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「当たってねーけど?」



結局、ユロは目の前に立った。

焦りながら撃った弾は、服をかすり様に焦がしただけだった。
故意にずらした喉にはもちろん、急ぎ狙った腕にも当たっていない。

ユロの言う通り、俺は相手を撃てないまま、此処に居た。


奥にあった事実に、項垂れた。
降ろした銃口を、持ち上げることは出来ない。

この距離であれば、どこであれ外さない。
此処で足を撃つなり、腕を撃つなりすれば相手は退くかもしれない。

たくさんの可能性は浮かんでいる。
けれど今から撃つことなんて、出来るはずが無かった。


撃てない。傷つけることが出来ない。
銃口を向けることすら、今はしたくない。
ユロの、怪我で終わらない場所を撃ちたくなかった。
心臓も頭も、もし何かしらの対策が取られていたとしても。

だって俺はまだ。


冬の寒い空気が、興奮から冷めた体を冷やした。
冷気に晒された皮膚が、冬の寒さに悲鳴を上げる。
堅く閉じていた胸の奥に、入り込む感情。


「戻ってこい」


ユロの言葉が、全身へ溶けた。

「戻ってこいよ、海」

深々とした空気が、気管を通って俺の体に染み通る。
マフラーの中で吐いた息が、また白く空気へ混じる。

目を閉じて逃げたかった。
まだ決まっていないと逃げてしまいたかった。


いつか言われるのだろうと、覚悟はしていた。
上司に言われた通り、彼らが動いているならいつか俺の前に来る。
だから何度も、そうなってしまった時のことを考えた。
どうするのか、どう答えるのか。自分の決断を探した。

何も言葉は出てこない。
視線は降りたまま、相手の足下をさまよう。
いつも、どうしたいのかの正体が掴めない。


布ずれの音がした。
伸びた指先が見える。

「さわるな」

ただでさえ弱い声は、マフラーにこもってより弱くなる。
弱々しい響きしかないそれは、相手を止める力も持たない。

寒さの所為でなく、口端が震えた。
本音が建前の言葉を閉ざそうとする。
自分もわかっていない本音が、建前を崩していく。


決意はぼろぼろに砕けていた。
二の舞どころか、この間よりもずっと今日は酷い。

駄目だった。
何度関わったって、酷くならない自信ももうなかった。


「海」


さわるなと言った声はやはり届かず、男の手は俺に届く。

両手で顔を掴まれて、無理矢理向き合った。目が合わせられる。
まっすぐ見る目を、この距離で見るのは久しいと感じた。


「帰ろう」


どこへ。

回された腕が、反対側の肩をつかむ。
相手の肩が喉元にあたって、銃を握りしめた手の片方は離れた。
だらりと力なく揺れて、俺よりもいまだに高い身長を肩の位置に感じた。


上司はシグナルを抜けるのを止めないと言った。
ユロはいない男の名前を呼んで、俺に戻ろうと言う。

だからって、どうにも出来ない。
自分は何もかも捨てた。何もない。
それが今更、どこへ戻れる。どこへ帰れる。

元に戻れるわけじゃない。
昔に、あの時間に、あの四人には戻れない。


泣きそうだとおもった。


「ユロ」


意識を引き上げたのは、傍を離れていたフィリスの声だった。

「そこまでだよ」

肩を離されて、押し付けられていた体は楽になる。
苦い顔をしたまま、ユロはフィリスを見ていた。

つられるように、伺い見たフィリスの顔は、酷く厳しい。
その目が向いている先は俺を通り抜けているが、それでも十分だ。
つり上がった眉がいつもの柔和な印象をかき消して、彼の怒りを伝える。


そういえば、と、目の前の状況から思考は逃げた。
こうして注意するような怒りしか滅多に表さない彼が、感情で怒った時のことは今でも覚えている。
白藍として彼に初めて会った日だったから、余計に強く記憶へ残っていた。

敵に回したくないと強く思った。五感全てで恐怖を作られた。
一つ一つ出されてきた言葉は穏やかな口調でも、喉を締める。

戦い方に関してもそうだ。
敵うわけがない。訓練を受けた後でなお、そう思い知った。
険しさのない無表情が淡々と声を吐いて、先を見た行動を取る。
そうしてじわじわと、じっくりと、逃げ道を潰すように彼は動く。

あのときと比べると、今の彼はまだそこまで怖くない。
未だ変わらずに、厳しい顔を作ったままの彼を見た。

感情で怒る彼を記憶の中の人と同一人物だと、すぐには頭が納得しなかった。
荒げられていない冷たい声の方が、怖かった。
知るべきだとなじった彼も、少し感情まじりだが、あれでもまだ彼は抑えていた。


なんとか思い出すにつれて、落ち着きを思い出す。
その心で、ゆっくりと、もう一度状況を見直した。
不安定だ、なんて、フィリスのことを言える立場じゃない。その自嘲は飲み込んだ。


俺の傍を動かないユロに対して、もう一度フィリスは声を荒げた。
それに対して焦ったように、踏みしめられた石の音。

そして動いた腕。
掴まれるのを避けるために、と最低限で避けた。
けれど構わずにその先まで追って来た手は、強引に左手へ触れる。


「また会いたい」


角のある何かを無理矢理手のひらに渡されて、また握り拳に戻された。
その動作に何故か酷く呆然としてしまって、見るだけになってしまう。
何をと問う声も出せなくて、ただただ相手の顔を見上げた。

「拓巳もいるから」

よにんで。

一歩後ろに下がったユロが、俺に笑う。
音にはならなくても、最後はそう、口が動いたような気がした。


そのまま走り去る姿を見送った。
握り込まされた左手を開くと、畳まれた紙メモ。
うっすらとアルファベットが透けて見えている。

開くことなく、もう一度握り込んだ。
ぐしゃりと形が歪むのを、手のひらに感じた。

「見ないの?」

横に並んだフィリスが、左手を覆う。
中に書いてあるものに、大体の予想はついている。
言われた内容からしても、ユロの連絡先なんだろう。

見た時の想像がつかなかった。自分の。
俺がこれを見て、それをどう処理するのか。どう噛み砕くのか。
どういう判断をしてしまうのかがわからない。故に、握りつぶす。


「白藍は、何が怖い?」


怖くない。
問われて咄嗟に、首を横に振った。

彼の冷えた手が、左手を開けようと力を込める。
抵抗しないままにすんなり開かせれば、ぐしゃぐしゃになった紙が道へと落ちた。


黒いアスファルトの上、白い紙が妙に浮いて見えた。
風が拭けばゆらゆら、転がろうとする。

それをフィリスが拾い上げる。
そして何の戸惑いも無く、その用紙を広げた。

「本当に白藍はなくしたがってるんじゃないかって、少しだけ思ってた」

その紙の皺を伸ばす彼の動作は優しい。
ゆっくり、まっすぐに紙を直していく。
ぐしゃぐしゃになった形は、だんだんと元通りに形を戻す。


「でも、違うね」


ぴたりと、動作が止まった。指は紙を支える形で、静止した。
紙が十分に伸ばされて、もう折り跡は緩やかな凹凸しか描いてないことは、滲んだ中でも見て取れる。

「本当にそうなら、そんな顔しない。泣いたり、君はしない」

滲んでいた涙は、一滴だけ滑り落ちた。
戻りたい気持ちは、どうやら今まで悟られていなかったらしい。
そうでなければいけなかった中で、一応は、上手く出来ていたのかと安堵した。


自分すら、逃げていた気持ちだった。
時間が経つにつれて、自覚はしていた。
けれど、到底、出来るものじゃない。

過去の誰もいないし、関わりもない。
その中でなら、切り離すことは簡単に出来た。
忘れられなくとも表面に出すことをなくせば、意識しなければ。

自分の選んだ結果なら、仕方ない。
そう整頓をつけてしまうだけで良かった。


克服の方法が、まるで昔と同じだった。逃げて、忘れて、強がるだけ。
そんな方法で無かったことにしたから、会ってしまえば揺らぐ。
面と向かって何かをしたわけじゃない。

それでは弱い。


変わっていない。殺したとしても、結局はそのまま。
呼び名が違う、形が違う。でも、中身は同じままだった。


「もどりたいんだ」


外側が違ってしまってもなお、俺は横山 海でしかなかった。
そして、横山 海に戻りたいと今も、思っている。


はい、と彼から差し出された、紙。
綺麗な筆跡で、メールアドレスと電話番号が書かれていた。
紙に手が届く手前、ぐるぐるした思考に受け取ろうとした体が止まる。

連絡を入れるということは。
それとなく今まで言われてきたことを思い出す。
裏切りと見なせば、事実がどうであれ関係ない。

恐らく、その先は。


でも、と期待が浮かぶ。
抜けることを止めないと上司は言った。ユロたちの話の後で。

抜けてしまえば、裏切りも何も関係はしないんだろうか。
自分がしてきた中では、抜けた人間に対して何かをすることは、確かになかった。

けれど、本当にそれでいいのか自信が持てない。
もしもが怖い。起こってしまった、その場合が。
どこまでも臆病だった。


そして手を引っ込める。
もしもがあれば、俺一人で済まない。それは嫌だ。
だから、

「大丈夫」

紙は彼によって渡された。
届かなかった手は今、紙に触れている。


「どんな結末でも、オレは君と一緒に居るから」


言い切った彼が、優しく笑った。



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