

「一人でやってたの?」

受け取りつつの質問。寝ていたことは黙って、頷いておいた。
寝ていたからといって、上司がしていなかったことに変わりはない。

それを見て、そっかと苦くフィリスは笑って俺の頭を撫でた。
彼は変に自然な流れを作るのが上手い。いつも後になって恥を感じるのに、その時は何も言えない。

「お、リスー、頼んでたおつか、」
「だから」

上司の声を遮った言葉と一変する空気。笑顔のままの変化。
フィリスが上司の方へと向き直って、詰めていた息を密かに吐き出す。
わかっているだろうに、どうしてこう上司はからかうのだろうと呆れが出る。

「リスでなく、フィリスです」

ダンともバキとも言えない一瞬間の音。無論フィリスと上司の方向から。
修理費はいくらだろうと大まかな予想を立てつつ、少し視線を動かして机の損傷を確かめる。

上司の定位置である木製の机に見事な亀裂が出来ていた。
刺さっているのは、フィリスの愛用だろう短刀だった。今日は割と深く刺さっている。

あの机の色艶は気に入っていたのになあ。そう、いつもと同じように惜しむ。
彼が否定したいのは小動物の名前であるからだろうかと憶測を飛ばして、書類へ再び目を落とした。

「もういっそ、病院ではなく葬儀屋を紹介しましょうか?」

彼がとても優しく提案する声と、上司のただ可笑しそうに笑う声。
平和だなあなんて場違いも良いところな感想を抱く。対称的もいいところだ。

そうして集中出来ない書類から目を離した。
今の変に穏やかな光景に、ぼんやりと懐古の念が浮かぶ。朧に流れていく思考。


「フィリス」


ふと、名前を呼んでみた。
すると物凄い勢いで振り向かれてしまった。思わず呼んだ自分が驚いたほど。

もう怒っているわけでもなさそうな表情がじっと俺を見る。
恐らく、名前を呼んだ理由を待っているんだろうが、大した理由はない。


何となく口から出ただけだった。
その所為で、俺の言葉を待つ彼にどう声をかけたらいいかがわからない。
言うにしても、呼びたくなっただなんて言うのも気が引ける。

しかしこうやって戸惑っているうちに、彼は机から短刀を抜いて俺の方まで来た。

「どうかした?」

さっきまでの怒りはどこへやら、普段通りの彼が俺へ問う。
切り替えの早さを凄いと思う傍ら、何となく笑えてしまった。
白藍? 、彼が珍しく目を瞬(しばたた)かせながら俺を呼ぶ。


「何でもない」


そう返せば、彼はなんだよと言いながら、俺の白い髪をくしゃりと混ぜた。


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