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緩やかに揺れて、たまに跳ねる車内。
窓に頭をもたれて外を見る、晴れきった青空。


場所を聞いてから二日、すぐに動きたいのを平日だからと我慢した。
学校をサボることに関しては何のためらいもないけれど、簡単な支度とか小テストあったし。
こんな時に入っている小テストが成績に入らないのなら、一日待つだけで行けたのにとごちた。

結局、勉強も碌に集中出来ない、支度中だってぼんやりして時間は過ぎた。
どちらもやらないよりはマシ、そんな程度には出来ていた気がする。
それでも授業中は、ぼーっとしているばかりで先生に怒られたけれど。


がたん。
車内が揺れた。
舗装された道だ、どうせ小石でも乗っていたんだろうと思考は終わる。
走る道は綺麗な、確実に目的地へと辿り着ける平坦な道のはずだから。

「……」

でも、空港までタクシー使うんじゃなかったと思う。
この前か結構前に、タクシー運転手のストライキかなんかがあったはず。
それで確か運賃が値上げされたような内容を、テレビのニュースで聞いたことが甦る。
これ以外の移動手段はなかったと思う反面、他に声をかけてみれば安く行けたのではないかと今でも後悔している。


「着きましたよ、お客さん」


運転手の声を聞いて、前に視線を向けた。
車は多少入っているが、駐車場から見る分には大して混雑している様子は無い。

運転手の言った代金を財布から出して手渡す。
ありがとうございました、という礼と同時に横の扉が開いた。
クーラーが効いていた車内と違って、外はまだ少しじめりとして何処か暑かった。


空港内も外同様、特別混雑している様子はなかった。
数えられる程度の人、たまに何かの集団のようなものが居る程度。
それを除けば、ほとんど空港内はスーツを来た男性や女性だけだ。

旅行シーズン以外の空港はこんなものなんだろうか。
あまり飛行機を利用する機会はなく、よくわからなかった。


とりあえず財布の中にあった航空券で自分の乗る便を確認する。
搭乗時刻と今の時刻を携帯を使って確認する、時間には余裕があった。
むしろ二時間はあり過ぎていた、まだチェックインするには早過ぎる気がした。

家に居ても落ち着かず飛び出したことを、今更に後悔した。
あの時はそれで良くても、今はただ暇なだけでしかない。
何処か家ではつきまとっていた焦りも憎悪も、今は鳴りを潜めていた。


空港内に設置された時計を見上げる。
携帯と同じ動き、同じ時間を差す針。
どんなに睨んでもそれが早く進むわけでもない。

仕方なく傍にあったソファに腰掛けた、ふわり。
ゆっくり沈んでいく体、包み込むようなクッションは心地がいい。
すう、と意識が離れるような錯覚を覚えた、眠気がゆっくりと俺を包み始める。


「海」


呼び声によって眠気は急速に払われた、わずかに顔を上げる。
三日前の雨の日から見てなかった柊がそこに居た。
ゆっくりとこっちへ歩いてくる姿に思わず立ち上がろうとしたが、一度休んだ体は中々その気を持たない。


そのうちに柊は俺の前に着いた。
立ち上がる努力はもう消える、久しぶり、と笑う顔に久しぶりと返す。
三日が久しいうちに入るかどうかなんてわからず、相手に合わせた返答。

「仕事か何か?」
「そんな所」

どうして此処に居るのかは考えず、どうして休んでいたのかだけが頭に浮かぶ。
大変なんだろうなと雨の日を思い出した、あの日が関係していそうな予感。
仕事をやめたという事実、それがまだ納得されていないから柊は大変なのだろう。

勝手な推測で勝手に納得する。
ねえ海、そう変に強張ったような声が俺の名前を呼ぶ。
椅子に座ったまま柊を見上げれば、嫌に真剣な目とかち合った。


「時間、あるかな?」


一旦、俺から目をそらすように目を閉じた、誘いの言葉。
再び開かれた目には、真剣さの代わりに何かが浮かんでいる。
僅かに目へ被さった髪色と同じ長めのまつげが、どことなく物憂げに揺れた。

何となく、断ることをさせない空気が俺へまとわりついた。
柊は決して、俺に対して時間を持つことを強制しているわけではない。
やんわりとした彼の笑顔は、いつもと微妙な違いを見せるけれどきっと気のせい。


搭乗まで、まだ時間は十分に余っていた。
柊の提案を断る理由も対して浮かばない。
数日前の興奮は冷めて、今の変に落ち着いた気持ちは人を拒まない。

あの日の俺ならば、きっと一人になりたがったのだろうか。
目標だけを見つめて、他を見ないままに。


時間があることを頷くことだけで柊に伝える。
良かった、とまた目を閉じて柊は唱えた。

「屋上に行ってみようか」

背を向けて、振り返り様に笑いながらの提案。
そしてまた目は合わなかった、完全に閉じられた目。

「屋上?」

柊が提案した場所名を復唱すれば、縦に一度の頷き。
空港に屋上、あるのだと言われればそうかとしか思えない。
屋上と言えば立ち入り禁止のようなイメージがあるが、此処は違うんだろうか。

ふと軽く頭の中に浮かんだ屋上のイメージ。
滑走路を上から眺められる場所なのだろうか。
学校のような高いフェンスで囲まれた、コンクリート。

想像しているうちに無言で、前を歩き出し始めた姿。
ゆっくりとした歩調の後ろへ、いつも通りの速さでつく。
その様子を少し振り返って柊は確認しただけで、言葉は無かった。


妙な空白。
あからさまではないにしろ、何かしらのおかしさは感じている。
それが何を原因にしてなのかは想像がつかない、俺が原因かどうかも。
空白の三日間、後始末に追われていたならそれも十分原因になりそうだ。

きっとその時にでも、なにかしらあったのだろうと思考は終了した。
雨の日でさえ、多少機嫌を損ねていた様子はあった気がする。

これはきっとその延長なんだろう。


「今日、学校休みだっけ?」


自動的に上へと運ぶエスカレーターに運ばれながらの質問。
微弱に揺れる段差に、一段ずつ別れて乗り、視線は降りる方向へ。

「休みじゃない、普通の日」

隣を黄色の縁取りがされた黒い段差は、静かになめらかに下へと向かう。
そっか、という小声の返事はその中で響き過ぎることもなく、すんなり空気に溶けた。
白い照明は夏の暑さを感じさせず、均等に整えられた空調が柊との間を冷やしていく。


緩やかに吸い込まれていく黒い階段を降りる。
浮遊感の消失、自らの足で動き始めるように前へ踏み出す。

多くの土産物屋を一切振り向きもせず、黙々と進んでいく。
旅行シーズンから外れた店の人の入りは、あまり良くない。
空港自体、スーツを着慣れた人ばかりで、土産に興味を持っている人はいなかった。


こっちだよ、と廊下の突き当たりを柊は指差した。
非常扉の緑のランプが点灯した白い扉、がたんと柊はそこを開く。
明らかにそこは、一般人を歓迎するような空気を持っていない。

「柊、」
「早く」

この扉重いんだよ、と笑う彼は俺の話を聞かない。
一枚の扉を隔てた階段に占められた空間までもが、生温い温度で俺を包む。
有無を言わさない雰囲気に従って、俺は扉を片手で支える柊の前を歩いた。

語りかけた時も、通り過ぎる刹那も、一切合わせられない目は不安を煽る。


がちゃん、と重い音がして扉は閉まる。
手をそのまま離したから仕方ないのだとは思うけれど、何となく乱暴な音。
音の少ない扉のこちら側はその音を酷く大きく反響させた。

「なあ、」
「この上だよ。一階分のぼれば、」
「柊!」

一方的な言葉の流れを遮った。
名前を叫ぶことで、柊に俺へと意識を向けて欲しかった。

そして思惑通り白く重い非常扉に軽く背中を預けた彼が、ゆっくりと顔を上げる。


「なあに」


笑ったように見せる顔は、決して心の中からのものじゃなかった。
やっと気付く、この人はどうして此処に居るんだろうか。
この人はとっくに裏からは足を洗ったと話していたはず。

仕事で此処に居ることなど、ありえない。


すぐに非常扉を抜けようと、柊の隙をうかがう。
未だに扉に寄りかかった柊は、それを静かに見るだけ。
冷ややかでも温かくもない視線、無感情にさえ見える。

何故柊がそんな目をしているのかはわからない。
俺は、あの雨の日以外柊に会う機会もなかった。
あの日の最後も、よく覚えてないが怒らせた記憶はない。


自然と目が、柊の視線から逃げようと下へ落ちる。
足までが柊から距離を取ろうと後ずさることを選び出す。

それは逃げることを選びたくない意識が浮かび上がって、何とか踏みとどまれたけれど。


「ごめんね、怖がらせるつもりじゃなかった」


視線は斜めに逸れて、苦笑を取る。
今度こそ俺に合わされた視線、笑顔はまだ堅い。


それでも、ある程度の緊張をほぐすことは出来た。
別人のような雰囲気は払拭されたし、きっとこの空気は柊が好んで出したわけじゃないと思ったから。

きっと柊には何かがあって、偶然に此処にいて、そこに俺が居て。
わざとだったわけじゃないんだと、何かに怯える自分を納得させる。

理由があったからの行動のはずなのだ、絶対に。


「屋上に行こう」


きっと風が気持ちいいよ、と笑いかけられる。
確かに今日の天気は気持ちいいくらいの青空で、風も多少あった気がする。
タクシーの中で眺めていた空は、きっともうすぐ真夏をつれてくるのだろう。
あの蒸し暑い夏と、一ヶ月近い夏休みを引き連れてくる。

そしてきっと、いらない記憶までも。


上りきった先の、恐らく屋上に通じるだろう扉。
綺麗な印字でSTAFF ONLY、と書かれたさっきの非常扉に似た白い扉。

「ここって、」
「鍵あるから大丈夫」

笑う笑顔の隣に出されたのは見慣れた銀色の鍵。
それには他の鍵も数個まとめて連なっており、黄色のプラスチックプレートがついている。
明らかに柊の私物では無く、この空港関係者のものであることは確かだった。

手にもたれていた一つを柊が扉の鍵口に差し込む。
それが片方へと回されれば、かちり、と鍵の開く音。
キイ、と音がして、下の非常扉よりは開きやすそうにそこは道を開ける。


「……」


ぶわり、風が階段へと流れる、俺の隣を通って。
外の初夏はそれに乗ってわずかに無機物な階段へと流れ込む。

扉の先には、タクシーの中で見たものよりも鮮明な青が広がった。
地面のコンクリートは白く見えるほどに太陽の光を浴びている。

飛行機が飛び立とうとする音までが遠く、聞こえた。


屋上の端であるフェンスまでを二人で歩く。
がしゃりがしゃりと時折フェンスを揺らすほどの強い風が暑さを飛ばす。
それでも、中の空調に慣れていた体にはまだ外が暑いと感じてしまった。

「風があっても、ちょっと暑いね」

風に吹かれて柊の、長めの髪が宙をなびく。
最初の頃は彼のこの容姿は、女性に近いと感じてしまっていた。

けれど今は絶対に間違うことはない。
何が、なんて明確なことは言えないけれど、何となく、そう思う。
骨格だとか、体つきだとか、そんなものがなくてもきっと、柊は。


そういえば、柊は俺の従兄弟だった。
本当に小さな頃に会っていただけの相手。

改めて柊の顔を見る。
滑走路の方向を向いて、きっと俺が見ていることには気付いていない。

この一年ちょっとの間、ずっと気付かなかった。
しゅう兄との記憶など他のものと一緒に奥深くへ沈んでいた。
最後に会ったのはまだ母親がいた頃の、随分昔のことなのだから。


それを柊は覚えていた。
覚えていたのか、途中で思い出したのかはわからない。


「……、」


不意に苦笑した自分に気付いて振り返った柊が、不思議そうに俺を見た。

もしかしたら、この人は最初から、俺を知っていたんじゃないだろうか。
ずっと思い出さない俺を、柊は一体どういう風に見ていたんだろう。
今、どう悔やんだって何か出来るわけではないけれど。

そうやって自分の中だけで思考する。
その間に、柊が悲し気に眉をひそめたことさえ知らないで。

「ねえ海、」

がしゃん。

柊がフェンスによりかかった音が響いた。
滑走路を走っている飛行機は、何も言わない。



「海は、何処にいくつもりなの?」



上げられた表情は笑いの形を取っていた。
綺麗な顔で綺麗な笑顔、…完全に作られた笑顔。

理解が追いついた瞬間に、ぞっと背筋が冷えた。
まとわりついていた暑さは飛び、風は冷気を目立たせる。
先ほどまでの感傷など、何処かへと吹き飛ばされた。


本能が、行き先を言うなと指示をする。
直感、頼りない勘ではあるけれど、自分はそう思った。

柊の問いが何を探りたいのかはわからない。
けれど雨の日に類似した、今の恐怖。
立ちすくむほどではない、それでも。

「どうしてそ、」
「どこに行くのか聞いてるんだよ」

答えを強いる視線。
尚更抵抗が芽生えた。


行き先を言ってしまえば、きっと目的までも聞き出される。
目的はあまり、言いたくはなかった。
他人からすれば、おかしいと思われる行動。

経緯を話すつもりだって無い、同情なんて面倒なんだと知っていた。
柊は、ひょっとすると経緯を知っているかもしれない。
母さんの居た頃から多少はあったことだから、ありえなくはない。


「関係無い」


それでも、俺の気持ちなんかわかるはずない。
理解なんて出来るわけないんだ。

この人たちは、シアワセ だったんだから。

すぐに振り返って、来た道を戻る為に扉へ走る。
呼び止めるような声がかかったが、それに捕まるわけにはいかない。


早く青空の下からいなくなってしまいたかった。
自分の目よりは綺麗な青、でも嫌悪対象の青色。
空も人も恨みたいわけじゃない、うらやみたいわけじゃない。

こうなったのは、全部あいつの所為なんだ。
こうやって苦しむのもうらやむのも、こうやって人を傷つけるしか出来ないのも。
ぐるぐる廻り出したあいつの記憶、早く消したい。


あいつを殺して、解放されたかった。
一秒でも、早く。


「海!」


すぐに追いつかれてしまう自分。
何も知らない柊は俺の腕を、振り払えないほど強く掴む。

「離せよ!」

それを知ってでも柊の顔も見ないで、腕を上下に降って力の緩みを誘う。
けれど、両手で片腕を固められることでそれさえ封じられた。
観念して抵抗の力は抜いた、この人相手に逃げようと言うのが、無駄か。


逃げることを諦めたことは、腕越しに相手に伝わった。
正しくそれを受け止めた柊の手に、俺の肩を引いて向かい合わせの体勢を作られる。

「そろそろ搭乗時間、」
「もう無理だよ」

言葉は不可能で妨げられた。
つい振り返ってしまった時に見た表情は、ただただ真剣。
何が彼のいう無理だというのかは、そこからもよく読み取れない。

海は行かなくていいんだ。
続けられた言葉の真意さえ、俺には上手く受け取れない。
もう無理、行かなくて良い、その先に暗示されるものを頭が見つけられない。
何が無理で、どうして俺が行きたいのに行かなくてもいいという許可が出るのか。

情報の限られた頭に、柊の言わんとすることを予想することは出来ない。



「オレが殺した」



ずき、と胸が一瞬痛んだ。
頭が耳がぐわんとありもしない衝撃に襲われた。
体の一切の機能が止まってしまったような、錯覚さえ感じてしまった。


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