待ち合わせ場所となった部屋の前に、立つ。
和のテイストで統一された店のその一室に、唾を飲む。
普段来る雰囲気とは似つかず、ばか騒ぎするような場所でもない。
きちんとした店で、待っている先のことも考えれば、気後れした。
少しの段差の上にあるふすま。
この中にもう来ていることは下で伝えられた。
二人。
メールでは気まずさが勝って、今日の場所と時間くらいしか話していない。
何かそこで話せていれば入りやすかったかと思うと、そうでもないように思うけれど。
どんな顔をして、入れば良いのかわからない。
ふすまを開けるための手は添えたものの、そこから先へ動けない。
「自分のペースで良いよ」
後ろに立った彼は、急かさずに俺を待つ。
まだ従業員が廊下を通らないことが、救いだ。
こんなところを見られたら、怪しいどころじゃない。
五年。
中学の卒業前に離れて、今まで空いた時間。
あっという間のようで長くて、忘れようと努力した時間。
あり得ないと思っていた。
二度と会うことが無い、実際に会わない状況の中で。
こうして面と向かって話す機会が出来るとは、思っていなかった。
ここが一つの区切りになる。
感じたものを飲み込んで、手を横へと滑らせた。
まあ座れよと、先に来ていた彼に、手前の席の座布団へ促された。
その手先だけを見て、座布団へ座る。二人ともの顔は見れなかった。
後ろへ着いてきてくれていた彼はふすまを閉めてから、俺の隣へ静かに座った。
そして口は開かない。
四人の一人も、何も言わなかった。
自分から言おうにも、適切な言葉がわからない。
「失礼します」
ふすまが開いて、下で会った従業員がお冷やを運ぶ。
一つ一つ、丁寧に置かれていくコップを目で追う。
コップの表面についた水滴が机の上へ落ちた。
お料理、もう少しでお持ちしますね。
にこやかに笑って戻る彼女に、軽く会釈を返した。
たん、と落ち着いた音がして、穏やかな音楽だけが流れる。
手持ち無沙汰で水を口に含む。
冷たい水が口の中を通って、頭を落ち着かせた。
このまま沈黙だと、結局此処に来た意味がなくなる。
「久しぶり」
言葉を探す間に、言い出したのは向こうだった。
「うん」
会話が終わった。
何か言葉を続ければ良かったのに、良い言い回しが思いつかなかった。
変に迷って言いよどむよりはと頷いたけれど、到底いい返事には程遠い。
そうしてまた黙り込む。
こうして面と向かうと、昨日までぺらぺら話した口も閉じるらしい。
何を言っていいかの戸惑いがあるように感じ取れた。
その空気を作っている原因に、俺は入っているのだろうけれど。
ずっと俯いているわけにもいかないと、深呼吸。
話す内容を見つけるのは無理だと諦めて、何か感じたら言おうと思った。
そうして二人ともへ、自然に目を向けてみる。不自然にならないように。
拓巳の元々しっかりしたような雰囲気は、より強くなっていた。
目が悪くなったのか眼鏡をかけて、中学の頃よりは髪が少し長い。
でも恐らく、浮かべる表情は変わっていないんだろう。
今、少しだけ八の字を書いている眉で、昔、困ったように笑っていたことを思い出す。
ユロも暗がりで見た時よりも、ずっとはっきり見ることが出来た。
パーマが緩くあてられた茶髪と、顔つきに、少し真面目な雰囲気。
昔を思えば、真面目から正反対にいただろうにと心の中で懐かしむ。
言っても。そう、つい苦笑う。
今の状況で、という可能性もあった。
少なからず、二人ともは記憶の中とは違っている。
自分も含めて、この場に居る全員が大人になった。
でもその中で面影が見えたのは、何故か嬉しかった。
面影、と頭の中で繰り返す。
同時に隣へ座って、ゆっくり水を飲むフィリスを見た。
三年離れてから会った彼は、大きな変化を感じさせなかった。
彼は最後に見た時からあまり変わらなくて、変わらずそこにいて。
単に、自分たちよりも年上で、成長が進んでいただけかもしれないけれど。
彼が変わっていないということが、辛かった時もあった。
違う人間として振る舞うのに慣れだした中でも、彼は昔を思い出させる。
それでも彼に感じる辛い面と彼に助けられた面を比べれば、助けられた方がずっと多い。
何も変わらない、むしろ変わらせなかったような存在。
背は伸びて、きっと今と昔を比べればずっと彼も大人の顔になったんだろう。
けれど大きな差は、作って来ていなかった。
中学の途中で切られた短髪のまま、笑って何を考えているかわからないまま。
そこに少し甘えてしまっていることは、自分でもきちんと知っている。
「海」
呼ばれた名前を訂正しようと、知らぬうちに俯いていた顔を前へ向いた。
その後に、頬へ向かってくる手が見えて、反射的に右手で防ごうと動かす。
けれど右手は引っ張られたような振動、上に来ない。
何故、と見れば、フィリスが何食わぬ顔で袖を掴んでいた。
「!」
目を戻せば間近に。
左手も間に合わないと悟って、耐えるために目を閉じる。
「ばーか」
笑っている声に目を空けると同時。
軽くはたくくらいの力が頬に当たった。
机の上に乗り出すようにしていた彼は、叩いたら元の位置へ下がる。
はあ、と大げさにため息をついて、部屋の緊張感を壊す。
ただ、その中で混乱していた。
ユロの様子も、言われた意味もわからないで、頬をなぞる。
「面倒かけやがって」
偉そうに呟いた相手を、我に返って睨む。
いきなり何するんだという非難を込めた。
けれど、ユロはこっちを見ないで、あえて流そうとする。
ようやく連絡取れて、店とって、会ったら会ったで話さねーしよー。
これ見よがしに、不満を連ねた独り言を言ってみせる始末だ。
その様子に、隣で拓巳が少し吹き出して顔をそらすのまで見えた。
「別にかけてないだろ、」
「うるせーよバーカ」
文句の言いかけ、しかも非常に嫌な風に遮られた。
ムキになって言い返そうと口を開いたら、相手が急に笑って、思わず声は萎む。
馬鹿にしたような笑いなら、そのまま言い返した。
けれどそうじゃなくて、ふ、と力を抜いて相手が笑ったから。
毒気を抜かれてしまった。あまりにも、いきなりに安堵した顔を見せられて。
「ずっと心配してたから」
続けて拓巳が、笑った。
今、目を閉じて穏やかに佇む彼は、昔は何も知らなかった。
俺の不注意によって巻き込んだだけで、彼自体は裏に関わりがない。
その何も知らない中でも、わかろうとしてくれていた。
尋ねたことにも、わからないなりにでも答えてくれていたのは覚えている。
「生きててよかった」
困り眉で、それでも本当に安心したように笑う。
昔のままの笑い方で、彼が笑っていた。
胸の奥から、ぐっとこみ上げる。酷く切なく感じた。
今までの彼の感情を押し込めた顔が、あまりにも嬉しそうに見える。
「本当に」
隣から柊の手が、背中を叩いた。
昔のように気を緩めて、彼は俺に触れる。
確かめるような感じは消えて、純粋に彼の体温を服越しに感じた。
「諦めなくてよかった」
長く息を吐き出した彼の小声は震えていた。
俯いた表情で、二、三度俺の背中をさする。
撫でられながら、右手で無意識に彼の背中を撫で返す。
ずっと、彼は。
「ほらな」
わかるだろ、とユロが言外で促した。
自分が取った選択の結果を見せられていた。
知るべきだとフィリスがぶつけた激しさの意味を、しっかりと受け取る。
今、言葉で、表情で見ることで、ずっと考えなかったことを意識した。
無視し続けていた後悔を、見つけた。
「ごめん」
申し訳ないと思う反面、嬉しさに顔がゆるむ。
四人がそろって、こうして昔の面影を見る。
もう良い。
奥底から、意識のある自分に向けて声がした。
もう良いよと、こみ上げた今までの記憶が言う。
許すような声でもあったし、諦めたようにも聞こえる声。
きっと、どちらの気持ちでもあった。
どちらか一つの気持ちではない。
二つが混ざりあって、同じ答えになる。
もう良いと、心の底から言える。
もし叶うなら、俺は、この四人にかえりたい。
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