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立ち入り禁止のはずの屋上の扉を押せば、日に日に強くなり始めた日差しが現れる。
今までとの明るさの違いの差は大きくて、扉が空いた瞬間は目が開けられなくなった。


「あーやっぱ、クーラーより風のが気持ちいーね」


先頭を歩いて、俺よりも先に関は日差しの中へ踏み出す。
目をゆっくり明るさに鳴らせば、屋上のコンクリートが太陽の光を反射してそれを妨害する。
仕方なく、上へと視線を逃がせば、広がっているのは白に混じって灰色の雲が浮かぶ青空。

「先輩とか、」
「きにしなーい、多分外に出てるって」

此処じゃそんなに長居出来ないし、やれることもそうないし。
そう付け足ながら、どんどんと関は屋上の端のフェンスへと歩いていく。
眩しいなあと思いつつも、ずっと境目にいることも出来ず、屋上側へ踏み出した。

「あつ」
「もうすぐ夏だし仕方ないって。寒い夏とか嫌だろ」

かしゃりと最初に行き着いて、フェンスに彼の手がかけられる。
太陽の光に目を細めながらも、中途半端に空いた距離を埋める為に歩いた。
足下の白いコンクリートの上を這う影は、何処までも黒く自分たちに張り付く。

はっきりとした輪郭を保つ黒い影から、無理矢理視線を外した。
睨んでいたってこれが何かになるわけでもないし、どうともならない。
知らずに寄っていた眉から力を抜いて、空気を吐き出した。


「今日はほんと暑いな」


声を聞いて、意識が視界に繋がる。
いつの間にか目の前に関は居て、俺は止まっていた。
関の右手で握られていたフェンスが、風に揺られてかしゃりと揺れる。

「昨日は良い感じの気温だったのに」

同意を求めるように、関は俺を見た。
穏やかなんて、どこにもないような目で。

さっきまでと同じ、笑っていない顔だった。
目はまっすぐ俺を見て、何も滲ませていない。


それだけなのに、なぜか足がすくんだ。
背筋に氷が滑ったような寒気が、走る。
何を言おうとしているのか想像はつかない、けれど。

視線は、何かを俺の中に探そうとしている。


「横山さあ、昨日あの道に居たよね」


疑問系でなく、ただ言い切る形。
少しだけ真一文字を書いていた口は緩み、目も少しだけ緩む。

けれどけれど、その口から発せられた内容は、俺の心臓を止まらせる。
目は相変わらず俺を覗き込んで、俺の中を見据えようとされたまま。
一挙一動を見抜こうと、じっとじっと、奥底まで。


狼狽えずに居るべきだ。
まだ言い逃れは出来る範囲。
あの事件を言っているとも限らない。
そんなことわかってる、わかってる!

心臓がバクバクうるさい。
けれど落ち着ける為にと、下手に深呼吸をしたら怪しまれる。
いつも通りを装わないと、いつも通りの態度でいないと駄目だ。

「どこの、はなし?」
「さっき、小田が持って来てた事件の道」

知らない、誰も人はいなかったはず。
わざわざあんなところを夜中に通る人なんて、滅多にいない。

「あそこ、塾の帰り道なんだよね」

いないはずだ、いなかったはずだ、でも関はそこを通った?
見られたんだろうか、何処を見られたんだろう、いつ見られていた?

場合によっては何も言い訳が出来ない、そんな嫌な予想。
殺している最中だったら何を言ったって無駄だ、何もかも。


いやでも、ととどまる。
あれは、交通事故で処理されている。
警察だってそれを信じてる、だから新聞にそう載った。

いることを見られていたとしても、俺がその道に居たって、何の関係も無い。
あの男と秘書を殺したことには、何処をどう探ったって、何も繋がらないはずだ。
殺している最中を見られたとしても、大丈夫、大丈夫、警察は事故を信じている。


「なんであそこにいた?」


あんな暗いところに。
家だって近くないだろ。
わざわざ何であそこにいたわけ。

事故の日に、どうして横山はあえてあの場所に居たの。


一つ一つの言葉が、じわじわと首を絞める。
冷たい一言一言が、頭の中をかき混ぜていく。

緩く握っていた手が、かたりと震える。
大丈夫だと言い聞かした言葉も震えた。


バレているんだろうか。
関は何かを見たんだろうか。
やっぱり殺しているところを?

どうすればいいんだろう。
どうすればいいんだろう。

まだ捕まるわけにはいかない。
まだ俺は、何も出来ていない。
もし関が、本当に知ってるのなら、


「何か隠してるよな」


断定する声。
関の影が、俺の一部にかかった。

「かくしてない」
「隠してる」

思考が表に出ないように抑えた必死の声も、関の強い声に否定される。
強く握って誤摩化していた手が、誰かの体温に晒される。

「何か隠してる。何か知ってる。何か関わってる」

耳の傍で吐かれる息が、こそばゆい。
勢い良く吐かれればまだマシだと思った。

そして金網の控えめな音が、耳の両側に届く。
相手の体温さえ伝わりそうな近さが、とても気持ち悪く感じた。
じっとりと日差しで浮かんだ汗と一緒に、何かが体中に張り付いて。


「だからあんなに怯えた」


口の中がからからする。
異常に喉が渇いている。

「何に関わってんの、何を知ってんの、…何で黙ってんの?」
「おれはっ」

おれは、その先に何を話す気なんだろう俺は。
思うように思考は言葉にならず、もう一度俯き直した。

何を言えば誤解は溶ける?
誤解じゃない、だって本当に俺は言えない。
探しているのは誤摩化す方法、都合のいい誤解をさせる方法。


警察は上手く騙されてる、大丈夫。
ここがだめでも、多少は大丈夫だ。
落ち着かせるために、繰り返す。

でも、でももし。
関の目撃情報で、警察が、調べ直しでもしたら?


じゃあどうすればいい。
本当のことを言う?

何も良い案が浮かばない、混乱しきった心が言った。
でも頭は浮かんだこれを、すぐにかき消す。


信じてもらえるはずがないじゃないか。
ただ嘘を言ってるようにしか思われない。
もし信じられても、誰かに言われたら困る。

理解なんかされない、理由だって言えない。
言ったって面倒になるのは、簡単にわかる。
同情だってしてもらいたくない、必要ない。

「無言なの困るんだけど。どっち?」
「せき、」

何を言えば良いのか、全然浮かばない。
かちゃりと関の眼鏡が鼻に当たって、その奥の焦げ茶色を見た。


「横山が殺したんだろ?」


焦げ茶の部分に反射した自分の顔、弱々しい顔で、怯えて、何にも変わってないみたいな。
まるで数年前と寸分も違わない、自分のような顔。
痣だらけで傷だらけで、何もできなかったころ。

ころしたんだとそこに移った俺が頭に語りかける。
ぜんぶころしたんだと泣きそうなみっともない顔で。
あいつとおなじ、ひとのせいにした、あいつとおなじ?


「俺は違う!」


大声で否定した。
ただ握りしめていただけの手で、関の体を引き離す。

それでもフェンスを握っていた関の体は、離れることはなかった。
少し痛そうに表情を崩したくらいで、他には何も状況は変わらない。
フェンスと関に挟まれた状態、しゃがんで抜けられそうにもない。


そしてなぜか、関は笑う。
間近過ぎて、酷く近い笑い声が体全体へ響く。

何をそんなに笑うことがあったかもわからなかった。
俺は否定したくらいで、他に何もしてはいない。


「信じない」


はーあ、と大きく声をついて、関は口を閉じる。
さっきまでの笑い声との落差の激しい声、低音。
つい先日安定した、関の男の声。
小田も俺も、まだ持っていない声。

「信じらんないよ。だって皆そう言う。認めたりしない」
「でもおれは、」

ほんとうにちがう、口がそんな嘘を戸惑った。
本心が拒む、嘘をついたところでいつかバレる、怒られる。

「おれは?」

面白がるように関が、言葉を繰り返した。
息だけで笑う音を、俯いた自分の耳が聞き取る。
まあいいけど、なんて笑った彼はまだ間近な距離。


嘘が駄目なんて、此処でそんなこと言ってられないんだと、唾を飲み込む。

一番怖いのは、バレること、捕まってしまうこと。
強くなって、するべきことをすることが一番重要なこと。

今でも浮かぶ事実と記憶と、痛みが傷が、そうしないといけないって。
俺があの人を殺したら全部良くなるから、そう全部、全部が。
それが出来なくなることだけは、避けないと。


じわりじわり、ゆっくり右手へ昨日の感触が、甦り出す。
ぐちゅりと、熱い、生温い、気持ち悪い、他人の命。
手のひらにべったりと、赤い赤い赤い、なくなる。


「はいはーい、おふたりさんすとーっぷ」


そしてそれを止めるのは、この声だった。
一度聞くことがなくなって、また此処で聞いたもの。

むかしのおれをしってる、りょうの声。


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