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「今日はここまで」


教師が授業の区切りを言い渡すと同時に、男子数人が教室を飛び出る。
それから一足遅れで入った四限終わりのチャイムを受けて、教室は声で溢れた。
席を立つ音と、机を動かす音が声に混じって、空間を満たす。


その騒がしさで、ミカドはようやく眠っていた頭を覚ます。
先ほどまで教師の声も通さなかった穏やかな眠りも、此処までの喧噪の前では吹き飛んだ。

あくびをしながら、うつ伏せていた体を起きあがらせて、目をこする。
珍しく授業前に取り出していた教科書は、結局、枕にしかなっていなかった。

それをミカドは机の中に強引に押し込む。ぐにゃぐにゃ歪めて、どうにか収まるように詰め込む。
その一方で、彼の腹の虫が鳴って、寝ぼけ気味の自分へもうお昼だと知らせた。
右手でいつも横にぶら下げているコンビニの袋を癖で探るが、今日はない。


「ミカド」


名前と一緒にその彼の目の前へ、何かがぶら下がる。
何かにピントを合わせれば、紺色の布で包まれた四角形。
その包みを持っていたのは男の手で、さらに目を上げるとウエクサだった。
今日もいつものように、真ん中部分の前髪はピンで上へまとめられている。

「昼飯」
「ありがと」

そうだった今日は。
昨日した話で、コンビニへは寄らなかったことを思い出した。
目の前に出された包みを受け取るために、ミカドが手を伸ばす。

そしてしっかりと彼の手が四角を掴むが、ウエクサは手を離さなかった。
彼は不思議そうに見下ろすだけで、そのことにミカドも疑問符を浮かべて見上げ返す。

「教室?」
「ん」

どうやら腰を下ろしたままだったことが気になったらしい。
一音だけ出したミカドの返事を聞いても、まだ彼の表情は変わりきらなかった。

「屋上?」
「今日曇り」

晴れている日なら、ミカドは確かに屋上へ出て行くことが多い。
最近も、夏休みが近いこの時期に雨は少なく、毎日のように移動していた。
その移動が、ウエクサの頭には色濃く残っていたのだろう。

けれど、ミカドにとってみれば、晴れていなければどうでもいいことだった。
ただ彼は陽に当たるのが好きなだけであるので、灰色空の下まで動く意味はない。


天気次第なのか程度に理解したウエクサが、ミカドの前の椅子を半回転。
横向きに腰掛けて、結局持ちっ放していた紺色の包みをミカドの前へ置いた。
自らの前にも自分の分とした違う色の包みを置く。

ミカドが紺色の包みをほどけば、よく見る四角い弁当箱が出て来た。
その蓋を開けたところで、あ、と前に座ったウエクサが顔を上げる。

「そっち一応唐揚げ多め」
「ども」

弁当は綺麗な彩りがそろって、綺麗に盛りつけられている。心なしか茶色が多い。
泊まりのときに話した、世間話程度のものを覚えていたのだろう。
ミカドがウエクサの分も見てみれば、圧倒的に緑が多いが、大まかな種類は同じ。

野菜が好きなんだっけ。
目を横に逸らせながら、ミカドはウエクサの好みを思い出す。
肉が好きと言ったら、そんな気がすると彼に笑われたのは覚えていた。

「明日も?」
「なんで?」

彼が言った言葉に、ミカドが疑問を上げる。
口に入りかけたアスパラのベーコン巻きが、中途半端な場所で止まる。
くわえこもうとした状態のまま、ミカドは問うた彼を見上げた。

「まずい?」
「うまい」

文句無しに。味の濃さも自分の丁度良いと思う加減の味。
補う言葉は口から出ないで、彼は食べることを再開する。

「なら明日も」
「うん」

美味いものが食べられるのならいいかと、続けざまの問いに頷いた。
そのことに満足げにウエクサは笑って、自分の作ったものを口に含む。
彼が四日前からだいぶ縮まった距離感を楽しんでいることまでは、ミカドは気づかない。


「ミカド!」


勢い良く開いた扉と大声に、教室が静まった。
入り口には金に近いほど色が抜かれた髪に、短い眉を吊り上げた男が立つ。
ミカドやウエクサよりも上の学年であるだろうことは、簡単に見て取れた。

呼ばれた本人は箸をくわえたまま、ウエクサ越しに相手を見る。
そして咀嚼する口を止めることなく、最後までゆっくり噛んでおかずを飲み込んだ。

「せんぱいだ」

明確な怒りをあらわにしている男に焦ることなく、相手への認識がついミカドの口から漏れる。
そののんびりとした声は静まった教室では男まで届いたらしく、相手の眉がぴくりと反応する。
男はそのまま眉頭を下げて、彼なりにミカドへガンを飛ばしてみせた。

けれど睨まれたミカドは、全く普段通りに動く。呼ばれたときと同様に、焦ることもない。
食べかけた弁当を一度見下ろして、息をついただけ。

「何の?」

その動作を見て、先を察知したウエクサが質問を投げる。

「ん?」

けれど、彼の質問は聞き返されただけで答えはない。
ミカドの持っていた箸は、綺麗に合わせて降ろされた。


すい、と尚も睨み続ける先輩と呼んだ男へ、ミカドは目を移す。
数秒、立ち上がったミカドと一学年下を尋ねて来た男の視線が交差する。

此処で喧嘩が始まるのでは、と教室内にいる人間は気が気でない。
出て行こうにも、この一触即発な空気の中を動くのはどうにも出来ない。
上級生との揉め事、しかも相手がミカドであるものに、万が一にも巻き込まれたらたまらないと誰もが思う。


おもむろにミカドが一歩踏み出した。
教室では動きづらいことを、彼は十分知っている。
動くなら何も気にせず、自分の思うままに動きたかった。

その意思に反して、彼の右腕だけは前に進まなかった。
あれ、と不思議に思って右腕を見下ろせば、ウエクサ。
彼の手が、ミカドの右腕をしっかりと掴む。


「何の先輩?」


ウエクサの真剣な目が、ミカドの前進を妨げた。
あれ、とまた予想通りに進まないことに、彼は目を瞬かせた。
ミカドを呼びつけた先輩もどうにもおかしいと気づいて、訝しげな視線を送る。

「年上の先輩」

簡潔に事実を告げたところで、ウエクサの表情は緩まない。
彼の意図に全く気づかないまま、右腕を掴んだ左手を軽く叩いた。離してほしいとした意思表示。

それも、徐々にウエクサの目に不快感が混じりだしたことに気づいて止まる。
あれ、とミカドはやっぱり頭をかしげた。


「喧嘩やめろってば」


この前、鍵も無くしたでしょう。
諭すような口ぶりで言われ、ミカドが言葉を詰まらせる。
確かにあれも喧嘩の後であって、喧嘩をしなければなくさなかった。彼の言う通りではある。

けれど、ああそうか、なんてミカドは簡単に頷きたくはない。
何が何でも喧嘩がしたいというわけではないが、じゃあ無しで、となるとどうにも複雑だった。

どうすれば外すことが出来るだろうと彼は考える。
いっそ力づくでも、と手段を頭の中に並べ、


「ウエクサ!!」


実行に移す前に、ミカドの先輩が立つ方とは逆の扉が勢いよく開いた。
ミカドとウエクサにあった注目が、二人の視線ごと、一斉にそちらへ動く。

「あ」

今度はウエクサが声を漏らした。どうやら彼は面識があるらしい。
ミカドはたまに廊下ですれ違う程度の人だった。確か、バスケ部の主将だ。

その人物が、かなり怒りを露にしている形相で立つ。
先ほどまでの上級生まで、とはいかないまでも、物凄い剣幕だった。


ウエクサに用がある男は、教室を一度見渡す。
そしてウエクサの姿を見つけたのだろう、ずかずかと二人の方向へと迷い無くに近づいてくる。
一歩一歩が大きな足音を立てそうなほどの歩みで、教室内がまた別の空気に静まり返った。

もう何歩かで自分たちの元まで来るだろう距離まで、男が迫る。
すると、その歩みに気圧されてか、単にもうミカドが動かないと思ってか、ウエクサは腕を離した。

「人の女に手え出したな!」

席を縫うように歩いて来た男は、ミカドを押しのけて座ったウエクサの前へ立つ。
相手の形相に、思わず遠慮して後ろに下がったミカドは、先輩への進路を塞がれてしまう。

こうなると腕を離された彼は、先輩の元へ行けなくなった。
行けるには行けるのだが、最短ルート以外を彼は選択肢に入れていない。
やむなくミカドは、周りと同じように目の前の二人を見てみた。まずは怒鳴られているウエクサを。


そこにあったのは、心外だとわかりやすく書かれた顔。
この程度の剣幕で気圧されるなんてことはなかったらしい。
いくらミカドでも、それはこの時点で理解した。

「向こうから言ってきたのに」

更には、そうため息を一緒に吐いてさえ見せた。
相手から動いてきたのに、自分が責められてはたまらない。
そう言いたげな態度は全く隠そうという努力が見えない。

「てめえ!」

このウエクサの様子に、相手はより怒りのレベルを上げた。
一層激しく顔は歪んで、憎々しげにウエクサを睨む。


それを傍目に、ミカドは天井へ視線をそらせた。
いつもの修羅場かと息を吐く。つまらないの一言で目を閉じる。
男女関係のごたごたであれば、友人が目の前や茶化した話で十分知っている。

正直、これ以上間近で見たい話、聞きたい話でもない。
それなのにこうして道を塞がれているのは、彼に取って酷く鬱陶しいこと。


やってられないと頭を振った視界に、振り上がる拳が見えた。
怒っていた男の方は、どうやら此処で力にまかせるらしい。
対してのウエクサはといえばその男を見上げるだけ。浮かんでいるのは薄ら笑い。

「馬鹿にしやがっ、」
「あ」

ウエクサが気づいた声は遅かった。
ウエクサを殴ろうとした同級生は、ミカドに唐突に殴られていた。

「お前邪魔」

頬を殴った右拳をひらひらと振りながら、倒れ込んだ男を彼は見下ろす。
殴られた男は男で、何が起きたのかわからずにただ左頬を押さえていた。


「手が早いんだって」


一瞬、目を丸くしていたウエクサが、そう苦笑う。
ある程度途切れ途切れの言葉を合わせて、ミカドの意図を汲んだ。
殴られた男の話をあまり聞いていなかったおかげで、彼はスムーズに意味合いを取ることが出来ていた。

「先輩のとこ行けねえもん」

当たり前のように告げた。
いきなり会話で出て来た上級生は、教室中の注目が飛んで来て、途端に居たたまれなくなる。
もう彼の中で最初の怒りは吹き飛んでおり、くだらないかと、帰ろうかと考えだした時にこれだった。


その様子を見ること無く、ミカドは殴った男をただ見ていた。
尚も男は彼の進路に座り込んでおり、殴った後も行けないままだ。
踏んで歩いていくことも出来たが、あまりバランスがよく取れなさそうな体だった。

「喧嘩好き?」

そこから気をそらせるように、声がかかる。
案の定、ミカドの視線はウエクサへと向く。
ただ、それがきょとんとした目だったのは彼の予想にはなかった。

「これ正当防衛」

更に座り込んだ男を人差し指で指しながら、そんなことを言う。
指された方は吃驚することしか出来なかった。どこをどうとればそうなるのかと、目を白黒させる。

それでも、ウエクサだけは笑ってみせた。
苦々しさは拭えなかったが、ミカドが見る限り、そこに不快さは無い。


「殴られるおれがしたら正当防衛。ミカドのは一方的な暴力」


簡単に、彼の中での定義がミカドに伝えられる。
ミカドに長々しく話したところで、ほとんど聞かないとの配慮があってのものだった。
ウエクサは出来るだけわかりやすくを心がけたつもりだったが、ミカドのかしげた頭は戻らない。

「難しいな」
「難しくねえよ」

そうして話す二人だけが緊張感を落としていた。


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